教会の役割は、主日の礼拝を守ることである。執事フェベや子どもたちが大祭の準備で大忙しになっている状況を快く思わない信徒がいる。
しかも、「あのローマのお嬢さまが、わたしたちの執事を振り回している」という風評が、だれからともなく広まっていた。
噂の渦中にあるプリスカがケンクレアイに到着したのは、それからまもなくのことであった。
フェベ教会を訪ねたプリスカは、まもなく、教会内の不穏な空気を察した。
ところが!
思わぬところから救いの一手が。
「やっほ〜〜〜!! みんなげんきしとった〜〜〜??♡♡」
まちがいない、ティアティラのリディア姐《ねえ》さんだ。
パウロたちが、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに数日間滞在したときに出会った女性。その一人が、リディアさんであった。福岡《ティアティラ》市出身の紫布を商う人で、神をあがめる女性。
「|姫ちゃん《プリスキラ》、ひさしぶり〜〜!! インターンのとき以来やね! 今日はパウロおらんと? あ、アキラと一緒?! 街歩きかー、いいね!! パウロも頼れる先輩さんやね〜〜♡♡ 今日はたまたま近くまで来たけん、どーしてもみんなの顔見たかったとよ〜〜!! そしたら、あたしもう帰るけん、二人によろしくね♡♡♡♡」
とか言い残すと、リディアさんはあっという間に帰ってしまった。──お祭りは楽しんだもの勝ちだよ〜、と言い残して。
リディアさんの魅力は、フェベ教会の女性たちの心をうごかした。
これまで、大祭の実行委員たちと距離感があったおねえさんたちが、思わず近づいて、語りかけてきた。
「……なんか、気持ちのええお人でしたなぁ……」
突然のリディアさんの来訪。その数分の出来事が、少女たちにはむずかしかった教会員との関係修復を、強力にアシストした。じつは、リディア姐さんが売ってる紫の布、夜職の女の子たちのあいだでもひそかな憧れの対象なのである。
何事も、きっかけが大事。
フェベ教会の女性たちは、すぐにローマの少女プリスカへの態度をあらためた。
「なぁ、|姫ちゃん《プリスキラ》て呼ばれてはるん?」
女性たちの一人、エイレーネーが訊ねる。彼女は、アフロディーテ神殿にある娼館の高級娼婦である。
プリスカは、なつかしいあだ名で呼ばれて、いつもより快活そうに応《こた》える。
「ええ、インターンシップに参加したとき、先輩のみなさんが考えてくれました。今、その名前で呼んでくれるのは、リディアさんやルカぐらいですが……」
「そうやったん。リディアさんて、ええ先輩やった?」
「はい、もちろんです……!」
フェベ教会の女性たちは、このとき初めて事実を知った。ローマの革新官僚であるプリスカの父が、皇帝クラウディウスの政治に異を唱え、共和政時代の奴隷解放運動を理想としていること。その娘プリスカからの大祭実行委員会への寄付金は、最近ニュースになっているパビリオン建設費未払い問題を解決するためであったこと。
しかし、何よりも、この眼前のローマの少女が、病弱なユダヤ青年との結婚を反対され、すべてを棄ててコリントへやってきたこと。この一点に、女性たちは同情し、深く共感した。
──女の子が恋に生きて、何がわるいん?
…………
コリントの娼婦たちと語り合うなかで、プリスカも学んだ。
彼女は、幼少期から社会的課題への意識こそ高かったが、自分と異なる階層の人々を慮《おもんぱか》るためには、経験がまだまだ足りなかった。ローマのお屋敷にいた頃は、人民の生活など、真近に見る機会がほとんどなかった。コリントへの道中、アキラと二人でアッピア街道を下ったときに、馬車の上から街道沿いの村を眺めたのがせいぜいである。
彼女の想像もしない境遇の人々がいる。このコリントに。そして、ローマ帝国の各地に。
やっぱり、顔と顔を合わせて、一人ひとりと話してみないといけない。──これは、プリスカとアキラのその後の行いを決定づける、強い信念となった。
マグダラのマリアにも、共感できるところがある。
最初、コリントの学校建設を支援していた頃から、社会貢献について漠然とは考えていた。でも実際、子どもたちに接してみると、憎たらしいし、みんな人の言うこと聞かないし。……だけど、やっぱり可愛くて、気球のときも頼りになったし! 実際に会ってみないと、なんにもわからないよね。
今や、すべての準備はととのった。
程なくして、二人で街を周遊していたパウロとアキラも、ケンクレアイ組に合流した。バラバラだったコリントの信徒たちが、今や、大祭当日に向けて、一つになったのである。
…………
……………………
…………………………………………
そしてついに、──
イストミア大祭、開幕を控えてのリハーサル初日。
待ちかねていたお祭りも、気がつけば、もうすぐ開幕だ。コリントの信徒たちの「飯屋《メシヤ》」は、西ゲート付近の区画に出展することになっていた。子どもたちもお手伝いをするから、あまり人流の多い場所は避け、忙しくなりすぎないように、というプリスカとフェベの判断による。
イスラエル料理店「飯屋《メシヤ》」! シャクシュカをつくって、どんどん売りさばくぞ!
「いらっしゃい、いらっしゃい!」
子どもたちの声が威勢よく。プリスカの別荘にちっさな太鼓があったから、それを交替で叩いてる。ぁドドンがドン。ポー・アイとロッコ、その次は女の子たち。元気でよろしい。
よく晴れた日には、ファストフードがよく売れる。
……おっ、遠くで歓声が上がったぞ。式典がはじまった。
フェベが活躍している頃だ。
ケンクレアイのフェベは、|子ども《ガキ》の頃から、四大競技大会の各種目に乱入して新記録を打ち立てるのが趣味であった。特に、イストミア大祭は常連!
無論、乱入である。最初はそうとう怒られたらしいが、常識離れしたフェベの活躍を観客が見たがったので、今では、開会式、閉会式、それに折々のタイミングで「特別演舞」「来賓パフォーマンス」として競技場に立つことが定番になっていた。
彼女の演舞に、全ギリシャがわき立つ。
「見ろ、ニケだ!」
「アルテミスだ!」
「……いや、フェベさまだ!!」
彼女は、すべての種目において、
「新記録……!」
「新記録……?(疾《はや》すぎて見えん)」
「自己ベスト更新!!」
「測定不能(見えん)」
「審判気絶(……?!)」
「測定不能!!」
といった具合に、未踏の記録を叩き出した。
いったいいつから、彼女はそんな特殊能力を手にしたのか? その秘密は、謎に包まれている。
そもそも、ケンクレアイのフェベは、新約聖書のなかでも異色の存在である。「ローマの信徒への手紙」第16章1-2節に名前があるものの、どのような人物であったのかは詳《つまび》らかでない。ただし、1903年にエルサレムのオリーブ山で発見された4世紀頃の碑文に、「キリストのはしためであり花嫁のソフィア、執事、第二のフェベがここに眠る……」という記述が認められることから、フェベはその後、数世紀にわたって、キリスト教会の中で名の知られる存在であったことはたしかであろう。
彼女について、最も重要なこと。
──それは、「イエス・キリストに直接出会っていない世代、そして、おそらくは異邦人(ギリシャ人)の女性が、確固たる信仰に生きた」ということではなかろうか。(※註:彼女がディアスポラのユダヤ人であった可能性もある。が、この小説ではギリシャ人説を採る。)
たとえば十二使徒は、主と出会い、信仰の人生へとみちびかれた。マグダラのマリアをはじめ、女性たちもしかり。主イエスと出会い、変えられた人たちがいる。これは、福音書に書いてある通りである。
また、次の世代にも、使徒パウロがみずから書き記しているように、啓示などの個人的体験をとおして「復活のキリストに出会った」人たちがいる。
しかしながら、ケンクレアイのフェベについては、すべてが謎である。聖書正典に依拠するかぎり、彼女の信仰の道行きは謎のまま。──だが、その事実こそ、希望となり得るのではないか。主と出会うことのない時代に生まれた人々、とりわけ異邦人にとって。
この終わりの時代、異教の神ポセイドンを祀る貪婪躁然とした都市のなかに、どういうきっかけかはわからぬが、キリスト・イエスにすべてを賭けるギリシャ人の女性がいた。彼女の名は、ほかの誰よりも先に、「ローマの信徒への手紙」の挨拶の冒頭に記されている。
そうだ。信仰のない時代に生きる後世の人々にとって、彼女の存在は希望そのものだ。恭しくひざまずくだけが信仰ではない。もっとパワフルでキュートな信徒が、奉仕者が、いたかもしれないのだ。
二千年にわたって彼女のポテンシャルが見落とされてきた理由は、もしかすると、人類があまりにも生真面目に聖書を読み過ぎてきたからではないか?
…………
……………………
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さて、式の演舞を終えたフェベが、何食わぬ顔で、「飯屋《メシヤ》」のテントにもどってきた。
「んちゃ!! メダルもらってきたで〜! 走ったり跳んだりはええけど、一定の速度に達したらおっぱいプルンプルンなるんが乙女の悩みや笑笑笑」
古代大会で勝利者に贈られたのは、史実では、花冠であったといわれている。古くはセロリ、その後は松の冠。……が、フェベは歴史的事実を超越した存在である。今回から、大祭実行委員会が特別に金メダルを用意してくれていた。
だけども、──
金メダルやからってなんやねん!!
──朽ちる冠が何や。金メダルが何や! 人々には、水が、食事が、医薬品が必要やねん。いのちに代えられる栄誉なんか、あるもんか。
そんなパワフルな献身者。
ケンクレアイの執事フェベは、そういう人だ。自分との闘いにしか興味ない。何食わぬ顔で、他者に尽くす。
そんな彼女だからこそ、女性たちも従うのだ。
「はい、シャクシュカとピタパンのMサイズを2人分。おまちどうさま!」
「ヴィーガン対応のたまご抜き、かしこまりました!」
「お飲み物は、となりのブースではちみつ茶を販売しています! ごいっしょにどうぞ〜!」
──ああー、忙しい。忙しいぞ!!
お昼時を過ぎて、マリアはようやく一息つく。お祭りの最中は、あれこれ考えている暇ない。
数週間前、プリスカの別荘で試食会をしたときには、みんなで楽しく話し合いながら、調理の工夫をしたりした。でも、本番環境では、とにかくワークフローに従って食事を提供するのみ。
──さあ、忙しい。がんばるぞ。
全体を統括し、指示出しをするのはプリスカの役割である。
シャクシュカは自前で調理するが、具をはさむピタパンは、既製品を仕入れている。子どもたちの負担を勘案した上、作業量を適正化するには、それが賢明な判断だ。さあ、大祭がはじまって数週間。人出がどんどん増えてきた。そろそろ追加発注をしないと。
全員に指示を出しながら難しい顔をしているローマの少女プリスカ。──彼女は、すべてを背負おうとする。神の教会のため。そして、愛する者を守るために。
そんな彼女の様子を伺い、フェベ教会の女性信徒エイレーネーが提案した。
「おつかれさん。|姫ちゃん《プリスキラ》、今日、彼氏とあそんできたら? あたしらがお店見とくから大丈夫やで」
…………
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マグダラのマリア、プリスカ、フェベの三人は、しばし休憩時間をもらい、大祭会場を散策することにした。──アキラとパウロが一足先に遊びに行ってしまったから、とりあえず、アキラを探そうか。
三人は、イタリア館のVIPルームで休憩をとり(政府高官の娘であるプリスカは、イタリア館に《《顔パス》》で入場できる)、その後、会場内を歩いてまわった。フェベが金メダル所持者だから、行く先々のブースで、料金割引き、時には無料で(!)飲み物やフードをいただけた。
……おっ、大祭のイメージキャラクター、モコモコの着ぐるみがいる!
「モッコ、モッコ!」
お祭り、それはとても楽しい。愉快だ。
だけど、プリスカはさっきからそわそわしてる。雑踏の中にアキラの姿を見つけられないかと、つい周囲を見回しているのだ。
友だちとお祭りに来ていても、どうしても好きな人のことを気にしてしまう。
──そうだよね。女の子なら、それが普通だ。友だち同士もいいけど、ほんとうは彼氏といっしょがよかったに決まってる。
──と、三人がなにげなく会場を歩いていたとき、後方から、
「姫《プリス》……|ちゃん《キラ》?」
という声が。振り返ると、──
そこに立っているのは、可憐なステージ衣装に身を包んだ一人の少女。
かつて、キプロス島北部を震源地とする巨大地震が起こり、アテネの学校に転入してきた被災家族の子。
そして、アテネで人道支援活動に参加した少女プリスカが、初めて出会った被災者。
それが、アビシャグであった。
彼女は、サマリア人の血をひいている。キプロスにはユダヤ人のコミュニティも存在するが、アビシャグの家族は、ユダヤ人たちとは浅い付き合いにとどめ、貧しくも、慎ましやかに暮らしていた。
そんな彼女が、……
転校先のアテネで教育を受けた後《のち》、今をときめく天才音楽家ダヴィデ・コムロのプロデュースにより、一躍スターダムを駆けのぼった。
今や、彼女は、誰もが羨む伝説の女子高生アイドルだ。
「やっぱり、|姫ちゃん《プリスキラ》……プリスキラだ! たとえ顔を隠してたってわかりますよ!」
「アビシャグ……」
このとき、プリスカは、不思議な再会をよろこぶ気持ちばかりではなかった。彼女の内面に、複雑な感情がうずまく。
まだ幼い頃、アテネで、被災者支援の活動にかかわった。
でも、力及ばず。「微力でも、できることをやりたい」という強い思いとは裏腹に、彼女にできることは限られていた。自分の無力を痛感するだけであった。彼女は、後ろめたい気持ちを抱えながら、引き継ぎも満足にできぬままに、支援活動から離れたのであった。
ところが。
アビシャグのほうは、そんなことぜんぜん気にしていない様子である。
プリスカは虚をつかれた。
──自分の失敗だと思っていた、ずっと忘れたいと思っていた出来事が、相手にとって忘れられない、幸せな思い出になっている。
…………
……………………
…………………………………………
そのあと、三人はコモンズ館に入った。ここなら、予約なしで入場できて、世界中の国・地域の情報に触れることができる。ローマ帝国領内はもとより、遥か彼方の東洋からも、数多くのブースが出展中だ。
だが今回、キプロスはパビリオン出展を辞退していた。震災復興を優先した結果である。
各国、各地域の展示を眺めながら、プリスカは思案した。
──わたしはまだ、キプロス島を訪れたことがない。ローマやアテネ、アレクサンドリアのことはよく知っているのに、あのとき直接かかわった被災者の《《ふるさと》》をまだ知らない。
彼女は、そのことを「とんでもない不誠実ではないか」と感じだした。
当地の情報は、バルナバやマルコを通じて知ることもできる。しかし、耳で聞く情報と、実際に自分で歩いた経験はまったくちがう。
コモンズ館を出たあと、そんな話をほかの二人にしてみた。そしたら、
「ほんなら、今度みんなで行くで! うちが船出すわ」
と、フェベがたいしたことでもなさそうに言う。
大祭のパビリオンをまわりながら、なぜか、突発的にキプロス旅行の計画を練る女子三人組。
マリアも思った。……いーじゃん、各地のパビリオン見てたら、ほんとに行ってみたくなるもんだ。
「うん、そうだよ。みんなでいろんなところに行こう! わたしたちには、まだまだできることがたくさんある。今からがスタートだよ!」
と、群衆の向こうから、アキラとパウロが歩いてくる。──二人とも、モコモコのカチューシャなんか付けちゃって。
アキラのもとへかけよるプリスカの後ろ姿を見守りながら、マグダラのマリアもご満悦の表情。──うんうん、恋だ。恋はいいねぇ。
マリアは、にんまり顔で腕組みをして、一人、ひそかに決意していた。
たとえどんな状況でも、かつてのアビシャグのように、子どもたちがのびのびと成長できるように。プリスカとアキラのような恋人たちが、これからも、いつまでも幸せに暮らせるように。
そのために、平和な世界を守らなくてはいけない。
青空の下、広場の特設ステージから、アビシャグの歌がきこえてきた。
* * *
イストミア大祭の開幕からあっという間に時が過ぎゆき、……いよいよ、会期は後半に突入した。
いよいよ熱気球メルキゼデク号の観覧飛行がはじまろうとしていた。
お客さまを空へ上げるには、安全管理が第一である。
毎朝夕、風速計を取りつけたミニミニゼデク号を上げて、観覧飛行の催行可否を判断する。
プリスカは、かつて被災地支援にかかわったときの反省から、「着実に、堅実な手順を守る」ことを自らへの強い戒めとしていた。手順(ワークフロー)が適切に守られないときは、かならず何かがおかしい。ほんのわずかな数値の変化であっても、事故の予兆を告げている可能性がある。
なにより、強い風が吹きそうなときや、突発的な天候変化が予測されるときは、ぜったいに気球を上げない。たとえ、その場は快晴であっても、空の状況は移ろいやすい。「熱気球による会場上空の小旅行」は連日大人気を博していたが、すこしでもリスクのある日には、当日になって「飛行中止」の決定を下すことも少なくなかった。
その代わり、地上で熱気球の膨らむ様子をお客さんに見てもらったり、「どのような機械仕掛けになっているのか」を仲間たちが解説したりした。その際、運行上のリスク管理についてレクチャーするのはもちろんである。来場者、とくに子どもたちが乗船するにあたって、それは何よりも大切なこと。「噂の天幕職人と、そのなかまたちの詳しい解説(徹底した安全管理のひみつ)」は、イストミア大祭の隠れた人気イベントの一つとして注目を集めた。
…………
ところが或る日。どこかの団体のお偉いさんとかいう人が、血相を変えて、気球格納庫へズカズカと入ってきた。
気球の格納庫に響きわたる、クレーマーの怒鳴り声。
お偉いさんの無理な要求には、プリスカが対応する。
「本日の観覧飛行はございません。天候等、安全を最優先しての判断です」
「天候って……見ろ。晴れてるじゃねえかよ!!」
プリスカの説明は、客観的なデータに基づき、乗客の安全を第一に考えた上での結論だ。多くのお客さんは、《《あの》》天幕職人の少女が決めたと聞けば、納得する。だって、断《ダン》|・《ッ》然《ゼン》(!)質の良い新式天幕を製造している噂のカップルだ。彼女の目には、絶対の信頼を置ける。みんな、そう思ってる。
ところが、──
今日のお偉いさん。プリスカがどういう人物か、よく知らないご様子である。
プリスカだけではない。子どもたちも、《《偉そうおじさん》》に言う。まずは、ウルルとサララが、口々に。
「うるさい!! プリスカがだめって言ってる!!」
「だめったらだめ!!」
さらに、ミ=ハルカスが、
『熱気球メルキゼデク号 本日の観覧飛行は終了しました(またきてね!!)』
の看板を表に出す。──はい、今日はおしまい。閉店ガラガラだよ。
それでもおじさん、まだまだ諦めきれないらしい。すこし離れた場所で気球の整備をしているアキラの姿を見つけて、そばに駆け寄り、
「なあ、君! 君ならば話が通じるだろう! これは《《男のロマン》》だ! リスクをおかして冒険に出かけてこそ……」
と、無駄な《《買収》》を試みはじめた。だが、当のアキラは、迷惑おじさんに対して露骨に軽蔑のまなざしを向けると、早々にバックヤードへ引っ込んでしまった。
休憩用のソファの上で、クレオパトラ姿になって一部始終を見ていたマリアは、ついつい愉快痛快な心持ちになる。
──ざんねんだね〜おじさん! アキラは、そーいう古〜い男尊女卑の考え方をきらって、聡明なローマのお嬢さんと生涯を共に歩んでいるんだ。そう、キリストに倣《なら》う愛の生涯!
二人が信じているのは、真理なの。真実なの。プリスカとアキラは、二人で一つ。プリスカが NO と言えば、アキラも NO に決まってる。《《男のロマン》》じゃ、ものごとの道理は曲げらんないよ。
しばらくのち、出店のシフトを終えて戻ってきたフェベも、崩壊火山のようにブリブリブリブリ憤《いきどお》っているおじさんが格納庫から出ていく瞬間を目撃したらしい。
「あいつ!!笑笑笑 うち知っとうで!!笑笑笑 あらゆる出入りの業者《ギョーシャ》と揉めてる異能力者《イジョーシャ》!!笑笑笑」
どうやら、キリスト者の集まりにたびたび顔を出す(というか、いくつかの団体に要職として名を連ねている)人物らしく、すでに、ケンクレアイのフェベ教会では、だいぶまえから「要注意」扱いになっているらしい。
「えらかったな!! あの手のクレーマーと比べたら、義賊のバルイエスのほーがよっっっっぽど話のつうじる相手やねんな笑笑笑」
「ええ、……でも、気を抜いてはいけないわ。さっきの人のように、権威にへりくだることしか知らない俗物とちがって、義賊の行動には、強い意志と明確な目的がある。意志をもつ者、目的をもつ者は強いわ。今日の人は、わたしでも軽くあしらえたけれど、相手がバルイエス団なら、きっとこうは行《ゆ》かなかった」
「んーーープリスカ、なんか武器とかあるん?」
何とはなしにフェベが訊ねる。プリスカは黙って立ち上がると、壁にかけてあった謎の武具を外して、みんなのところにもってきた。
「なあに、これ?」
マリアは見たことがない。斧ではないし、鎌でもない。なんだろう。……すると、プリスカが説き明かす。
「これは、アルキメデスの考案した熱光線……………の原理を応用した、次世代型ソーラーキャノン。スピットファイア」
フェベが、スピットファイアの外観をまじまじと眺めながら、
「でで。それ、どんくらいの威力あるん?」
と、お気軽に訊いた。
すると、…………プリスカは、一瞬だけ逡巡したが、スピットファイアを両手に抱えて立ち上がり、安全装置を外し、天に向かって銃口を向けた。と、次の瞬間、
────閃光。
青白い光が周囲を包む。
一同、一瞬の出来事に、思わず沈黙──。
マリアは思った。プリスカは、本来、非戦主義で、非暴力主義だ。こんな武器を使うだなんて、不本意なことにちがいない。
もし、賊が現れたら、わたしが戦わないといけないのかな。フェベと一緒に。
…………
……………………
…………………………………………
そして、いよいよ閉会式の朝──。
ない。ない! ない!!
クレオパトラなりきりセットがない!
マグダラのマリアが大事にしている、買ったばかりのなりきりセット(エジプト館限定販売)がなくなってる!
半泣きのマリア。
と、そこへ、
「ここにあるよ〜♪」
と、《《マグダラのマリア》》が格納庫に入ってきた。
──ん?
────んん??
────────んんんん?!
あたしが二人!?
たった今入ってきたマグダラのマリアは、なりきりセットでクレオパトラの姿になってる。
──は?! なんで!? どーいうこと??
子どもたちが、いっせいに叫ぶ。
「どっちかがにせものだ!!」
いかん、あたまがクラクラするぞ。なんだか、じぶんがじぶんであるという確信が揺らいでいく…………なわけあるか!! あたしは主役だ!! 主役に変装して本人の前に現れるだなんて、ルール違反だよ!!(最終回へつづく)