佐久間サラ。
本名草山沙羅は、基本的には都内に在住している。家には父親がいる。
母の玲愛(れあ)は弟の紫月とともに愛知県に在住している。彼が卒業するまでは一緒にいるということだ。
この日、その母が久しぶりに都内に戻ってきた。紫月は合宿に行ったらしくやることがないらしい。
もっとも、東京の方では父が出張中でいないので、母と娘、2人だけである。
紫月ほどではないが、この母もかなりの変人である。
退屈しない日々になりそうだ。
夕食時、最近、どういう仕事をしているのかと聞かれたので、天見優依との街歩き番組の映像をそのまま見せる。
「この回で紹介したミルククレープは大人気になっているんだって」
佐久間と天見、2人で楽しく話をしながら歩いている。そんなほのぼのした映像が流れている。
ひとしきり見た母親は、やれやれとばかりに頭を振って溜息をついた。
いかにも「つまらないものを見せられた」という顔をしている。
「オンシはまだまだぜよ」
「オンシ……? ぜよ?」
いきなりの土佐弁に面食らうが、母は止まらない。
「オンシの仕事には狂気を感じん。ただ取り繕った仮面だけの女優を、誰が応援しよると言うか!」
「えぇぇ……」
佐久間は世界の母親の標準スタイルがどういうものかは知らない。
しかし、娘に対して「狂気が足りない」という母親は佐久間家だけだろうと思った。
「あと、何ちゃって土佐弁もやめてほしいんだけど……」
その後5分ほどひとしきり狂気についての説明を受ける。
釈然としないままの佐久間に対して、母親は唐突に話題を変えた。
「紫月が卒業後に行くチームが決まったわ」
「えっ、そうなの!?」
草山紫月はU17でも中心メンバーであったし、高踏最強チームと呼ばれた今年のメンバーに2年で唯一入っているなど、評価は高い。
マイペース過ぎる性格のため、日本ではとてもプレーできそうにないが、海外も含めて評価は高い。複数のチームから声がかかっているという話だったので、決まったこと自体は驚きではない。
「行き先は、デンマーク」
「ええっ? デンマーク!?」
これはさすがに驚きである。
もちろん、デンマークに行く選手も日本人選手もいないわけではない。
FSコペンハーゲンやブレンビーISはまあまあの強豪と言っていい。
しかし、サッカーヲタクを自称している佐久間にとっても、デンマークリーグまではカバーできていないのが正直なところである。
「デンマークの2部」
「えっ!? 2部なの? 何で!?」
2部に行くこと自体も不思議ではないが、1つ年上の2年生は全員が1部チームに行っている。
もちろん、トータル的に考えてデンマーク2部に行く可能性もゼロではないが、この早い段階で決めるとなると何か理由があるのだろう。
一体どんなチームで、どういう理由で選んだのか。
元々「金が欲しいからサウジアラビアでプレーしたい」とうそぶいていたような存在である。
デンマーク2部に超大富豪が有するチームがあるのだろうか。
「チーム・ノボ・ダーンスクは知っているでしょ?」
「ノボ・ダーンスク……?」
聞いたことがない。
いや、反芻するとどこかで聞いたような気はした。
ドマイナーな仕事であったオリンピックのメダリスト候補の高校生紹介番組をしていた時に、そんな話をどこかで聞いたような気がする。しかし、思い出せない。
「何だったかしら?」
「オンシはその程度じゃったか……」
「オンシはもういいから。どんなチームだっけ?」
「人に頼るんじゃない。自分で調べなさい」
「……ムカツク」
突き放されるように言われたので、佐久間は小声で反抗しつつも調べてみる。
検索された情報を見て、「あぁ」と納得した。
チーム・ノボ・ダーンスクは自転車チームで、デンマークに拠点を置いている。
このチームの特徴は選手全員が1型糖尿病を持っているということで、そうした病気と戦う選手の姿を通じて、全国の糖尿病患者を応援しようという意図があるとされる。
このチームの名前が出てきて、同じデンマークのサッカークラブということは次の展開は想像がつくが。
「紫月は糖尿病ではなかったはずだけど?」
いつの間にかそうなってしまったのだろうか。
「サッカーチームの方は、鬱病などメンタル的に問題があるという診断を受けた人達を集めているのよ」
「あぁ、なるほど……」
サッカーと鬱も関係が深い。
点数がさほど入らない競技であるだけにそこに関わるプレッシャーも凄まじい。まともな人間でもすぐに鬱になってしまいそうな環境だ。
世界的サッカー選手であったイエニスタも鬱病であったことを告白しているし、ドイツ代表選手が鬱から立ち直り切れず投身自殺をしたという話もある。
ならばいっそのこと、オープンにした選手達を集めるというのは一つの手なのかもしれない。
「でも、紫月は何ちゃってコミュ障のような気がするんだけど……」
彼をうつ病というのは、世界のうつ病患者に申し訳ないような気がする。
佐久間はそう思ったことを口にしたが、母の勘に触ったようだ。
「いいわよぉ。診断書を信じないくらいには狂気が宿ってきたようね」
「……私が間違っておりました」
診断書にたてついても仕方がない。
ただ、この情報をどうすればいいのか。
単に姉として知っておくだけなのか、どこかで発信してほしいのか。