創作村あれこれ⑫
諸君の中にも、自分の中に住み着いている永遠のヒロイン、ヒーローがいると思う。
以前にあげた例で言えば、神岸あかりを愛している男もいる。そして、彼の中での「委員長」は今でも、保科智子なのである。私はここに絢辻詞が不動の地位として君臨している。……皆はどうだろうか? 委員長と聞けば誰が浮かぶだろうか。
さて、創作村にも様々なヒロイン、ヒーロー像というものがあった。衛宮士郎のような、正義であろうとすることをやめられない人間を思い浮かべる者もいれば、遠野志貴のように、普通であろうとすることを最後まで諦めきれない怪物に憧れる者もいた。
ヒーローは、自分の中の「かっこいい」だと思う。そしてそれは、何かを共有しており、共通項も多いので、理解が及ぶ範囲に収まる気がする。「あー、わかるわ。俺もそうだわ」といった感じで、肩を組め酒を交わせる。
さて、ヒロインといえば、これがなかなかに相容れない。「お前の言っていることは理解できない」という拒絶のようなものが、しばしば迸る。この現象は同担拒否という訳ではないのだが、何かがあるのだ。
私の中での永遠のヒロインは『まもって守護月天!』の「小璘」であろうか。『D.C.』の「白河ことり」もにょきっと顔を出している気がする。周囲でいえば、ナデシコのホシノ・ルリもなかなか男を泣かせてきたと思う。色んな意味で。
村の中では、ロリを愛でている男もいれば、幼馴染しか書かないやつもいた。かと思えば、お姉さんを熱い眼差しで見つめる男もいれば、ボーイッシュ女子にしか恋できない人もいた。獣要素がついていないとやる気が出ない女もいた。
ある意味でそれは、彼女たちを愛していたというよりも、属性を愛していたのかもしれないが。だけど人間だもの、好みというものはある。その属性を引っさげた理想の女性が画面の前に現れて、愛を囁くのだ。そして、俺たちは恋に落ちた。それだけである。
だが、不思議なことに、その属性とは無縁のキャラを書かせた方が、はるかに作品が面白くなった。
例えば二次創作で、好きなヒロインを書くことを禁止させてみた。有体に言えば、「お前の描いたヒロインは見飽きた」と告げられたのだ。
するとどうだろうか。自分の中の好きなヒロインを封印して、相手と交換して書かせた作品の方が、斬新さもあったかもしれないが、結果としてはるかに面白かった。
理想を具現化させるというのは、思っている以上に、創作という行為と相性が悪いのかもしれない。そう悟った瞬間でもあった。
しかしながら、好みでもないヒロインを出すと筆が止まる。事実として、その作家たちは疲弊しきっていた。言葉はひどいが、適齢期を過ぎた妻を、それでも愛そうと理解しようと努めている旦那の姿に、どこか似ていた。基本的に創作村には私を含めアホしかいないが、やはりリビドーは大事なのだとも考える。
創作は、「理想に近づきすぎると薄くなり、欲望から離れすぎると止まる」という、不安定な位置にあるように感じる。
だけども人は、書けないとわかっていても、今日もまた理想のヒロインを夢想する。