漢字の起源は中国にある。我々は太古に伝わったその文字を、日々の暮らしで何気なく使い倒しているが、ひとたびその成り立ちを紐解くと、そこには驚くべき世界が広がっている。
たとえば「号」という字。これは生き埋めにされた人間が、あまりの恐怖と悲しみに大きく口を開け、泣き叫ぶ姿をかたどったものだという。あるいは「民」。これは人の眼球に針を刺し、何も見えなくした奴隷の姿を表しているそうだ。
国民なんてバカな方がいい、正しい情報なんて与えなくていい、そんな今の日本の政治家と大して変わらない当時の権力者たちの本「心」が透けて見える。
これらは普段の文字からは想像もつかない、背筋の凍るような歴史だ。
一方で、とんちの効いた解釈も面白い。
「恋」は心が下にあるから下心、「愛」は真ん中にあるから真心。誰が言ったか知らないが、妙に納得させられる。
そんな漢字の奥深さに想いを馳せながら、以前私は台湾に行った際、故宮博物院で古代の漢文を鑑賞していた。
目の前にあるのは、数千年の時を超えた「聖徳」の文字。さぞや高潔な精神が宿っているのだろうと目を凝らした。
「徳」の下心、ちんこになってるやん。
徳、ないやん。
古代人も一緒やな