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十一軒目

歩いているのに、進んでいる感じがしない。

これは貴重な体験だ。なんか小説に活かせそう!

そして十一軒目は、名古屋民にとってのソウルラーメンの一つに、行ってきました。

何度でも来たくなる、定番の味。ご堪能あれ。

4件のコメント

  • さっきのを見た人が二つ前を見にいくかもしれないので、ここから失礼します。
    先ほどのはメモに書いたものを貼り付けたので、同じものを貼り付けます。

    すみません、死にたいという話の続きをよろしいでしょうか? 死にたいと言う人が本当は死にたくはないのだという点はいいんです。ただ、「死にたいと言う人が実際に自殺してしまう場合がある」ということをはっきり書くなりしておかないと危険ではないのでしょうか? と申し上げたいのです。もうすでにその人が精神科に通院したりしていればよいですが、そうでないのであれば「連れていくか、自ら精神科に相談するなりしましょう」と書いておかないと、死にたいと言っているうちは平気と安心して放置しかねないのではないでしょうか? 書かれていることが誤りだと言いたいのではありません。
  • それはそうだろうなとは思います。
    冒頭、もしくは文の途中にその文を入れておいてもいいかなとは考えます。
    元々支援者間の間でこの話が出た時に伝えたことや答えたことを元にこの記事を書いたのですが、
    主旨は「死にたい」と言われた時の対応についての例として書いたつもりでして、死にたいという気持ちを肯定するのではなく、その背景にある辛い気持ちを受け止めるという、その場面に出会ったらどうするかという対処の一例を書いてます。
    平気と安心して放置しろというより、辛い気持ちを受け止めてあげてと書いています。

    なのでそういった言葉を入れるとしたら、受け止めたり約束をした上で、精神科への通院を促したりもしましょうという文脈が一番適切かなとは思いますが、どう思いますか?

    そしてこれは個人的な疑問なんですけど、そのお気持ち自体はとても尊いものなのですが、エッセイにそこまで熱くご意見されるくらいに、何か大変な出来事があったのですか?
  • まず、最新の近況ノートに書いてしまったことをお詫び申し上げます。
    私の近い人間にうつ病の人がおりまして、うつ病の人は死にたいとよく口にし、そのうえで実行に移すことも少なくないと知っているものでして。決して遠藤さんを否定したいわけでも、ケンカしたいわけでも、議論したいわけでもございません。あと、以前に新聞の記事で、「死にたいと言う人は気を引こうとしているのであって実行に移したりはしないと誤解している人がいる」というのを目にしたこともあります。
    少し時間を置いて冷静になりました。初めに賛同できないという書き方をしてしまいましたが、考えは間違っていないと思います。お忙しいでしょうに、大変申し訳ございませんでした。
  • やはりそうでしたか。
    正直なところ、ガチんこのうつ病はその通りでして、決して軽んじているわけじゃないんです。
    で、新聞の記事でその書き方は軽率だなとは思うんですけど、ぶっちゃけそう言いたくなる気持ちはわかるんです。ガチンコのうつ病じゃない、「死にたい」という言葉を相手をコントロールするために使う人格障害タイプの方も、抑うつ症状という名でうつ病診断が下されることも多いです。そんなと一緒にしてもらうのは違うと思いますし、結局両方うつとついているから、本当に苦しんでいる(人格障害の方も苦しいのは事実です)方々まで誤解されるというあり方は違うと思います。

    支援者間でこういった状況に苦しんでいる方も多かったので、そちらの目線を中心で書きましたが、より当事者の方を近くや身内に持たれる方であれば、そりゃ他人事じゃないですよね。

    僕としては「死にたい」と話す方を軽んじるつもりはないですし、出来る限りそう話す方は放っておいてもいいというニュアンスに辿り着かないように表現を考えるべきだとは感じたので、こうしたご意見を貰えてよかったです。

    色々と思う所はあると思いますが、思いを聞かせてくださり、ありがとうございました。
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