辺境の工業都市、シュタール。
ギルド支部の隅にある、カビ臭い地下資料室にエマ・ルミナスの鋭い声が響いた。
「……セラ先輩。この領収書、認められません。名目は『事務用品・羽ペン』となっていますが、この単価、明らかに近所の菓子屋の『特製ジャムパン』 10 個 分と一致します」
銀縁眼鏡を押し上げるエマの顔色は、連日の徹夜査定により石膏のように真っ白だ。
対面でデスクに腰掛け、優雅に爪の手入れをしていたセラフィナは、悪びれる様子もなく笑った。
「あらエマ。糖分は査定員の『燃料』でしょ? 空腹で数字を間違えるより、ジャムパンを食べて完璧な仕事をこなす。これぞ辺境支部の効率的な運営術よ」
「……燃料費としては過剰積載です。そもそも、このパンは誰の胃袋に『納品』されたのですか。……まさか」
「ええ、私と、そこにいる番犬くんの分よ」
部屋の隅で大剣の手入れをしていたヴォルフが、気まずそうに視線を逸らす。
「……おい、俺を巻き込むな。俺は『運搬のついでに食え』って渡されただけだ」
「ヴォルフ……貴方まで。脳を使わない筋肉への糖分投入は、完全な赤字計上です。……あ、……っ、急激な知的憤りにより、血糖値が……」
エマの灰青色の瞳が虚ろになり、膝がガクガクと笑い出す。
そのまま床に崩れ落ちそうになった瞬間、ヴォルフが音もなく踏み込み、その細い肩をがっしりと支えた。
「ほら見ろ、怒るからエネルギーが切れるんだ。……これでも食ってろ」
ヴォルフが懐から取り出したのは、安っぽい紙に包まれた氷砂糖の塊。
エマはそれをひったくるように受け取ると、無言で奥歯で噛み砕いた。
ガリッ、と硬質な音が響き、ようやく彼女の瞳に冷徹な光が戻る。
「……助かります、ヴォルフ。……セラ先輩、パン 10 個 分の代金は、来月の先輩の給与から『強制徴収』させていただきますので、あしからず」
「ちょっと、エマ! 辺境の先輩への慈悲はないの!?」
今日もシュタール支部では、 1 ゴールド の誤差も許さない死神と、不真面目な先輩、そして苦労性の番犬による、不毛な精算合戦が続いていく。
📝 登場人物紹介(辺境トリオ)
・ エマ・ルミナス
辺境シュタール支部の査定員。理屈の怪物だが、肉体は最弱の没落令嬢。階段を数段登るだけで息切れする。魔導式解析眼(トレース・アイ)で悪党の粉飾を暴くのが快感。
・ヴォルフ
エマの執行者。監獄の最下層から彼女に買い取られた、大剣を背負う野良犬の騎士。低血糖で倒れるエマを物理的に支える「支柱」であり、翻訳係。
・セラフィナ(セラ)
エマの先輩。仕事は適当、遊びは全力。政治力と根回しでエマの後始末をこなすが、よく領収書の不正でエマに怒られている。