ここ一週間、そわそわしていた。
摂食障がいは依存症の一種だが、それが生きるためのトランキライザーだとは一般的な生育歴の人には理解しがたいだろう。
私は痩せていたかったのではない。
体を成長させない(=大人にならない)ことで、養育者と交わす愛着の通過儀礼を待っていたのだ。
加害者と被害者。
譲歩とは相互作用のこと。
加害者が逃げまわるようでは不毛だ。
それは被害者にとり、二次被害になる。
離去しようと死別しようと、折に触れ、被害者は加害者の亡霊を見る。
当時の恋人との邂逅により、私の摂食障がい(拒食→過食嘔吐)は十年目で寛解した。
彼女は三十年らい患っていた。
僭越ながら、親近感を覚えていた。
陰ながら、平穏を願っていた。
泣いた以上に笑えただろうか?
生きぬいてほしかった。
心より、心より、ご冥福を──。