小説として載せるほどでもない、遅れてきたおまけです。
こちらの応援コメントに質問をいただきましたので、長い補足。
氷のオオカミになった少年
https://kakuyomu.jp/works/16818093090551372815 異世界にも伝承や民話はあるわけで、そうするとペローやグリム、あるいは本邦での今昔物語等の説話集といったものもあるだろう……と書いた設定用のメモ。ルルゥの話を仕立てた時に自分用の補足として書いてありました。
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アルフォンソ・ヘイルマン、あるいはA・ヘイルマンは、16世紀中頃から17世紀初頭にかけて多くの著述を成した作家である。特に、大陸各地に伝わる説話の収集や編纂に多くの功績を残したことで知られている。代表的な著作として、説話集『北方諸国の説話とその変遷』や民話の比較研究を論じた『西海岸と東部地方に伝わる民話の源流について』がある。
多くの著作を残した作家であるが、生没年は定かではない。ヴィスカント子爵を継承するヘイルマン家の三男として生まれたと伝わっているが、既に実家の家系は絶えており、本人の放浪癖もあいまって、ヘイルマン自身の実像はいまだによく分かっていない。
15歳で成人してすぐ、子爵家を飛び出し、放浪の旅に出たことは確かなようである。酒と女と旅を愛し、生涯を独身で過ごしたことも確かである。
いわゆる貴族出身の放蕩者なのであるが、そのヘイルマンがいかにして著名な民話収集の著述家となったのか。それについては、各地を旅する中、おそらく20代半ばごろから、伝承や民話の拾遺を始めたというのが定説となっている。旅先で出会った吟遊詩人や土地の古老たちから聞いた話を好んだこと、異なる土地で似たような民話が伝わることに疑問を持ったことが、収集のきっかけとなったようだ。
ここで紹介した『氷のオオカミになった少年』【注1】は、北方諸国の山岳民族に伝わるいくつかの口伝あるいは物語をヘイルマン自身が編纂して仕立て直した、半ば彼自身の創作童話と呼べる物語だ。しかし、語られる物語の底流に存在する山岳民族の精神、彼らの自然に対する畏敬の念や祈りの形、そしてそれに対するヘイルマンの深い敬意については、いささかの揺るぎもない。
元になった最も短い口伝は「少年が山の神に命を差し出し母親の命を救う」という、所謂孝行息子の民話である。北方諸国の民話にしばしば登場する(あるいは、今も実在するとされる上位精霊のひとつとして)氷狼ルルゥの伝承には大抵この要素が含まれており、孝行息子の類型が含まれない場合でも、氷狼ルルゥの出自は必ず「元は人間であった」という描写が伴っている。
ルルゥの葛藤や小鹿との交流についての描写がやや薄いのではないかという指摘は、作品発表当時から成されていたようである。たとえば、新たな命を与えられたルルゥが、その成長過程においてどのように生死と罪の意識に折り合いをつけたのかや、小鹿と母鹿がその後どうなったのか等々。
だが、ヘイルマンはあえてその点に手を加えることをしなかったらしい。先に述べた描写が「薄い」とされる部分は、そもそもヘイルマンが拾遺した伝承や民話の中に存在しないのだ。筆者の調べにおいても、類型となる物語の片鱗すら見つからなかった。「無いものは書かない、加えない」というのは、ヘイルマンの編纂姿勢を特徴づけるもののひとつである。
ヘイルマンは、彼が生きた当時の価値観を、古くから伝わる物語に組み込んでしまうことを好まなかった。草稿のメモに「少し脚色が過ぎる」といった記述も残されているほどで、素朴な民間伝承と今様の文学的表現の狭間での、彼の葛藤が伺える。
このようなヘイルマンの編纂上の姿勢は、同時代の民話編纂者や童話作家には珍しいものであると言えよう。とりわけヘイルマンは、子供の教育上好ましくないと忌避される残酷な描写(例えば牝鹿の解体場面等【注2】)や、異種婚姻譚に見られる貴族の娘と怪物の同衾場面なども、赤裸々なままに手を加えず、そのまま書き残している。
ヘイルマンが特に忌避したことは、当時(そして今も)信仰されていた一神教の教義や道徳感を、説話に取り込み反映するという行いだった。これは、ヘイルマン存命のころから世間では当たり前に成されていたことであり、むしろ異民族の物語にこうした修正を加えて「教化する」ことは美徳とさえされていたのだが、ヘイルマンはこれをある種の冒涜、侮蔑と捉えていた。生涯を通じた放浪の旅によって、今では失われた民族や氏族との交流によって、このヘイルマンの精神が培われたと筆者は考える。
(以下略)
【注1】別紙参照のこと。
【注2】ヘイルマンが聞き取った狩人による獣の解体方法は、解剖学的にも詳細な描写が存在しているが、編纂するにあたり多少の省略などは行なっている。