「茉莉、なに見てるの?」
額を窓にぺたっと貼り付けて外を見ている茉莉は、遠目から見たら毛の長い動物だった。外が気になるなんて、珍しい。茉莉が外を気にするのは、深夜に暴走族がバイクのエンジンを鳴らしているときだけだ。
あたしが声をかけると、茉莉は窓から顔を離してなんでもありませんけどみたいな顔をする。でも、霜のついた窓にはしっかりと額の跡が残っている。
あたしも茉莉と同じように外を覗き込んでみると、青白い空の下をピンク色の粒がひらひらと舞っていた。
「桜?」
「え、桜咲いてるの。すげー」
すんごい棒読みだった。
桜は一昨日が満開だったとテレビでやってた。花見の計画はたてていたんだけど、土日になるとどこもかしこも混んでいて、人混みが嫌いな茉莉は「画像検索でいいか」とネットの拾い画像で満足して結局花見に行くことはなかった。
「もう散っちゃってるけど」
昨日雨も降ったから、もしかしたら桜が見られるのは今日までかもしれない。窓から見える桜の木は、身ぐるみを引き剥がされたみたいになっている。
「お花見いきたーい」
「んー」
先生に発言するときみたいに手を挙げる。茉莉は返事なんだか考え事をしてるんだかわからない声を出したけど、のっそりと立ち上がってカーディガンを取りにいったのでたぶん行く気なんだと思う。
というか、行きたかったのかもしれない。
散っていく桜を見て、見に行けばよかったなと後悔している茉莉を想像すると、つい頬が緩んでしまう。そういう間違い探しみたいなのが茉莉と過ごす日々には散らばっていて、飽きることがない。
茉莉は去年の冬あたりから車にちょこちょこ乗るようになったけど、鳥にフンを落とされたとかでもう乗らなくなってしまった。
桜の木がある公園まで、二人並んで歩いていく。
思えば、こうして茉莉と出かけるっていうのは、いつも買い物で、その買い物も必要なものを買いに行くとか、なんかの手続きをしにいくとかで、遊びにいくことはあんまりなかった。
「ねえ茉莉、これってデート?」
「そうなんじゃない?」
「おおー」
茉莉とデート。言葉にすると、普段の外出とはまた違った印象を受ける。
公園には人がまったくおらす、すっからかんだった。地面はぐしょぐしょで、足場も最悪。あたしたちは、小さな沼地みたいになった公園をべっちょべっちょ進みながら、ベンチの隣にある大きな桜の木の下に腰掛ける。またべちょっていう。
「げえ、最悪」
「そんなところ座るからだ」
茉莉は中腰になって、満開とはほど遠い姿の桜を見上げた。
目に入ってくる色は緑と茶色だけで、地面に落ちている桜の花びらですら土に汚れている。物寂しい景色の中で、茉莉は小さく鼻歌を歌っていた。
茉莉にそれを指摘すると、どうせ鼻歌をやめてしまうので気付かないふりをする。たぶん、茉莉は花が好きなんだと思う。
花を見るときの茉莉は、目がキラキラしているし、声色もいつもより柔らかくなる。だけど、本人は絶対そんなこと言わないし、むしろ嫌いって言うことの方が多い。
絵もそうだけど、茉莉は好きなものを、ちょっとだけ嫌いになっちゃう人なんだと思う。そして、嫌いになりきれない人でもある。
「あ、焼き芋」
ちょうど公園のそばを屋台を乗せたトラックが通っていく。
「ちょうど腹減ってたし、一緒に食べるか」
「やったー!」
またべっちゃべっちゃと公園を進んで、焼き芋を一つ買う。
ほっかほかの焼き芋を手の中で転がしていると、屋台のおじさんがニコッと笑った。
「お姉ちゃんとお散歩かい? 仲良いねえ」
「ううん、彼女とお花見だよ!」
そうすると、おじさんの表情がふにゃっと解れる。投げ出された視線は散らばった花びらへと向かい、泥で汚れた桃色の影に吸い込まれていく。
「あっはっは! たしかに、満開の桜を見るだけが花見じゃないわな! デートの邪魔して悪かったね!」
おじさんはおまけにもう一個焼き芋をくれると、また車を発進させてゆっくりと住宅街に入っていった。
そんな車の様子を、茉莉は瞼のあがりきらない微睡みを含んだ瞳でジッと追い掛けてから、ボソッと呟く。
「いい人だったな」
茉莉はどこか嬉しそうだった。そしてあたしも、同じように嬉しかった。
地面に落ちちゃった花びらたちも、まだ立派な花なんだって言ってもらえた気がして、誇らしくもある、不思議な感覚だった。こういう、喜怒哀楽とは別の場所にある複雑な感情に名前をつけられたら、もっと楽しくなるのに。
「ねえ茉莉、今年はもっと、いろんな場所に行ってみたい。お花見は行ったから、夏は海とか、花火とか。秋はお団子食べて、冬はスキーして……あれ?」
季節ごとのイベントを並べ立てたつもりだったんだけど、思ったよりも案が出なかった。
「えっと、だからね。もっと茉莉とデートしたい」
「デートと外出って、何が違うんだろうな」
急角度で会話が曲がる。茉莉はときどき、将棋の桂馬みたいに言葉を飛び越える。でも、その中間地点にあるものを考えると、茉莉の気になっていることが分かって、心の中がすーっと見えた気持ちになるから楽しい。
「イチャイチャするかしないかの違い?」
「あー、一理ある」
冷たい風がぴゅーっと吹いて、茉莉の指がカーディガンの袖にひょこっと引っ込んでいく。肩を縮こめた茉莉は亀さんみたいになっていて寒そうだった。
食べ終わった焼き芋の皮を皮をアルミホイルでくるんで、ポケットに突っ込む。このまま公園を出てデートも終わりかなって思ってたら、茉莉が家とは反対の方向にくるっと曲がった。
あたしは嬉しくなって、茉莉の後を追い掛ける。
「あそこの店いつ潰れたんだ」
「あれ、ほんとだ。でもあそこ前もラーメン屋さんだったよね?」
「何故かは知らないけど、ラーメン屋は生まれ変わってもラーメン屋にしかなれない決まりがあるらしい」
たしかに、ラーメン屋さんが別のお店になっているところをあんまり見たことがない。
そんなことを話しながら歩いている間に、あたしは何度か茉莉の肩にぶつかった。なんでかは知らないけど、こうやって話しながら歩いているとあたしはよく茉莉に当たってしまう。なんでだろう。たまに手の甲と手の甲がバコン! って当たって痛いときもあるし、茉莉の踵を踏んじゃって茉莉が前にずっこけそうになることもある。
わざとじゃないんだけど、でも、ほんとは半分わざとでもある。というよりも、当たっちゃうのは無意識なんだけど、また当たらないかなって、舵を取りづらいあたしの身体制御にちょっとだけ期待してしまう。
茉莉の身体に触れることができると嬉しい。アパートに帰っても当たったときの感触を思い出してしまうほどだ。茉莉の肩は柔らかくて、当たるとぽよんって跳ね返される。
あたしは当たったことには気付いていながらも、口にはしない。そのもどかしさがくすぐったさに変わって、気付くとドキドキに変わってる。茉莉は気付いてるのかな。茉莉ってその辺は案外鈍感だから、もしかしたら気付いてないかもしれない。
「えへえへ」
「なんで一人で笑ってるんだよ」
そういう、くすぐったさの残るものには言及しないのに。いじれそうな部分はすぐにいじってくる。
「これからいっぱいデートしようね」
大学受験を終えたせいか、妙な開放感がある。
そして、高校を卒業したという事実が、あたしを一歩前に進めてくれる。これらの総称を、たぶんだけど、自信っていうんだと思う。
「してるだろ」
車通りの多い、透き通った空気もへったくりもないようなガスまみれの道路脇に差し掛かったところで、茉莉がぶっきらぼうな声色で言う。
ノールックで跳んできた肘は、あたしの肩にコツンと当たる。
ううん、気付いてないわけがない。互いの身体が触れると、こんなにも強く、熱く感じる。だからきっと、あたしの身体が茉莉に当たっていたのは、絶対茉莉も気付いてる。
それがなんだか嬉しくって、茉莉の脇腹にぼよんとぶつかる。
これも、あたしたちの間ではイチャイチャにあたる。誰がなんと言おうと。
満開ではない、桃色の景色ではないかもしれないけど。
あたしたちにとってはこれがお花見であり、デートなんだ。
「帰ったらじゃがバターたべたーい」
「さっきも芋食っただろ。屁止まらなくなっても知らないぞ」
「えへへ、それもイチャイチャだよ」
「絶対違うから」
「えー!」
ぐるぐると、できる限り遠回りをしながらアパートへと帰る。
まだデート初心者のあたしたちだけど、ちょっとずつ、行ける場所を増やしていけたらいいなあ。