若干風邪気味です。病院でうつったぽいか……。
いよいよ25歳が終わってしまうのです。
もう来年からは何かしら実績が出ないとなあ。
少年誌では26歳の壁がありますし、青年誌に
行ってもこの年頃からは担当付きになったり
してる方がいいんだろうなあ。そんなことを
思いながらプロット切ったりネーム書いたり…。
そーいうことをしてる中で特に思うのは、
「自分の経験や考えてたことが全く違う形に
変換されて別の存在を理解ないし模倣できた」
ような気がした時が一番うれしいかもな、と
いうことです。
結構、実体験とか、印象的な出来事を素材に
シーンを組み立てることが無きにしも非ず
なのですが、意図的に順番を組み替えたり、
因果を逆にしたり、アーキタイプの裏表を
逆にしたり、途中まで記憶ベースで書いて
最後突然連想や議論ベースに放り込んでみたり、
そういうことをして半ば意図的に自分の思想や
経験を攪乱して「原形をとどめなくする」ことが
気持ちよかったりして……
短編だと「よし、崩しまくって不条理にできた」
で結構終わっちゃいがちなのですが、中編以上だと
「意図的に逆に入れ替えて組み立てたことで、
自分の知らないことについて真摯な勉強と理解を
出来たような気がするな」と錯覚できてしまう。
それは面白さを第一義にしてやっていることだから
理解とは遠い物なのかもしれないけど、
「ただ自分を素材にしてこねこね別の形にしてたら
どうにかいい形とふさわしい配分にしてあげたい」
という気持ちが湧いてきてキャラクターに尽くす
ことが出来たというのはやっぱりいい気持ちです。
しかし短いと意図的なカオスになってしまって
「わけわからんくなっておもろい」で止まり、
(なので自分の記憶のために書いていても
史実とはぐちゃぐちゃにファクターが
ズレてる部分があったりします)
長編だと転写と逆転の意図が隠れすぎてしまって
普通の面白いものになってしまい
(むしろそのプロセスで自分の感情を作品側が
無視してくれることにも救いを見出せるのですが)
うーん、110分映画くらいの長さのものを
しっかり代表作以外で作ってみたい……。
と、思ったりもする最近です。
映画一本分が内面を娯楽ベースで伝えられる
ギリギリセーフの長さなのかもしれませんね。
明日はどうにか代表作の更新がしたいですが、
ちょっと難しいかもなと思います。
セリフだけはできてるんですけどね…💦
冷房点けたら頭痛は引きました。
引き続きゴロゴロしますので明日出なかったら
「水はよくのめ」と思ってください。
25歳児でした。