ゆらりゆらりと揺蕩う光が、深き闇を淡く照らす。
如何にも心許なき灯火なれど、男にとっては十分に事足りた。
トトトトッ
光の及ばぬ闇の奥。何者かが疾く走る気配を、男の耳はしかと捉える。そして、
「ちえぇいっ!」
シパンッ
口より放たれたるは、裂帛の気勢。男は襲い来たる気配に向け、腰に溜め置きし愛刀を一息に抜き打った。
すると生臭い血と臓腑の臭気が周囲に立ち込め、白き身の異形の獣が二つ、男の目前に転がった。一文字に斬り伏せられながらも尚、獣共は激しくのたうち回っている。男は重宝な血をこぼさぬよう心を配りながら、死に損ないの獣に止めを刺した。
男の名は黒田茂吉。如何なる因果か得体の知れぬ異界へと迷い込んだ、一介の素浪人である。
____今を遡ること五年前。突如、東の彼方より攻め寄せたるは、地を覆わんばかりの大軍勢。数多の国々を滅ぼし、天下を大いに乱したおそろしい無法の徒を迎え討つ大戦に身を投じた茂吉は、何時しか異形の荒武者どもを引き連れ戦の趨勢を担う一翼を成し、遂には難敵を見事打ち破った。
かくて茂吉は、其の武功を以って英雄と讃えられるようになった。
戦の後。浴びせられる賞賛と、裏に潜む妬みや敵意の悉くを振り切って、茂吉は身すがら旅に出た。心の内に忘れ難き痛みを抱えて。然るに只心の赴くまま、茂吉は東に向けて歩みを進めた。あのおそろしい敵どもが、一体如何なる地より現れたのか。好奇の虫が疼いた故である。幸いなるかな。此の異界にあっては、例え勝手に国を跨いだとて、故郷の日の本の如くお尋ね者として晒し首に処される憂いは無い。
然して東へ東へと旅路を重ねた茂吉は、遂には天を衝く山々が連なる大山脈に行く手を阻まれた。道すがら立ち寄った土地の者共に問い質したところ、かの大軍勢は、あれなる山々の彼方より攻め寄せて来たのだと言う。
さしもの茂吉も、此れにはほとほと困り果てた。先の大戦の折りは語るに及ばず、幼き頃より野山を駆け巡る経験など幾度となく重ねて来た。されど、かくも嶮しき嶺に挑んだ事など流石に有りはせぬ。その偉容を仰ぎ見れば、かの山々を越える事が尋常ならざる難事であろう事は、推して知るべしである。
されど幸いなるかな。茂吉は山の麓の村にて、かの大山脈を越えて更に東方へと至らんとする旅人の一団と出会う事が叶った。聞けばかの者たちは、峻険なる嶺を正面から踏み越えるに非ず。何と地の底を通って、東方へと抜けるつもりであると言う。これぞ天の助けか渡りに船か。茂吉はかれらに幾重にも頼み込み、遂には道連れとして同行を許されたのだった。
かくして茂吉を加えた旅人の一団は、土地の者に導かれて暗き穴倉へと足を踏み入れた。されど其の後、茂吉たちは己が迂闊さを骨の髄まで悔いる事になった。闇に閉ざされた穴倉は余りに険しく、至る所に死の罠が待ち受けていた。東方へと抜け至るは、生半可な力量と覚悟にて叶う道では無かったのだ。
当初は大過無く思われし茂吉らの歩みであったが、突如襲い来たる大くちなわの如き恐るべき妖に拠って、当初の目算は脆くも打ち砕かれた。巨大なる妖は逃げ遅れた二人を瞬く間に丸呑みにし、腹が満たされたのか何処ぞへ姿を眩ました。されど残された茂吉らは必死で逃げ惑う最中、本来往くべき道を見失ったのである。さしもの茂吉も暗闇で皆の衆が阿鼻叫喚する只中で、妖に抗うべく得物を抜く暇すら与えられ無かった。
最早元来た道も定かでは無く、今更悔いたとて栓無き事。かくなる上は茂吉らは何処とも知れぬ穴倉の奥へと、歩みを進めるより他は無かった。
洞穴は途轍もなく広かった。歩きに歩き、狭き難路にあっては這い進み、また時には地下の川や泉を泳ぎ渡る事もあった。幸い、あの大くちなわには再び出会わなかったものの、一行は然る後も度々妖共に襲われた。
初めこそ妖どもの影に怯たりし一行であったが、歩みを重ねる程に更なる難事が立ち塞がっている事を思い知らされた。すなわち限られし糧と、四方を閉ざす闇である。幸にも水だけは、時折洞穴の中に水脈を見出すことが叶ったものの、手持ちの食い扶持には限りがある。
然してさらに恐ろしきは闇である。此の異界の宵闇は、二つの月が在る故に夜目が利く茂吉にとっては左程障りは無い。されどさしもの茂吉の眼を以てしても、一点の光も届かぬ地の底にあっては、一寸先すら見通す事は叶わぬ。
かくして残りし糧を喰らい尽くした茂吉たちは、襲い来たる妖共を返り討ちにしては
その肉を喰らい、血を啜って命脈を繋いだ。いや何時しか妖を見付けるや否や、血肉を求め先んじて斬り掛かるようになっていった。また外の月日に代わり闇を照らしたのは、連れの者が灯す妖術の光だ。先の大くちなわの姿を拝めたのも、ひとえに妖術の灯火あってのことだ。
されど虚空より光を生み出す術は、長くは保たぬ。然るに茂吉は妖術使いに請われるままに、討ち取った妖の骨を芯となし、其の髄や皮より絞り出したる脂を用いて松明を拵えた。これに術で火を点せば、心細き灯りながらも幾日も明かりを保つことが叶った。
茂吉はしみじみ思う。
戦場で数え切れねぇくらい撫で斬った妖術使いによ、まさかおらぁが命を預ける事になっぺどは。思いもよらなんだ。
其れより後。茂吉らは底知れぬ闇の中で、幾日も幾日も歩みを重ねた。いや、陽光も星明り届かぬ此の場所では、刻を数える術はとうに喪われていた。
連れの者どもは、ある者は妖に喰い殺され、ある者は水脈に呑まれ、ある者は底無しの昏き穴に落ち、またある者は知らぬ間に闇に逸れて居なくなった。かくして二十余人を数えた一団は、遂には茂吉を含め僅か六人を残すのみとなった。
入り組んだ洞穴を歩み続ける茂吉らは、はたと妙なる事を察した。あれ程跋扈していた妖共が、知らぬ間に影も形も見せなくなっていたのだ。人に仇名す妖と言えど、茂吉達が命を繋ぐ食い扶持でもある。茂吉は一先ず引き返すべきかと思案していると。細き穴を抜けた先にて、広々たる大広間に出た。いや、それが如何ほどの広さか、手持ちの灯りではまるで見当も付かなかった。
されど茂吉達の目前には、松明の灯りに石造りの柱が浮かび上がった。柱は人の手で築かれしと察せらるるも、ややもすると崩れ、朽ちかけていた。
然るにその柱に刻まれた紋様を目にするや、今や茂吉と互いに命を預ける仲となりし小柄なる武者が、言葉を失ったまま零れんばかりに目を見開いた。
その刹那。闇の奥より息も詰まらんばかりの、異様な気配が漂い来た。茂吉はうなじの毛が一斉に逆立ち、身の全てが恐れにて慄いた。
茂吉らは慌てて身を翻し、一先ず其の場を離れる事にした。
「あ、あの紋章は間違い無い・・・『静寂と常闇の廃都』。まさか、まさか本当に、大迷宮があのリリュアルシュトゥトス最大の伝説に繋がっていようとは・・・」
元より色白な面差しを、一層蒼白に染めた小柄なる武者は、震える声で呟いた。聞けばあの大広間の更に奥には、遥か古に滅び去った、大層な都が眠ってるやも知れぬ・・と言う。またかつて武者の種族が誇りし国と都は、彼の同族の手に拠り地の底に築かれたのだと。
「『静寂と常闇の廃都』の事なら、私も耳にした事がありますよ。『静寂と死の廃都』と並び称される魔都として高名ですからね。勿論、最悪の意味でですが」
武者が発した呟きに、かつては端整な面差しであった妖術使いが応じた。されど今やいたく汚れ塗れ、その上枯れ木の如く痩せ細り、往時の面影など見る影も無い。
「高名・・か。ならば地上に抜ける道の一つや二つ無いかのう。お主、何か知ってはおらぬか?」
茂吉は胸の内にて、藁をも掴む思いで訊ねた。衆目の下では無理に気を引き締めているものの、心と身体の疲労は、最早耐え難きものとなりつつあった。
「残念ながら、抜け道の事は聞いた事は無いですね・・・が、『静寂と常闇の廃都』が出どころと噂される宝物が、稀に競りに出される噂は聞いた事があります」
「ほう、ならば」
「地上に抜ける抜け道が、もしかすると在るかも知れないわね。本音を言わせて貰うと、アタシももう限界に近いのよ。此れ以上衰弱したら、魔物と戦うどころか歩く事すらままならなくなるわ」
茂吉の言葉に続き、黄金色の髪の勝気なる女武者が口を開いた。
「い、いかんぞ!ならお前達も噂くらい耳にした事があるだろう。とうの昔に滅び去った今でも尚、闇に閉ざされた魔都を守り続ける、恐ろしい屍の軍団の事を。呪われた奴等はあらゆる生命を拒み、愚かな侵入者は残らず血祭りに上げられると!」
小柄なる武者は、蒼白な顔で諌めた。だが、しかし。
「お主の言いたい事は良く分かる。あの石柱の辺りで、おれも確かに危うきを感じたからな。だが、それでも」
「それでも?」
「例え引き返したとて、またしても道標を失うだけではないか。そうして僅かでも地上へ戻れる見込みはあるのか?此のままでは早晩我らは衰弱して果てるか、さもなくば妖に喰われる羽目になるぞ」
「そ、それは・・・」
「お主の危ぶむところは重々承知の上だ。されど我らには、最早延々と流れ歩いたり、逡巡する余裕など残されてはおらぬのだ」
「・・・・・フゥ~。確かに、モキチの言う通りかも知れんな」
然る後に評議は積み重ねられ、幾度となく言葉を交わした末に。茂吉らは慎重の上にも慎重を期し、遂に恐るべき魔都へと足を踏み入れた。されど微かな音すら聞き漏らさぬ、この世のものとは思えぬ屍の兵どもを前にして、気取られずに遣り過ごすなど、つまるところ叶わぬ夢であった。
迫り来る死の淵を踏み越える数多の死戦。そして骨身を削る退き戦の果てに。ひとえに天運に恵まれし茂吉は、思いがけず地上に至る抜け路を見出した。然る後、茂吉が抜け路を潜り抜け、久方振りにお天道様の光を拝んだ時。
その場で命が在りしは、茂吉を含めたったの二人きりであった。
命辛々地上に這い出た茂吉は手を合わせて、昏き穴の底で命を散じた哀れな死者たちの冥福を祈った。然る後、茂吉は唯ひとり生き延びた戦の友と共に、再び東に向けて歩き出したのである。