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特別SS リュカの成長日記 ③

 ☆ 生後三ヶ月

 ぽかぽか小春日和なお昼どき。
 朝寝から起きたリュカは、にっこにこのご機嫌ちゃんだ。


「リュカ〜、おはよう。よく寝てたね〜。今日はとっても良い天気だよ。にいにとお散歩に行こっか」
「ぁ〜うっ!」
「ふふふ。いいよ〜って言ってるのかな?」


 いそいそと、ぼくはスリング……と言えば格好良いけれど、要は長いストールに頑丈な革のリングを2つ通しただけのだっこ紐を、たすきのように肩にかけた。
 縦に抱き上げたリュカを布の内側に入れたら、お尻が真ん中に落ち着くように布を広げて、長さや締め付け具合を調整する。
 スリングはコツが必要で、まだ慣れないぼくはもたもたしてしまう。


「足はM字開脚、腕はWになるように……」


 ぼくの肩に重心をのせたリュカの首ががくんとならないように、腰を反らしながら調整するので、地味に辛い。
 なんとか調整できたら、余った端の布をくるくるっと捻って、首側の布に巻き込んで枕にした。
 そうして、リュカの首がちゃんと支えられていることを確認しながら、ぼくはやっと体を起こす。


「ふう。よ〜し、できた。リュカ、にいにに、かわいいお顔を見せてね〜。苦しくないかな?」
「ぃぁあ〜っ。ぁっぁ〜」
「今日はよく喋るね〜。うん、大丈夫みたいだ」


 見下ろすと、うっすらと生えてきた髪と、広いおでこ。それに、長い伏目がちのまつ毛の奥には、ぷっくりと丸いほっぺの稜線が見える。
 腕の中の絶景をもっと堪能したいけど、お天気が良いうちに行って帰ってきたい。気持ちと時間のせめぎ合いになんとか勝利したぼくは、「リュカと散歩に行ってきます」と書き置きを残して家を出た。


「おや、ルイ、おでかけかい?」
「こんにちはー。リュカ……弟と一緒に、散歩に行くんです」
「あらまぁ。ルイは良いお兄ちゃんねえ」


 外に出ると、井戸端会議をしていた隣家の主婦にさっそく声をかけられる。
 このひとは捕まると話が長い。ぼくは手短に挨拶だけして、そそくさと回れ右して歩き出した。

 つきあたりの大通りを左に曲がり、馬車が行き交うシャルボン通りを進む。轍のうえに残された馬の落とし物を視界に入れないように、そっぽを向きながら。
 通り沿いでは小さな個人商店がぱらぱらと開店していて、いまがかき入れどきの食堂や花売り、靴磨きたちの威勢のいい呼び込みがあちこちから聞こえた。


「ぁあぁぁ〜!」
「ん〜? 一気にたくさんの人の声がしたから、びっくりしちゃったかな? にいにがいるから、大丈夫だよ〜」


 リュカの丸いお尻をぽんぽんとたたいて、あやす。

 この通りはパン・雑貨・古着・織物・穀物といった店が軒を連ねていて、生活に必要なものはだいたい揃う。いわばご近所さん御用達の地元の商店街だ。
 だからいつも人通りが絶えないのだけど、この時間はさらに買い物籠をぶら下げた主婦や、少し煤けた職人たちが昼食を求めて、そこらをうろついていた。


「パン、焼っきたて〜!! 焼〜きたて〜!!」


 パン屋に通りかかると、ほかに負けじと親父さんが張り上げたその言葉に、ぼくはふらふらと店に引き寄せられる。
 見るからにぱりっと美味しそうな、焼きたての田舎パンがどどーんとテーブルに積み上げられていた。
 買い方は至って簡単だ。種類はこれ一つしかないので、買いたい個数だけ言えば良い。


「おじさん、1つちょうだい。これ、お代ね」
「銅貨二枚、ちょうど。おまけで、このちっちぇえパンも持ってってくれ。いつもあっがとさんな〜」
「ありがとう!」
「ぁ〜ぁ〜」
「こらこら。これはリュカが食べるには、まだ早いよ」


 パンをよこせ! とジタバタ手足をバタつかせるリュカを宥めつつ、受け取ったパンをストレージに収納する。
 去り際にパン屋の親父にリュカの小さな手を持ってバイバイと振ると、でれでれと相合を崩していた。見かけによらず、ここの親父は子ども好きなのだ。


(しめしめ。これで次もきっと何かおまけしてくれるぞ)


 ほくほく気分で、また通りを歩く。何かと多い誘惑を振り払いながら、二つ目の角を左に曲がった。
 そこはシャルボン通りの賑やかさと一転して、静かな住宅街が続く通りだ。

 狭い道の左右にはずらっと二階建てのアパート、前世の日本でいう集合住宅や団地みたいな建物が立ち並んでいる。
 おしゃれな格子窓がはまった石造りの建物からは、高級感が漂った。


「薔薇、鳥、クローバー……。いつ見ても、凝ってるよなあ〜。ほら、リュカ、見てごらん。綺麗だね〜」
「きぁ〜あぅ」


 人目がないのを良いことに、リュカに話しかけながらのんびり歩く。しばらくすると、今日のお目当てのフラテル広場が見えてきた。
「広場」なんて呼ばれているけれど、実際はごく小さな雑木林だ。ここだけなぜかぽっかりと木々が残っていて、縫うように通った短い遊歩道では森林浴が楽しめる。
 子どもが遊べるような遊具なんて一切なく、ベンチが一つ二つあるくらいだけど、自然が少ない王都の中心地では貴重な緑地だった。


「お〜。すっかり春だね〜、リュカ。緑が目に染みるよ」
「あ〜う」


 冬だったことも相まって、リュカが生まれてからは慣れない育児・家事で家に引きこもりがちだった。
 けれど春になり、リュカももう短い散歩ならできる月齢だ。だから、こうして二〜三日に一回、天気の良い日に散歩するのは、ぼくにとっても良い息抜きだった。


「ん〜。空気が美味しい〜」


 排気ガスに汚染されていない空気を、ぼくは肺いっぱいに吸い込んで、片手で伸びをする。
 リュカも春の木漏れ日を浴び、穏やかに吹く風に気持ちよさそうに目を細めていた。


(赤ちゃんって、生まれてからしばらくは目が見えないって聞いたことがあるけれど……。リュカの目には、どんな風に世界が見えてるんだろう?)


 ふと、ぼくはそんなことを思う。

 ぼくがにいにだって、わかっているかな。
 なんだか綺麗な世界に生まれてきたぞ、なんて思ってるかな。

 問いかけのようでいて、本当は祈りだった。
 まだ汚れを知らない、純真無垢そのもののリュカ。その空と緑を映す瞳に笑いかけながら、ぼくはリュカの頭を優しく撫でた。

2件のコメント

  • 食べれるようになってからは、きっとあのパン屋の前で
    にぃに、あ~ん!
    とひな鳥のように口を開けて催促したんだろうなぁ。
    と想像(笑)
  • > ライファ様

    コメントありがとうございます。
    パン屋の前って良い匂いがしていることが多いので、リュカもきっと釣られたことでしょう……。目に浮かぶようです(笑)
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