リュカが、生まれたてほやほやだった頃のお話です。
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(や、やっと寝てくれた……!)
生まれてまだ三週間のリュカを腕に抱え、ソファであやしていたぼくは思わず心のなかで叫んでしまった。寸でのところで口に出さなかったことを、我が事ながら褒めてあげたいくらいだ。
(とほほ。育児がこんなに大変だったなんて……。ハードモードところか、これじゃあヘルモードだよ……)
前世は優雅な独身貴族だったぼくは、正直言って育児を舐めていた。
日に数回ミルクをあげて、おむつを替えてあげる。そうすれば、赤ちゃんなんてあとは勝手に寝てくれるものだと思っていた。
そうでなくても、ベテランナニーのエミリーさんを住みこみで雇っている。楽勝だと、余裕さえかましていた。
けれど、リュカが生まれて一週間もすれば、ぼくは現実を知ることになったのだ。
(どこの家庭も父親は文字通り一家の大黒柱だから、今世のお母さんたちってこんなに大変な育児を一人でこなしてるの……!?)
まず、赤ちゃん……リュカが寝ない。そりゃあもう、想像以上に寝ない。
ミルクを飲んで寝てくれたと思ったら、二〜三時間で起きて泣く。エミリーさんいわく、赤ちゃんはまだ胃が小さくて一度にたくさんミルクを飲めないから、すぐお腹が空いてしまうのだそうだ。
そのうえ、おむつが濡れた不快さで起きて泣く。ちょっとした物音や光に敏感に反応して、泣く。抱っこから布団に移そうとしただけでも泣く。
(いったい、どうしろと……?)
そんなことが日に何回も何回も続けば、ぐったり疲れてしまうのも仕方ない。ずっと抱っこでリュカをあやしていたので、腕も肩もぱんぱんに張って悲鳴をあげていた。
本当に、世のお母さんたちには頭が下がる思いだ。
(でも、すやっすやの寝顔は、天使みたいでかわいいんだよなあ……)
弱音を吐きつつ、どんなにお世話が大変でもがんばれているのは、やっぱりリュカがかわいいからだ。
腕のなかのリュカは、どこもかしこも小さくて、ほにゃほにゃと柔らかい。
特に富士山のようなお口を開けて眠る、束の間のかわいさといったら本当に格別なのだ。
(あああ、ほっぺつんつんしたい……!)
そんなことをしようものなら、せっかく寝てくれたリュカが起きてしまうので、もちろんすることはない。
けれど、「ちょっとくらいなら……」と思わせてしまうフェロモンが、赤ちゃんのほっぺからは出ているような気がするのだ。
そうやって、しばらくぼくは黙ってリュカの寝顔を眺めていたけれど、そろそろ腕も痺れてきてつらくなってきた。一度、リュカを布団に下ろしたい。
(今回はうまく置けるかな……?)
ドキドキの瞬間である。
『赤ちゃんの背中スイッチ』という言葉は前世で耳にしたことがあったけれど、まさか本当にあるとは思っていなかった。
最初は全敗だったけれど、最近の勝率は六割程度。きっと、いける。
ぼくはリュカをぴったりと胸に抱いたまま、フラットなベビーバスケットに覆い被さるような姿勢で、リュカの背中を少しずつ布団の上に預けていく。
言葉でいうのは簡単だけど、実際はかなり腰にくる姿勢なのだ。
(もう少し……。お願いだから、背中スイッチONにならないで……!)
リュカがぐずらないことを確認しながら、ぼくはゆっくりゆっくり背中から手を抜いて、起き上がる。
完全に体が離れたところでリュカの様子を窺うと、相変わらず天使の寝顔ですやすやと眠っていた。
(やったー! 背中スイッチ発動せず! ぼくの勝ち!)
そうして、ぼくが安堵のあまりガッツポーズを決めた瞬間。
『ぷぅ〜』とかわいい音がしたなと思ったら、リュカがびくびくびくっと体をびくつかせて、両手を勢い良く頭の上にあげたのだ!
「!! ふぇっ! ふぇっ! ふええええええん!」
「そ、そんなあ……!」
背中スイッチは発動しなかったけれど、どうやらリュカは自分のおならの音にびっくりして、起きてしまったらしい。
ぼくはあまりの理不尽さに、がっくりと膝をついて項垂れた。せっかく、しばしの休憩が取れると思ったのに。
そう思っても、火がついたように泣き出したリュカに泣き止む様子はない。
(はあ……。仕方ない、か……)
ため息をついたぼくはよろよろと立ち上がり、再びリュカをあやし始めたのだった……。
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本編の方の更新が滞ってしまっていて、すみません!
「こんなに大変だったのか……」と想定外のタスク量に白目をむきながらも、鋭意頑張っております。(あ、でももう無理がきかない歳なので、食事と睡眠だけはしっかりとっております。ご心配なく!)
残暑や台風10号の影響で体調を崩しやすいですから、皆さまどうかご自愛くださいませ。