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2017年7月22日 11:14
自主企画への質問
自主企画「近代文学」に関してご質問がございましたら承ります。
鳥海勇嗣
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9件のコメント
野口マッハ剛(ごう)
2017年7月22日 12:13
近代文学の近代は、現代も含まれますか?
初めまして♪
鳥海勇嗣
2017年7月22日 12:36
野口さん初めまして。
書き方悪かったですね申し訳ありません。
含まれます。近代以降文学と解釈してください。
歴史的には近代と現代別れますものね。
企画の文章も変更しておきます。
夷也荊
2017年7月22日 21:47
鳥海勇嗣 様
初めまして、夷也荊と申します。
鳥海勇嗣様が主催されている「近代文学」についての質問です。
説明文に、「個人」ということが強調されているように感じたのですが、小生は普遍性を持たせるために、個人どころか性別も分からないように書いた物があります。こういった作品は、この企画には向いていないという事でしょうか?
御返答、よろしくお願いします。
それでは、質問まで。
鳥海勇嗣
2017年7月22日 23:14
夷也荊 様
ご質問ありがとうございます。
作品を読ませていただいていない状況では何とも言えませんが、語り手が社会と対峙し、その相克が描かれていれば問題はないと思います。
ただ個人かどうか、さらに性別も分からないというのは、例えていうと落語や講談のように、三人称に人格を持たせたように語られる物語ということでしょうか?だとしたら少し話しは変わるかもしれません。というのも、神の視点で語るものが社会から自分の主体を脅かされることはないからです。語りながら本気で苦しむ咄家がいないのと同じです。
とはいえ、夷也荊様が社会との相克を、間違いなく御作にて描いているのだとお考えであるならば、それはもう私からは何も言うことがありません。何より、募集要項にもありますが、お気軽にご参加いただければ結構です。
御作の御応募、お待ちしております。
鳥海 拝
夷也荊
2017年7月23日 00:48
鳥海勇嗣 様
おはようございます、夷也荊です。
丁寧なご回答をしていただきまして、誠にありがとうございます。小生には難しいことは分かりませんが、拙作は一人称が2作、日記が1作、二人称が1作の短編集になっております。
「お気軽に」というお言葉に甘えて参加させていただこうと思いますが、鳥海勇嗣様がもしご覧になって、「これは違う」と思われた場合は参加を取り消しますので、その場合はお知らせいただければ幸いです。
それでは、お礼まで。
SATAカブレ
2017年7月24日 17:38
お世話になります。SATAと申します。
近代文学がなんたるかは私には説明し得る事が出来ないのですが、その可能性に未発達な感覚に私の作品も混ぜてもらいたいなと思って参加しました。
鳥海勇嗣様には早速レビューいただきましてありがとうございます。
個人的なイメージなんですが、近代文学って一方的に発信してなんぼ、一方的に受け取られてどうもありがとうって感じがするので、
作者も感想書く人も無責任に吐き出す事でもっと面白くなるような隙間的な魅力があります。
ともあれ、企画者様は確かな目で読んでくださっていると私は思います。
素敵な企画ありがとうございます!
この発言も、無責任です。笑
鳥海勇嗣
2017年7月28日 06:09
SATA様
コメントありがとうございます。
近代文学がなんたるか、それは実は私にも正確に理解できているものではありません。恐らく文芸批評や文学史を勉強している方がこの企画を見たら噴飯してしまうでしょう。ただ、そういった人たちはこういったサイトに関わり企画を立ち上げるようなことはまずしないので、あえて私が、率先して氷山から飛び降りる人鳥(ぺんぎん)がごとき、恥かき覚悟の心意気で企画を発案したのです。
おそらくSATA様が今回の企画において感じられているのは、近代文学におけるものというより、読者が作品より下にいるか上にいるかの違いだと思います。そしてそれが一昔前の読者対作品、現在の読者対作品の構図に当てはまるのかと。
昨今の商業主義の作品、さらにはWEB上に発表されるPV稼ぎが重要な作品は作品に対して読者が上いにます。この場合、彼らは読者というよりお客様だと捉えたほうがいいでしょう。そしてお客様に対して、作品は殆んどの場合「彼ら以内」でなければなりません。道徳観、倫理観、人生観に世界観、加えて美的感覚に至るまで、それらが読者の理解できるもの、受け入れ易いものでないとならないのです。
しかし読者が作品より下にいる場合は違います。作家は読者以上の価値観を作り出すため、常に自己の内面や対面する社会と向き合い高みを目指し作品を創造していくのです。時にそれは読者に対する無責任さも伴うでしょう。けれど読者はその作品で提示される何事かを一旦「肯」として受け入れ取り入れ、それによって人生観や世界観が変わったり、受入れ難いとしても結果的には「そういう世界・人間がこの世に存在する」という形で見識の裾野が広がったりするものなのです。例えば、梶井基次郎の『檸檬』を読んで誰が主人公の気持ちに共感するでしょうか。例えば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んで、誰が登場人物に感情移入できるでしょうか。しかし、それらは私たちの人生に爪痕を残します。もし読者が作品より上にいるのならば、前者は単なる鬱病患者の奇行であり、後者は単なる近所迷惑なDQN一家による大騒動程度にしか読まれないでしょう。
ここまで書くと、読者が作品の下にある方が良いことのように見えるかもしれません。しかし、これにもデメリットがあります。このやり方で場が盛り上がるには、書き手の才能を保証する評論家・批評家が必要となってくるのです。そうでなければ、作品の下に読者がいるというのに、一体誰がその書き手の才能や作品の優劣を判断できるでしょうか。結果として、その評論家や批評家のフィルターや選別がない状態では、無責任に追求することと無責任に書き捨てることの区別が曖昧な作品が氾濫することとなります(もっともその明確な区別など、醗酵と腐敗と同じくらい無いものなのかもしれませんが)。
つまり、この企画ってカクヨムといった小説投稿サイトには不向きなものなんですよね。けれどもそんな矛盾を孕んだ企画に、SATAさんをはじめ集まってくださった方々に感謝しております。
夷也荊
2017年7月30日 21:02
鳥海勇嗣 様
おはようございます、夷也荊です。
この度は拙作『ミミのしっぽ』への分析的で的確な評価をいただき、誠にありがとうございます。あんなに長文の分析をしていただいたのは初めてで、しかも評価が全て正鵠を射ています。
外からの視点を取り入れられるこの企画に参加できて、良かったと思えました。小生の精進すべき点も挙げて下さり、本当にありがとうございます。何よりこの企画を立ち上げて下さり、ありがとうございます。
あれは一人称で良かったんですね。勉強になります。
それでは、お礼まで。
鳥海勇嗣
2017年7月31日 18:17
夷也荊様
コメントありがとうございます。
幾分か偉そうというか、かくいう己は何者だというようなレビューでしたので、もしかしたら夷也荊様の御気分を害されるのではと懸念もあったのですが、お役にたてたのであれば幸いです。
私は小説を書くという知的な作業そのものに価値があると考えています。特に夷也荊様のように、自分の周りの世界に向かい合いそれをより強度のある形で表現していくというのは、プロになる云々を抜きにしてとても意義深いことだと思います。きっとそれは、人生をただ生きていくよりも遥かに豊かにするでしょう。これからも、誰の為でもない、自分の高みを目指すような作品を書き続けてください。期待しております。
鳥海 拝
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