急になんですが…。
物書きをするにしても、自分の地盤がしっかりしてないと、身を入れられないというか
メンタルやられてるときは本当にだめですね
だから今みたいに安定しているときは、物書きと一緒に推し俳優さんも愛でてます
推し俳優さんの出演映画も、しっかり毎日大事にして生きようって思える作品を選んで観たりしています
コミコンとかでご本人に会いに行ける勢はすごいなと思います
自分に自信がないから、推しに会うなんて畏れ多くてできませんね
あと私の場合は、子供の頃に親兄弟から虐待、同級生からいじめを受けてきたから、いまだにPTSDもあるし、ずっとマイナス感情を抱えてきてるのもあって、自己肯定感も低いし、そっと片隅で推しの作品に触れて癒されるくらいがちょうどいい
自分のなかで、悪い方向に引っ張られるのだけは避けたいと思って生きて来た理由を最近考えるようになりました
常に良い方、善良な方に向いていないと、何かひとつでもマイナスをやらかしたら、虐待してきた家族と同じ穴の狢になると思って生きてきたので、半ば強迫観念かもな、ということです
良い方良い方に行く基準としては、昔見ていた好きな時代劇とか、昔読んだ指輪物語とか、人に寄り添いながら困難を乗り越える人物に惹かれてきたからかな、と思います
だからいまも余計に、そういったマイナスを向かない為に、心に刺しておく澪標を探して、色んな俳優さんの出演している映画やドラマを観ている感はあるかも
推しの某北欧の至宝はお兄ちゃんと一緒だと、めちゃくちゃ弟丸出しの兄ちゃん大好きっ子の顔になるところとか、普通に見せて写真が世に出回っているのを見たりすると、本当に自然体で、羨ましい在り方だなあ、とまず思います
無常観が先に立つ作品が代表作のベースですが、厭世観ばかりでもないです
現実の世界では誰も傷つかなくていい世界になればいいのになと思いながら書いてます
日本は災害が起きると途端に団結するから、ああ、人間って本来こうだよなと、東日本大震災の時は目に見えて実感できましたし
こんなの日本だけじゃなくて世界も皆わかってるはずなのに、なんで争いがやまないんだろうとも思います
アフガニスタンで活動されていた中村哲先生が本当に理想を体現していたと思うし、人間らしく生きることについてかなり自然体なお方だったと思います
フィクションの世界でも、個人的にみてですが、表現が違っても実は根っこで訴えてることって同じなのかなと、映画監督のお話を聞けた機会もあった場合なんかには特に感じる作品もありますし
何にせよ、推し俳優さんが辛くとも人に寄り添う、理不尽に耐える役を演じてくれてたのは、めちゃくちゃ刺さりましたね
ありがたい心の澪標です
これ作品名と内容を出していいか悩みましたが、指輪物語も読んでて、特に刺さったのが、サムワイズ・ギャムジーの言動です
ゴンドールの領内で壊された王の石像を見て、束の間さす陽光に白い花冠を被った王の頭が浮かんだのを見て、きっと王が帰ってくる兆しだと希望を持ち直すシーン
最後の滅びの山近くで歩けなくなったフロドを背負って
あなたの重荷は背負えませんが、あなたは背負えます
って言って有言実行して山を登ったり
そういうところです
伝わりにくいものまね、みたいなツボのつき方するよね、と当時のファンタジー好き仲間には言われたこともありますけど、そういう心に刺さる部分はいまも変わらないです
自分も、物語を書くことで自分はこの生き方でいいんだ、人間らしく生きることについて、斯く在りたいと思うのを忘れないようにしておきたい
そういう気持ちがあるから、創作を続けているのかなと思った次第です