ボツになった、逢坂の生前の事件をプロットのままだします。
小崗子の裏路地、白系ロシア人っぽい美少女(?)が、黒く裾が楚々と広がるチャンパオを着て煙管を吹かしている。
中国人の男に「多少銭」って声掛けられた美少女が「物売はしてない」つって、チョイチョイと表通りに面した大きめだが高級ではない酒店(ホテル)の裏口に入ってって、2階に上がって美少女が「僕は売り物に見えますかね。売春してると間違えられましてん」って帝国陸軍の大隊長室に入って言う。
大隊長の秦少佐が「怜ちゃん、その格好、軍紀違反だからね。非番でもせめて和服を着なさい。憲兵に捕まるんじゃ済まないよ、少尉なんだから」
美少女の正体は少年。帝国陸軍の逢坂少尉だった。怜くんと呼ばれる彼は、憮然として言う。「どうせこのへん、露西亜人多いんですから、バレやしませんよ」秦少佐「バレるから。まあそこの控室にいなさい、そこなら軍服でなくてもいいから」怜くん「はぁい。…やっぱり煙草は紙タバコのほうがいいや、煙管って結構むせますね…」って、紙タバコに火をつける。
そこに電話。憲兵の青峯中尉が「秦と遠見の逢坂はいるか!?30分後に行く!」
怜ちゃん「やべ」って、慌てて軍服に着替える。
で、憲兵の青峯中尉が駆け込んできて「秦少佐!大事件じゃ!はよう現場来てくれ、協力要請じゃ!!」っていがぐり頭で喚き立てて秦少佐と怜ちゃんが顔見合わせる。場面変わって重厚な邸宅で、箪笥付き鏡台の前でひたすら切った女の髪をムシャムシャしてる下士官2人と、憲兵と警察に捕まってるけど睨みつけてくる妙な男のいる部屋に連れて行かれて、秦少佐が「青峯君、説明を求めたいんだが」青峯中尉「昨日の夜のことなんじゃが、この男が自分の嫁と子供を殺して逃げた。そのあと状況を聞いた憲兵の伍長と曹長が現場確認のため、殺害現場のこの部屋を検分してそこの箪笥開けたら、「禁后」て書いた紙が出てきてな…それから三段目の箪笥開けて見たら、狂うてこのまんまや。おれができる説明はこれだけや。後のことは皆目わからんのじゃ」秦少佐「とんでもない猟奇事件に思えるんだが、なんで我々にお呼びがかかったのかな?」青峯中尉「猟奇趣味な人形好きの秦と、まじない好きの少尉が一緒におったら、この状況で呼ばん選択肢あるか?」秦少佐「…猟奇趣味の人形ってベルメールのことかい。怜ちゃんこの人ほんとに美術ってものをわかってないねえ」怜ちゃん「まあベルメールは一応退廃芸術に入りますからね。猟奇趣味じゃないと思いますけど…でもまあ、僕を呼んだのは割と理に叶ってはいますね…この状況がどういう術かは、そこの犯人さんにしっかり聞かせていただきましょう」秦少佐「伍長君、曹長君、大丈夫?うーんこりゃあかなり参ってるなあ…駄目だな、俺の少佐の星を見ても微動だにしないとはとんだことだぞこれは。怜ちゃん、これも術なのかい…?」怜ちゃん「でなけりゃ大の男が同じようには狂いませんやろ。狂気はもともと似たような症状ですけどね…今回のは特段おかしい。とりあえず全員この部屋から一旦退避したほうがよろしいわ」
このあとはまず、伍長と曹長を担架に乗せて運んで休ませながら、階下のこの家の応接室に陣取って溜肉段あたりの出前と烏龍茶を囲みながら怜ちゃんが「おかわりありますん?」青峯中尉「えー、あの状況見て飯進むの強靭すぎやろお前…」怜ちゃん「烈帛の意思にて溜肉段を平らげております」秦少佐「美味しくて止まらないのは烈帛の意思ではなくてただの食欲増進なんだよ怜ちゃん。さて、…この応接室でも大連警察がかなり行き来してるが…婦女殺害の猟奇事件といったね?穏やかとは言い難いが、どうしたことか聞かせてくれるかい青峯くん。特に…あの犯人の、如何にも自分は正しいことをしたという感じで人を殺した目つきが、俺はきわめて気に入らないね」青峯中尉「あんたらが、そないな目つきが大のお気に入りって連中じゃったら、もっと他の憲兵とよろしくやれたろうよ。俺みたいなうだつの上がらん奴にこきつかわれることもなかったやろな。まあ聞け、めんどい話や」タバコに火をつける。怜ちゃんはお肉もぐもぐしている
秦少佐が烏龍茶をぐいっと飲み干して、状況だけに手酌でお代わり注いでるなか、青峯中尉の指示で犯人(容疑者)が連れてこられる。
怜ちゃんが「何やらはりましたの?」って問うと、容疑者は「するべきことをしたまでです。私が正しいことを証明したのです」。
青峯中尉「嫁は志免八千代。娘は志免貴子。この犯人の男は志免巌吉(しめん げんきち)。志免家の婿養子や。志免家は、まあ、昔昔の平安の御代には大層栄えてな、もとは公家の分家筋やったが、もう今は華族でもなく、大連で普通に商売をやっとった…」
青峯中尉「大連での商売は、まあ中堅どころの家やな。指物、特に箪笥の腕がきわめて良かった。巌吉は指物職人じゃのうてな、注文受けては抱えた職人に指示を出す、まあ営業回りやな。殺害した嫁の志免八千代とは、広島のパーラーで出会ったらしい。志免家は公家言うても、どこにでもある応仁の乱で全国に落ち延びた家の一つに過ぎんのや」怜ちゃん「でも公家でしょ。どれくらいですん?清華家や摂関家ですかね?」青峯中尉「いやあ、わからんが、そこまで上やったら、巌吉の性格なら自分から言いそうやなあ… てか、逢坂少尉、お前他人の家柄気にするんか?意外やな」秦少佐「確かに意外だ。怜ちゃんあんまり家柄を言うタイプじゃないのに」怜ちゃん「…事件が事件だからですよ。身分の話やない。皆さん、ほうかいさまって知ってます?」秦と青峯「は??」怜ちゃん「全国的にも伝わりますが、僕が聞いた話だと、土佐一条家に伝わる地鎮の儀式でしてね、法界様といいます。昔の公家は、八百万の神との霊的な仲介人みたいなところがありましてな…奇妙な儀式がよう残ってるんですわ。志免家はもともとどのへんの家ですか?近畿です?」青峯中尉「志免八千代の里か? …中国地方らしい。島根のほうと聞いたがな…」怜ちゃん「島根……毛利の土地ですな。あの辺は大陸との繋がりが古い。倭寇も勘合貿易もある。しかも、箪笥職人というのが妙です」秦少佐「俺は越後だから、そのへんのことは皆目わからんが…箪笥と勘合貿易、何か関係が…?」怜ちゃん「調べてみんとわかりませんがね…巌吉殿、なんで箪笥のご商売をなさったんですかな?」志免巌吉「…志免家の家業です。私は家の商売をやったに過ぎませんよ」怜ちゃん「家の商売を頑張った末に可愛い妻子を手に掛けたら元も子もありませんやろ。」志免巌吉「軍人さんがお気にめすようなことは言えません。だが、私は1つとしておかしなことはいたしておりません。全ては、五族協和、王道楽土のためにやったことで御座います…」
(軍人三人の顔色が変わり)秦少佐「満州国のスローガン…!?」
青峯中尉「…場所変えるぞ! おい若いの!志免巌吉は面会厳禁、とにかく憲兵詰所の地下室に放り込んでおけ、今の言葉、誰にも知られるなよ!!」
でまあ、現場の洋館の外に出た三人、青峯中尉に部下の憲兵が「中尉殿、被害者たる志免八千代、貴子母子の父親の志免馬江から、「必要な処遇を致したい」と依頼が」青峯中尉「必要な…?なんや、それ」部下「はあ、珍妙な話で。なんでも、使いの猫を呼ぶので、憲兵各位にはご退散願いたい、とのことで」青峯中尉「猫…?」怜ちゃん「猫ですか。へえ、猫使いね…馬江さんにお伝えください、猫はいりませんわ。僕はそのへんの猫より遥かに強い猫みたいなもんや」秦少佐「怜ちゃん人間語で喋ろう? 猫語じゃなくて」怜ちゃん「猫語ちゃうし。お伝えねがえませなんだら、僕が馬江さん説得にいきます。猫はいりません」青峯中尉「猫に対する断固たる拒否感はなんじゃ?ライバル意識か?逢坂」怜ちゃん「ちゃーいーまーす。とりあえず馬江さんに会わせていただけますやろか? 猫使いいうことは、おそらくあの箪笥のことも知っとるはずや」青峯中尉「そこまで言うなら…」
別の酒店(ホテル)の一室。洋風の椅子に座る志免馬江と、軍人三人にお茶を入れてくれる奥様。床に数匹の三毛猫がいる。
青峯中尉が軽く奥方に頭を下げ「何度も押し掛けて恐縮です」奥方はやつれて言葉なく下がり
志免馬江「…下手人の義息は、放っておいてよろしいと申し上げたが」
怜ちゃん「猫で始末すると仰ったそうですね」言いながら、怜ちゃん、猫をチチチ、と呼び
志免馬江、渋面で「…猫には触れないで頂きたい」
怜ちゃん「僕猫好きですねん。可愛いやんか。ほら、おいで」
志免馬江「まあ、餌でもなんでもやればよい」
怜ちゃん「餌はないな、水餃子も僕が食べてしもたし。でも、大陸で猫の術はあまり感心しませんよ。本土より遥かに効きますからな」
志免馬江「…なんだ、憲兵さんにも、おりますか、術使いが?」
怜ちゃん猫に膝に乗られながら
「僕、憲兵でも関東軍でもないですよ。ただの士官です。
でもまあ、そこらの猫よりは僕、気も念も強いですがね。」
怜ちゃん、猫を二匹膝に置いて撫でながら、奥方の入れてくれたお茶を一口飲んで「猫鬼より日本鬼子(リーベンクイズ)のほうが強いのは自明ですやろ?僕はれっきとした洋鬼のなかの東洋鬼ですねん。あの旦那さんは僕がこの猫ちゃんに代わってしっかり落とし前つけましょ。で、そのために聞きたいわけですが…あの箪笥を開けた人間は「何処に行く」んですか?」
志免馬江、その問いに黙り、視線を泳がせたあと「…鶴子。答えられるか?」と奥方を呼ぶ。やつれた奥方、着物の裾を払いながらお茶瓶を片付けようとするも、秦少佐が「おかまいなく」と制し、「どうかおかけになってください。長い話になりましょうから」怜ちゃんも頷き、青峯中尉はお茶で一服しながら、猫に膝に乗られつつ、ボソボソと奥方ーー志免鶴子が話し始める。
「奇妙な話で御座います。わたくしの家、志免の家には、おかしな風習が御座いました。母親が、娘を道具として使い楽土へ行くという、道理の通らない話ですが…そのようなことができると、祖母の代までは真剣に信じられていたので御座います。」
「志免の家では、必ず女がこれを行うことになっておりました。娘を複数人産み、その娘のなかから一人を道具として選びます。道具となった娘には、鏡台を買い与えます。その娘には、普段使うのとは違う、もうひとつ、どうにもおかしな名前をつけるので御座います。そして、十を数える歳まで、猫使いの陰陽術ーー惨う殺したり、猫をバラバラにして組み直させたり、気の触れたようなことばかり教えるのです。十になりましたら、娘に爪を差し出させます。十三のときには歯を。それを鏡台の箪笥にしまい込みます。そして、十六のときには、髪を全部差し出させて…丸坊主になるほど刈り切って、その髪を母親が食べてしまうのです。そうしたら、母親は、娘をつこうて、王道楽土に行けるのだと…
今思えばあまりにもあまりな迷信、正直、明治維新からしばらくしたら、こないなおかしなこと、と曾祖母もおもうたらしくて、鏡台は嫁入り道具に仕立てましたんけど、おかしな名前も形式だけつけましたけども、もう儀式やらおかしな子育てやらは、やっては御座いませんでした。
ーーそれを、どこから聞いたんでございましょうねえ…あの婿の巌吉は、本当のことやと思い込んで、自分もその王道楽土に往くんや、満州国を我が手で作ると狂乱し、ーー此度の…八千代と孫の貴ちゃんを…あないに殺して…」
「鶴子…
もうええでしょう。とにかく、これは志免の家の問題です。我々が対処を」
嫁の鶴子を庇おうとする馬江。顔を見合わせる秦少佐と青峯中尉。怜ちゃんのみが猫の首を撫でながら、お茶を飲みひと言「王道楽土に…行けましたん?」
志免馬江、かぶりを振って「知りません。娘の十六の儀式を終えた母親は、魂が楽土に生き、身体は人型の風船のように、廃人になっておりました。私も最後の一人を見ましたが…あれは何だったのか…」
青峯中尉「普通にクソ怖い話なんじゃけど…」秦少佐「女の髪は怖い怖い」青峯中尉「犯人の巌吉は娘の貴子が数えで十になった今年に、正月明けに犯行したことになるな…?しかも現場に貴子の髪と歯と爪が散らばって」秦少佐「なにそれ更に怖い。泣くよ?大の男の俺、泣いちゃうよ?」怜ちゃん「その儀式はーーいつくらいから始まりましてん?」
秦少佐「うわ怜ちゃんそれ聞く?聞ける?この空気で聞いちゃうんだ?」青峯中尉「逢坂少尉の勇猛果敢さは隊の誇りやな秦(棒読み)」
たじろいだ志免鶴子、少し首を傾げて「さあ…命からがら、京から落ちて来た頃いうから…応仁の乱の頃やないでしょうか…」怜ちゃん「ならまあ、辻褄は合いますね。鏡はおそらく、神棚か何かが変じたものでしょう。術の本体は箪笥と、名前でしょうね。猫を使うのも分からなくもないです、猫鬼の呪詛は陰陽寮で管理されていたはずですから、お公家さんなら知れるでしょう。島根といえば出雲の阿国をはじめとする旅芸人が多いですし、猫は遊女や三味線づくりのために手に入りやすかったのではないかと。まあ三味線は江戸期ですがね。ーー旧い鏡台はありますか?もう使ってないもの。術に使わなかったものがいいな、できたら拝見したい。」
鶴子、驚いたように怜を見て
「…軍人さん、あんなもの見て、狂いませんの?」
怜「多分僕なら、使わなかったものなら狂わないでしょうね。ーーでも秦さまと青峯中尉は中は見ないでくださいね?あの憲兵の下士官さんみたいになります。あの狂いは伝染するんです」
志免馬江、困惑しながら、殺害現場の石造りの屋敷の屋根裏に案内しながら「まさか、憲兵さんや軍人さんが、こないな話を大真面目に聞いてくださるとは…」
青峯中尉「いやまあ…事件ならお聞きして当然というか…人も死んでるし、俺の部下も助けないかんのでして」
秦少佐「怜ちゃん、君ほんとに大丈夫かい?君が狂ったら、一周回って真っ当な軍国将校になっちゃうんじゃないかい? 豊橋の軍学校で酒とタバコしか覚えなかったろくでなしの怜ちゃんじゃなくなっちゃうんじゃないかい?」
怜「少佐どの、人をめちゃくちゃ不真面目な将校みたいに言わんといて下さい。まあ闇市でまじない漁るのに忙しいから軍国主義スローガンとか真面目に読んでませんけども…あ、これがその…鏡台ですか?鶴子さん」
屋根裏に鎮座する家紋入りの鏡台。枳殻紋。
鶴子「はい、わたくしの鏡台で御座います…全然気にもとめておりませんでしたが…三段目の引き出しは絶対に開けぬようにと、母から」
怜「お名前は二段目に?」
鶴子「一段と二段目双方に…って、あ!」
怜くん勢いよく三段目開ける。
凍りつく空気。
怜、眉を寄せ
パタリと箪笥を閉めて
怜「Eἰς τὴν σιγὴν τοῦ Λόγου, ἄπελθε, πᾶν εἴδωλον...
…よし、なるほどなぁ…」
怜、握りしめた薔薇十字のロザリオを見て息を整える
青峯中尉「何がじゃ。何がどうなった」
怜「あ、ほんとに開けんほうがええですよ。僕も一、二段目は確認できません。秦さまは絶対開けないで。青峯中尉どのは、死にたいなら開けてみてください」
青峯中尉「扱い!秦と俺の扱い違いすぎるやんか!!」
怜「秦さまはうちの大事な隊長様なのでー」
秦少佐「副官は可愛がっとくもんだなあー。
…しかし、こりゃあ何だい、怜ちゃん」
怜「髪はありましたね。鶴子さんの「もうひとつのお名前」も。でも術は完成していません、というか、かなり雑にほかされてますわ。本当に志免家では、もう術は行われてなかったようです。鶴子さんは潔白です。あと、馬江さん」
馬江「…ええ」
怜「猫を使う術、そんなに知りませんね? 危ないところやった。日本本土ならまだしも、大陸で猫鬼の術はまずいですよ。本土と違うて、こちらの道教の神々や三尸に絡んでしもたら、馬江さんまで命落とすところでした。図々しく乗り込んで良かったわ」
馬江「…軍人さん、あんたは何者です?」
怜「ただの少尉です。秦少佐の部下の。あと、憲兵の青峯中尉の使いパシリですな」
志免家が借りてるホテルに戻って、桃の砂糖煮をもぐもぐする怜ちゃん、烏龍茶を飲む秦少佐と青峯中尉。
青峯「で、なんかわかったか、逢坂少尉」
怜「まあわかりましたけどね。一応、馬江さんと鶴子さんのご夫妻に、僕の考えを聞いていただいて、間違いがあったら訂正していただきたい。
この「娘を使う術」、これは、母親が王道楽土に行くために娘をつこうたともいえるが…もとの目的は、「娘を残す」ための術やないかと思いましてな」
秦少佐「…とは?」
怜「応仁の乱当時において、公家、特に武術に優れんかった家にとって、男は邪魔です。けんど、女は確かに使い道がありました。志免家の家系図は見てないからわからんけど、公家にとって最も栄達に近い手段は、昔も今も、「娘を帝の後宮に入内させる」ことです」
秦少佐「…えらく旧い話だね?」
怜「旧い家のことですからね。入内さえさせれば、母親は国母、ひいては摂関家として王道楽土も夢やなかった時代がありました。娘を道具にして母親が王道楽土にいくという考え自体は、公家にとって普通に見れる夢やった。ーーま、応仁の乱で、決定的に壊れたわけですけどな」
秦少佐「鎌倉や室町の幕府ではなくて?」
怜「その頃もまだ、源の家が途切れたら、帝の縁者から将軍を呼び寄せたりして帝のご威光はありましたし、室町でもまだ有力武家に娘をやって一発逆転の夢はありました。どうにもならんなるのは応仁の乱ですわ。」
青峯中尉「志免家が島根に落ち延びた頃か」
怜「島根では、まだ大内家の勘合貿易があり、倭寇もおり、大陸との交流がありましたやんか。で、僕あの箪笥開けて驚いたんですがね。あれ、壺中天の術ですわ」
秦「こちゅう…てん?」
怜「壺中天の術、壺や瓢箪の中に理想郷や庭を作って入る、道教の仙術の一種ですね。後漢書の方術伝にもある、有名な術です。」
青峯中尉「すごいな、すぐに謎が解けたのか!?名推理の探偵じゃないか!!でかしたぞ逢坂少尉、表彰もんじゃ!!」
怜「あ、いやあ…」桃もぐもぐ…「三段目の引き出しに、壺中天用の符札がガッツリ貼ってあったの見ただけですねん…あの術有名やから、まあ後漢書に書いてあるくらいやから、大連の闇市でも山ほど符を見かけましてな、結構安く買えるんで僕も収集しとりまして…」
青峯「…あっそう…え、名探偵ちゃうん…?感動返して??」
怜「なんかすんません…」
馬江「え、ということは…あの箪笥は虚仮威し…??」
怜「いや、符は間違いない本物でしてん。でなきゃ僕も自分を正気に戻すためにギリシャ語の呪文唱えて師匠からもろた薔薇十字握ったりせぇへん。島根に流れ着いた、本物の大陸の道士様が、志免家のご先祖様に依頼を受けてしっかり作ったんでしょうな。
応仁の乱で、この世の王道楽土への道が叶わんようになった志免家は、京の美麗な庭を、あの箪笥の三段目に呪術で拵えて、そこに行くことを目的としたんやないでしょうか。戦乱の際には、知識人や高貴な方々がよう竹林やらいろんな場所に逃げ込みますが、志免の皆様方は、壺中天の仙術の庭園に逃げ込んだようです。壺中天の仙術そのものは身体ごと入るものですが、あの箪笥の三段目にあった札は、夢符と呼ばれるもんやった。王道楽土にいった母親は、人型の風船のような廃人になったそうですな? おそらく、夢の中で意識を仙術の庭園に逃したあと、意識が身体に戻らんかったんでしょうな。でも、その肉体はなぜか親族によって生かされていた…ということは、おそらくやが、「機会があったら戻る」つもりやったのかもしれません。つまり、この世の現世に王道楽土を作れるーー入内もしくは力ある武家との縁談の機があれば、その女は、仙術で作った庭ーーおそらくは入内も叶うほどの教育が施せる豊かな空間ーーから、出すことも想定されとったん違いますやろか? 残念ながら、その機会は来ることないまま、明治維新、すなわち公家の入内の夢が完全に途切れる、四民平等の世のときまでこの術は続いてしもたわけですが。鶴子さんは、もう志免家の悲願たる入内もしくは、公家として返り咲けるほどの一発逆転の縁談が制度的に不可能になって以降の方やから、壺中天の術に組み入れられることはなかった。
爪も歯も髪ももう一つの名前も、要するに「家の女児の中でも最も値打ちが高い子を壺中天に入れて入内のための教育をするための、壺中天への入場券」やったんやないやろか?
志免家のお二方ーー間違っとったら、言うてほしいんですが」
馬江「鶴子…わかるか? 私は、昔後漢書は読んだことがあるが…これが現実とは思えん…」
鶴子「…少尉さんでしたね。私は、もうその「楽園に行く教育」はされてませんので、実際のところはわかりません…でも、確かに、祖母に何度も後漢書の壺に入る仙人の話は読み聞かせられました。
そして、気になっていることが御座いますの。私どもの家では、女は十で爪、十三で歯、十六で髪を母親に差し出していたで御座いましょう? 十六には母親も失っておりましたわ。 まるで、七歳の袴着、十二から十四の裳着の式、その後十五以降の婿取りのような…年齢は違いますけれど、近うございまして、しかも三つの儀式というのが実に気味が悪うございますの。婚姻の儀も、三日夜の餅というでしょう…三というのが、実に薄気味悪いことで…」
怜「古来より三は神話的な数字と言われとります。僕は西洋魔術を嗜みますが、三はヘルメス神秘学でもよく出てきますよ。聖書かて三位一体の教えですからね。しかし、十というのは男児が殿上に参上できるようになる歳、十三も裳着や元服に近く…元々志免家においては男児女児ともに行われていた儀式のような気もしますね…時代を経るごとに、より女児に偏っていったのかもしれません、例えば容姿に優れた女子が多く生まれたですとかね…歴史というのは、常々運命の気まぐれで動くものでっしゃろ。でまあ今回の…巌吉氏のことですが」
青峯中尉「巌吉の目的は何だ?」
怜「さあねぇ…少なくとも、壺中天の術について感づきはしたんちゃいますかね? 道教の修行や寺の修行、魔術の修練をしてれば、箪笥の三段目を開けることも符をみることも、それだけならできますからね。吸い込まれんように気持ちをしっかりしとけばええわけですから。
でも壺中天の術を昭和に見たところで、一体何思うもんですかねぇ…?」
秦少佐「ええと、その壺中天っていうのは…ひょっとして、石油が出たりはするのかい、怜ちゃん?」
怜「まあそのように設計すれば出るでしょうな。でも現世に運べるわけないですよ。農産物も、両手で無理なく持てる程度ですかねぇ。そんなに何もかも便利に、酒とか菓子とか持って出てこれるもんやなし…」
青峯「巌吉は一体何のために娘の貴子を殺したん…?」
怜「まあ、確かめる方法は一つありますなあ」
秦少佐「なんだい怜ちゃん」
怜「僕らが、巌吉連れて壺中天入ればよろし」
まわり全員「は??????」
事件現場に戻り
青峯中尉の部下の伍長と曹長は髪をもっちゃもっちゃしゃぶってる
そして鏡台
床の四方になんか書いてる怜ちゃん
「これで…準備できましたで」
青峯中尉「とりあえず、その壺中天の中に、俺の、この、狂った部下二人がおるちゅうことか…?」
怜「ですね。」
青峯「どんくらい広い?どう探せばええんや?曹長は娘が産まれたばっかりや、さっさと連れて帰らな、こいつのかみさんに申し訳立たんのじゃ」
怜「青峯中尉はとりあえずこの部屋を拠点に捜索してください、この鏡台の部屋そのまま、壺中天に入りますから、部屋さえ見失わなければ大丈夫のはずです。秦少佐さまはですね」
秦少佐「俺も行くんだ…俺も人数入ってるんだ…大隊長少佐の俺と副官の怜ちゃんが席外すってなんなの?前代未聞だよ?」
怜「しゃあないですわ、僕の飼い主は秦さまでしょう。壺中天には志免家の女性と一緒に大量の猫がおりますねん、飼い主おらん猫は猫会議で扱いが厳しいんですわ」
秦少佐「猫会議あるんだ??向こうにもあるのかな???いやもういいよ、猫ってか、怜ちゃんはうちの大隊が誇る猫又だから仕方ないよ…」
怜「あとはまあ、そこの巌吉氏、あんたさんも連れて行くからな!」
巌吉「…フン、関東軍ですらない連中が粋がりおって…」