あの頃の噺を、こうして振り返ってみますと、どれもこれも、人の情けに支えられておりやしたのぇ。
紅を差す手の奥に、母の願いが宿る――茅場町の灯に揺れたあの祝い膳は、ただの晴れの日ではござんせんでした。小さな背に託された想いが、静かに息づいておりやした。
霜月の朝には、芸に生きる者の覚悟と、絹の筋のように細くとも確かな道が見えてきやした。芸とは、誰かに見せるためだけでなく、自らを支える標でもあるのでござんすね。
また、越後屋の綸子に触れた折には、小さな手の温もりが何よりも確かなものとして、あっしの胸に残りやした。豪奢な品よりも、確かに心を温めるものがある――そんな当たり前を、改めて教えられた気がしやした。
やがて、大川のほとりで迎えた別れ。霧に包まれたあのひと時は、三つの情が静かにほどけてゆくようでござんした。藍鼠の包みの中には、言葉にならぬ想いが、そっと納められておりやした。
そして、霜月の嵐。雷鳴に揺れる座敷の中で、それでも消えぬ火のように残る情がある。南天の赤が示すように、どんな時でも人の想いは絶えやしないのでござんす。
振り返れば、どの噺にも派手な飾りはござんせん。ただ、人が人を思う、その当たり前が、形を変えてそこにあるだけでござんした。
あっしは、そんな情を、これからも語り続けていきたいと思うのでござんすぇ。
辰巳の女 胡蝶