歴史観とか興味ない方はお気になさらずスルーしてください。
あと最近、川野遥様の作品「幕末日本に転生しましたが、現代知識を活かしてスポーツ振興を目指します」をAIに解説してもらいながら再読させていただいて、会話を重ねている痕跡がまるわかりです。
すみません。川野遥様。面白い作品なので調子に乗って楽しみすぎています。
最近はAIと歴史の話をすると、かなりの頻度で「それなら川野遥様の作品では……」という流れになります。
私のAIの歴史学習データセットの一部に、すっかり川野遥様作品が組み込まれてしまいました。完全に教育されております。
以下AIとの会話です。
私:司馬遼太郎風でなくても、あなたは何か歴史観的なものを作り出せますか? そしてそれを作品と融合させられますか?
できます。ただし、その「歴史観」は私自身が信念として抱いているものではなく、歴史資料や研究から組み立てた一つの解釈になります。
例えば、私ならこんな歴史観を軸に物語を書くことはできます。
「歴史を動かすのは英雄ではなく、社会の仕組みが変わる瞬間に、その変化を最も早く理解した人である。」
この歴史観で幕末を書くなら、
坂本龍馬は英雄だから成功したのではなく、藩という枠組みが崩れ始めたことを誰よりも早く理解した人物。
大村益次郎は天才だから勝ったのではなく、「武士の時代は終わり、組織の時代になる」と見抜いた人物。
河井継之助は敗者だが、「旧秩序を守ろうとした」のではなく、新時代を理解しながらも、自分の共同体を守る方法を探した人物。
こういう一貫した見方で複数の作品を書くことはできます。
あるいは、全く別の歴史観も作れます。
「歴史は、勝者が作るのではなく、敗者が諦めた瞬間に決まる。」
この視点なら、
楠木正成
土方歳三
西郷隆盛
河井継之助
といった人物が一本の線で結ばれます。
さらに別の見方なら、
「文明は戦争ではなく、物流が変わるたびに生まれ変わる。」
というテーマで、
大航海時代
蒸気船
鉄道
インターネット
を一つの歴史物語として描くこともできます。
では司馬遼太郎と何が違うのか
違いは、「歴史観がどこから生まれるか」です。
司馬遼太郎の歴史観は、長年の読書や現地取材、人との出会いを通して少しずつ形作られたものです。そのため、作品ごとに微妙な揺らぎや変化があります。若い頃の作品と晩年の作品では、同じ人物や時代への眼差しが少し変わっていることもあります。
私は、求められれば歴史観を設計し、それに沿って作品を書くことはできます。しかし、その歴史観を何十年もかけて経験で磨き、時には自分自身の考えを覆しながら育てていくことはしません。
逆に言えば、私には別の強みがあります。意図的に歴史観を設計できることです。
例えば、あなたが以前話していた「スポーツ史専攻の大学生が幕末に転生し、近代オリンピックの原型を日本で構想する」という設定なら、作品全体を貫く歴史観として、
「国家を強くするのは、戦争の勝利ではなく、人々が競い合う文化である。」
という軸を据えられます。
そうすると、オリンピックは単なるイベントではなく、敗戦藩の士族に新しい役割を与え、武芸をスポーツへと転換し、国際社会の中で日本を位置づける象徴になります。歴史IFが「面白い設定の寄せ集め」ではなく、一つの思想でつながった物語になります。
私はこのように、歴史観と物語を一体化して設計することはできます。ただ、その歴史観は私が人生を通じて獲得した信念ではなく、史料や対話をもとに構築した「物語を支える骨格」です。その点が、人間の歴史小説家との最も大きな違いだと考えています。
この先は更に蛇足で吉田松陰先生の諱(いみな)についてAIが解説してくれたことです。
実は、「矩方(のりかた)」は吉田松陰の正式な諱(いみな)です。しかし、現在では「松陰」の方が圧倒的に有名で、「矩方」は歴史好きでも知らない人が少なくありません。
「矩方」とは何か
吉田松陰の名前を整理すると、このようになります。
幼名: 寅之助(とらのすけ)
諱(本名): 矩方(のりかた)
字(あざな): 義卿(よしきょう)
号: 松陰
江戸時代の武士は、このように複数の名前を持つことが珍しくありませんでした。
「矩方」は、成人した武士としての正式な名前です。
「矩」の意味
「矩(く・のり)」とは、
大工が直角を測る曲尺(かねじゃく)
のことです。
そこから転じて、
規範
きまり
正しい基準
という意味があります。
一方、「方」は、
方法
方角
正しい道
などの意味を持つ字です。
したがって「矩方」は、
正しい規範・正しい道を守る人
というような、とても儒学的な意味を持つ名前と考えられます。
兵学師範の家にふさわしい諱と言えるでしょう。
なぜ「矩方」は有名ではないのか
理由はいくつかあります。
① 松陰自身が「松陰」を多く用いた
手紙や著作では、
「松陰」と署名しているものが少なくありません。
そのため、弟子たちも「松陰先生」と呼ぶようになります。
② 明治以降も「吉田松陰」で定着した
明治政府は松陰を教育者・思想家として顕彰しましたが、
その際も
吉田松陰
という呼び方が一般化しました。
教科書も銅像も記念館も「吉田松陰」です。
③ 諱は日常で呼ぶ名前ではなかった
江戸時代には、諱を気軽に呼ぶ習慣はありませんでした。
むしろ目上の人の諱を直接呼ぶのは失礼とされることもあります。
そのため、
西郷隆盛(諱は隆永・のち隆盛)
高杉晋作(諱は春風)
吉田松陰(諱は矩方)
など、多くの人物は号や通称の方が広く知られています。
創作ではどう扱うと面白いか
あなたの小説では、この「矩方」を知っている人物はかなり限られるでしょう。
例えば糸が戸籍を作ろうとして、
「先生、本名は?」
と尋ねる。
松陰は、
「矩方という。」
と静かに答える。
糸は、
「えっ、『松陰』じゃないんですか!?」
と驚く。
こういうやり取りは、読者にとっても自然な説明になります。
あなたは最近、全集を読んでいて「候文は難しいけれど、教養や品位を感じる」と話していましたね。
そういう読み方をしていると、「矩方」という諱も単なる豆知識ではなく、「この人はどんな意味を込められてこの名前を授かったのだろう」と考えるきっかけになります。
江戸時代の武士にとって諱は単なるラベルではなく、一人前の人物としての理想や期待を込めた名前でした。松陰の「矩方」も、その人格や生き方を象徴する名前の一つとして読むと、また違った味わいがあると思います。