※ リュカが四歳、おじいちゃんが王都から帰還したあとのお話です。
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「さあて、ちょっくら夜の散歩と洒落込みますか。リュカ坊ちゃんは、俺が抱えていきやしょう」
「う? おしゃんぽ?」
「そうだよ、リュカ。ヴァレーの夏の風物詩『星虫』を見に行くんだ」
いつもの自警団装備とは違って、シャツにズボンというラフな格好をしたドニが、片腕に軽々とリュカを抱き抱えた。その反対の手には、火の灯った小さなランタンが掲げられている。
いくら治安の良いヴァレーとはいえ、子どもだけで夜に出歩くことはできない。おじいちゃんとおばあちゃんが心配してしまう。
それでも、前世でいう蛍のような『星虫』を見てみたかった僕は、ちょっと良い赤ワイン一瓶と引き換えに、星虫鑑賞に付き添ってもらう取引をドニとしたのだ。もちろん、おじいちゃん公認である。
(早寝早起きのおじいちゃんたちに付き合ってもらう訳には行かないし、短時間でも自警団長を雇えるなら、一瓶は安いもんだよね)
ヴァレーの夏はとても日が長い。
普段ならとっくにベッドに入っている時間だけど、外はやっと薄暮になった頃合いだった。
「にいにー。あっぷっぷ〜〜〜」
「ぶっ。リュカ、すっごい顔!」
今夜に備えてたっぷりお昼寝をしたリュカは、まだまだ元気いっぱい。ドニの肩越しに見事なあっちょんぶりけを披露しては、僕を笑わせにきている。
僕はリュカからのふいうちに吹き出しつつ、ランタン片手に二人の後をついていった。
僕たちが目指す目的地は邸の裏手、十分〜十五分ほど歩いたところにある小川だ。
ヴァレーの町と葡萄畑の間を穏やかに流れる本当に小さな川で、言われなければ気づかないくらい存在感が薄い。
けれど、その源流は白の山脈の断崖から湧き出た雪解け水らしく、冷たく清らかに澄んでいて、そのまま飲んでも美味しい水だったりする。
てくてくと、僕たちは砂利ばかりの田舎道を歩いていく。
薄暗いとはいえ、まだランタンの灯に頼らなくても足元はわかるくらいだ。空を見上げると、地平線は赤みがかった橙色に染まり、高くなるにつれて青が深くなっている。
「良い青の時間ですぜ」
「うん、そうだね。風も涼しくて、気持ち良い」
日中の暑さとは裏腹に、日暮れのいまは涼しい風が吹く。虫刺され対策も兼ねて、薄手の長袖を羽織ってきて正解だった。
しばらく歩いて、僕たちは目的地にたどり着く。どうやら同じ目的らしい人たちがすでにぽつぽつと集まっていたので、わかりやすかった。
耳を澄ますと、かすかに小川のせせらぎが聞こえてくる。
「そろそろですぜ。ルイ坊ちゃん、ランタンの灯を絞ってくだせえ。星虫は光が苦手なんでさあ」
「わかったよ」
ランタンのレバーをゆっくり回して、消えない程度に灯を小さくする。途端に、夜の闇が濃くなった気がした。
ランタンのオイルの臭い。足元から立ち昇る土と下草の匂い。虫たちが盛んに鳴く声。集まった人たちが囁くおしゃべり。
視界が覚束なくなった代わりに、匂いや音が際立って感じられるようだ。
「にいにー……。おてて、ちゅなぐぅ」
「はいはい。ほら、リュカ。にいにはここにいるよ」
ドニに抱っこされたままなのに、暗くなった心細さからか、伸ばされたリュカの小さな手を手探りで僕が握ったそのとき。
ぽ、ぽ、ぽ
ぽ、ぽ、ぽ
まるでさし示したかのように、一斉に青い星が地上に瞬いたのだ!
「わあー」「すげえ」といった、小さな歓声があちこちから上がる。
ぽわん、ぽわんとゆっくり光り、余韻を残して消える星虫たち。初めは局所的だった光は漣のように広がって、どんどんと数を増やしていき……ついには、地上に天の川ができてしまった。
「うわあ……! 綺麗……」
「ほわあああ〜〜〜」
「こればっかりは、何度見ても良いもんでさあ」
あまりの素晴らしさに、僕たちは息を飲む。
星虫が光るのは、夏の時期だけ。しかも、ごく短い期間しか光らないらしい。時間も、日暮れから夜にかけての数十分に限られていると聞く。
ちょうどタイミング良く見れたのは、幸運だった。
ぽ、ぽ、ぽ
ぽ、ぽ、ぽ
人工的なイルミネーションの光とも違う、どこまでも幻想的で優しい青の光だ。
僕は近くに止まっていた星虫を二〜三匹、そっと両手のなかに捕まえてみる。指の隙間から目をこらしてよくよく観察すると、星虫は蛇腹の殻を持った黒っぽい甲虫にみえた。
(少なくとも、日本の蛍とは違う虫みたいだ……)
それでも、この光は日本の蛍と同じくらい、いやそれ以上に美しいかもしれない。
すっかり沈んでしまった太陽と入れ替わりに、月が昇る。夜空には白く輝く星々が、地上には青く光る星虫が静かに瞬く。
四方八方を星に囲まれた、この世のものとは思えないほど美しい光景に、僕たちは心を奪われてしまったかのようだった。
「おほちしゃま、いーっぱい! きりゃきりゃ!」
素直なリュカの言葉が、かわいらしい。
暗闇ではっきりとは見えないけれど、きっと目も口を大きく開けて、星を掴もうと片方の手を必死に伸ばしているに違いない。繋いだ手から、そんな気配が伝わってくる。
(おじいちゃんたちにもドニにも無理を言ったけど、連れてきてもらって良かった……)
まだ幼いリュカは、この瞬間を忘れてしまうかもしれない。でも、思い出のかけらとして、心のどこかに残ってくれたらそれで良い。
大人になって「僕たちが子どもの頃にね……」と、いつか振り返る日が来るのが楽しみだ。
星虫たちが光っていたのは、時間にしてきっと三十分にも満たないと思う。
けれど、まるで宇宙に迷い込んでしまったかのようなこの場所で、僕たちは永遠にも感じられる夏の夜を過ごしたのだった。