「リアリティライン」は、物語世界において「どこまでの非現実なら読者が“この作品としてはアリ”だと感じられるか」を示す基準線・許容範囲のことを指す創作用語です。
現実世界にかなり近い作品ほど、リアリティラインは「高く」設定され、ちょっとしたご都合主義でも違和感として強く意識されやすくなります。
魔法や超能力が当たり前にある作品では、前提からして現実とかけ離れているぶん、一般的に「そんな世界ならそれもアリだよね」と受け入れられる幅が広いために、リアリティラインが「低い(ゆるい)」と表現されることがあります。
このところリアリティラインが低い作品を書いていました。
異世界ものであるのをいいことに。
楽しい。なんでもあり、楽しい。
そろそろリアリティラインを上げようと、いきなり現代ドラマへ行くのはギャップが大きいので、現代ファンタジーを間に挟みました。
新連載 『異世界最強パーティは私の家でよしよしされたい』
https://kakuyomu.jp/works/822139840276127426は異世界から勇者パーティが現代日本にやってくるもの。魔法だとか魔物だとか異世界ものの設定を持ってきてますが、舞台は現代日本なので、私たちがよく知っている文物が出てきて、水道は通っているし、トイレもウォシュレット、ネットもあります。
新連載『世界平和よりイチャラブ優先!』
https://kakuyomu.jp/works/822139840319108770は、舞台は現代日本なので、主人公たちは学校に通っています。ただ魔法少女なので魔法など超常的な力を振るえます。
もう一段、リアリティラインを上げるために、書き始めたのが、美大生ものです。
社会学者のルーマンによると、芸術システムは、世界の別様な可能性を提示し、通常の認識枠では扱いにくい偶発性や不確定性を、知覚を通じて経験させる機能システムです。
わかりやすく言うと、理解できない訳の分からないものを芸術が引き受ける、ということです。「訳の分からないもの」は人々を恐れさせますが、世の中に芸術があるおかげで「あ、あれはアートだから」と安心できる。
で、美大生ものならば、現代ドラマでも、訳の分からないものを処理できるだろうと、「魔法少女もの」と「シリアスもの」の間を繋いでもらいました。
明日から、いよいよ現代ドラマの新連載を始めます。
まだまだリアリティラインは上がり切ってないので、まずは、ちょっとあり得ない設定のドタバタコメディです。
美大生ものと、シリアスものは、もう少しラインが下がるのをお待ちください。