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没になった短編百合『酔ってしまった可愛い後輩に、理性を試される先輩の話』

 チャイムが鳴った瞬間、私はパッと顔を上げた。

 今日の授業は、なんだかいつもより長く感じた気がする。
 とくに最後の数学は、黒板を見るだけでまぶたが閉じかけて……はっ! って何度か自分のほっぺたつねったくらい。

「……ふぅ。終わったぁ〜」

 ぼそっとつぶやいて、私は急いでノートと筆箱をカバンに放り込む。

 だって、放課後の一番の楽しみが、すぐそこにあるから。

 廊下に出て、昇降口の方へ早足で向かう。
 まだ人の波が広がりきる前のタイミング。
 たぶん、先輩はもう下駄箱のあたりにいるはず……!

「つむぎせんぱーいっ!」

 玄関先に、小さな影を見つけた瞬間、私は思いきり手を振った。

 すらっと伸びた背中、整った横顔。
 制服のスカートが風にふわりと揺れるその姿は、なんだかちょっと絵になってて──

 胸の奥が、ぎゅっとなった。

 好きだなって、思った。
 こんなふうに思うのは、もう何度目か分からないくらい。
 でもそれを、口に出す勇気はずっと持てないままでいる。

 伝えたいけど、伝えられない。だって、先輩は私のこと、どう思ってるんだろう。迷惑だったらどうしようとか、そんなことばっかり考えちゃうから。

 だから私は、せめて「好き」って言葉の代わりに、こうやって毎日手を振るんだ。

「先に行っちゃうなんて、ひどいよ〜!」
「まだ玄関にいただけだよ」

 紬先輩はいつもの落ち着いた声で、ちょっとだけ笑った。
 口元に浮かぶあの柔らかい笑みが、どうしてこんなに胸にくるんだろう。

 こうして話してると、つい距離を詰めたくなっちゃう。
 だけど、あと一歩が怖い。近づきすぎて、嫌われたらどうしようって、つい足踏みしちゃうんだ。

「でも、先輩ってたまに“すっ”て消えるからさ、気づいたらいないこと多くて!」
「それはひよりが毎回寄り道してるから、でしょ?」
「うっ……否定できないっ」

 先輩のとなりに立つと、なんだか落ち着く。緊張するのに安心もしてて、心がふわふわする。不思議な感覚。でも、私はこの感じがすごく好きだった。

「ねえ、ひより」

 ふと、名前を呼ばれて顔を向けると、先輩は私のほうを見下ろして、ほんの少しだけ口元をゆるめていた。

「今日ね、新しく作ったお菓子があるんだけど……もしよかったら、うちに寄っていかない?」
「えっ、お菓子? 先輩が作ったの?」
「うん、試作品だけどね。味見してもらえたら嬉しいなって」
「食べるっ! 行く! いきますっ!」

 返事はほとんど反射だった。
 嬉しさと驚きとで胸がいっぱいになって、気づいたら首をぶんぶん縦に振ってた。

「じゃあ……今日は、お邪魔しますっ」
「うん。じゃあ一緒に行こうか」

 そう言って歩き出した先輩のあとを、私は小走りで追いかけた。ふたり並んで歩く帰り道。会話はぽつぽつと続いているのに、沈黙が怖くなかった。

 夕方の光に照らされて、先輩の横顔が少し赤く染まって見えた。たぶん、それは夕焼けのせい。──そう思い込むことにした。

 こんな時間が、ずっと続けばいいのにな。そう思いながら、私はそっと小さく深呼吸した。



 ────



 「お邪魔します」

 靴を脱いで上がった私は、そっと声をかけながらリビングに足を踏み入れる。
 ふわっとした香りが鼻をくすぐって、自然と肩の力が抜けるような気がした。

「お菓子、準備してくるから、ちょっと待っててね。飲み物も、冷蔵庫の好きなの飲んでいいよ」

 紬先輩はそう言って、キッチンの奥へと姿を消した。

「はーいっ」

 返事をしながら、私は小さく深呼吸してから立ち上がり、冷蔵庫へと向かう。中にはペットボトルや瓶がいくつか並んでいて、私は何気なく、そのうちのひとつを手に取った。

 ラベルは見えづらく、文字も読み取りにくい。でも、なんとなく果物っぽい絵が描いてあって、「ジュースかな?」と思った。

 コップに注いで、一口。

「……ん。おいし」

 甘くて、ふわっとしてて、ちょっとだけ炭酸みたいな刺激があって。
 思ったより軽い味だったから、喉が乾いていた私は、調子に乗ってもう何口かぐびぐびと飲んでしまった。

 ……けど。

「……ん……?」

 少しして、体が急にあったかくなった。

 ぽわぽわして、頬が熱くて、耳の奥がじんじんしてきて、なんだか──ぼーっとする。頭の中も、ちょっととろけたみたいに軽くなっていて、何処か楽しさを感じた。

 ぼんやりと周りを見渡して、私はソファにちょこんと腰を下ろした。
 クッションに沈む感じが、今日はいつもよりずっとやさしくて、まるで誰かにぎゅーって抱きしめられてるみたいだった。

「ん〜……ふふ」

 自然と口元がゆるんで、声が漏れる。
 意味もなくうれしくて、心の中がぽかぽかしている。

 なんでかなぁ。よくわかんないけど、きっと──先輩の家に来てるから、かな。

 先輩といると、こういう気持ちになる。
 安心して、あったかくて、気を抜いても平気って思える。

「なんで、あんなにやさしいのかなぁ。ずるい……」

 独り言みたいに、ぽつりぽつりとこぼれていく言葉たちは、全部、今までしまっていた気持ち。

 そばにいたくて、声が聞きたくて、もっと名前呼んでほしくて──
 そんなの、ふだんは恥ずかしくて絶対言えないのに。今は、へいき。

 そのとき、カチャッと控えめな音がして、私はそちらに目を向けた。

 視界の端で揺れた黒髪に、すぐ気づく。

「あっ……つむぎせんぱい」

 呼びかけた声が、いつもよりずっと甘くて、やわらかくて。自分でもちょっとくすぐったくなるような響きだった。






───────────





 side.つむぎ



 私は、ひよりのことが好きだ。

 それは、たぶんずっと前からだったと思う。
 初めて名前を呼ばれたとき、真っ直ぐな瞳で笑いかけられたとき、気づいたら、胸がふわりと浮かぶような感覚になっていた。

 ひよりは、小動物みたいに愛らしくて、でも意外と芯が強くて。泣き虫だけど負けず嫌いで。そんなところ全部ひっくるめて、目が離せなくなった。

 誰よりも守ってあげたいと思ったし、誰よりもそばにいたいと願った。
 けれどこの気持ちを伝えて、もし彼女を困らせたらと思うと、怖かった。
 だから私は、「先輩」という仮面をかぶって、そっと距離を保つことしかできなかった。

 ──けれど。

 トレイに乗せたクッキーとチョコを手に、リビングへ戻ったその瞬間。
 私は、目の前のひよりの姿に、思わず足を止めてしまった。

 クッションを抱えてごろんと床に寝転がるひより。その頬はほんのり赤くて、瞳はうるうる。こちらに気づくと、まるで猫みたいにのそのそと手を伸ばしてくる。

「せんぱぁい……おかえり〜……」

 やけに甘ったるい声に、胸がドクンと跳ねた。

 こ、これは……だめなやつだ。だいぶ、ぽわぽわしてる。
 絶対、何かしら飲んだなこの子。

「ひより、もしかして、ちょっと酔ってる?」
「え〜? ん〜? ……ひよりはねぇ、ぜったい酔ってないよ〜?」

 酔ってるやつのテンプレ発言……。
 でも、こんなふうに甘えてくるひより、見たことない。
 見たことないけど──やばい、すっごく、かわいい。

「つむぎせんぱい……ひよりね……せんぱいのこと、いちばん好き……」
「……っ、ちょ、ひより?」
「だいすき、だいすき……だ〜いすき〜……。……ぎゅってしてもいい?」

 ひよりが、笑いながら、床を這うようにしてこっちにじわじわ近づいてくる。
 怖い。いや、違う意味で。可愛さが怖い。

「ちょ、ちょっと待って、ひより、落ち着こっか?」
「やだ〜、せんぱい……ひよりのこと、ぎゅってしてくれないの……? じゃあひよりから、しちゃうもんっ」

 ふにゃっと笑って、腕をひらいて飛びつこうとするその瞬間、私はなんとか片手で制止する。

 抱きしめたら終わる。たぶん、いろいろな意味で終わる。いや本当に。

「ひより……先輩、いま、すごくがんばってるから……お願い、可愛さを抑えて……」
「へへ……うれしい〜。かわいいって、せんぱいが言ったぁ……♪ もっと言って? ひより、かわいいっていっぱい言われたい〜」
「ちょ、え、それは……その……ほんとにかわいいけどっ!」

 なんで私は今、素直にそんなことを口にしているの!?

 ひよりはというと、さらにクッションに頬をすりすりしながら、まるでとろけるみたいに笑っていた。

「えへへ〜……しあわせ〜……」

 こっちは限界なんですけど!?!?!?
 
「せんぱぁい〜、も〜っと、そばにいってもいーい?」

 ひよりがぺたぺたと這い寄ってきたかと思うと、ふわっと私の膝に頭を乗せた。
 あっ、だめ、やばい、そこはもう、あの、逃げ場ゼロの場所なんですけど?

「ひより……っ、ちょっと、それ……」
「やわらか〜い……つむぎせんぱい、いいにおい……えへへ」

 にやぁっと、夢心地な顔。やばい。
 そのまま顔をぐいぐいと、私の太ももに擦りつけながら、

「ここね〜、ひよりのおうちにする〜……ずっとここで、すりすりしてたい〜……」

 え、家にされました。
 ちょっと語彙力飛ぶくらいには可愛い。
 いや、可愛いじゃなくて、これは危険……!

 膝の上で頭をぐりぐりしながら、ひよりが私の手を両手でにぎにぎし始める。
 小さい指が絡んできて、しかも、ほっぺをすりすりまでしてきて──

「せんぱいっ、だいすき〜。ほんとに、だいすき〜。……ずっと一緒にいたいもんっ」
「ひより……ほんとに、酔ってるでしょ……」
「えへ〜……酔ってないよぉ? ひよりね、ほんとの気持ちしか言ってないもん……。うそ、なしっ」

 そのまま、私の胸元に顔を埋めて、またぐりぐり。

「せんぱい、せんぱい……ぎゅーってして? ねぇ? 好きって言って? ひよりのこと、いちばん好きって……言ってほしい……」

 くぅうぅぅ!!言いたい!でも言ったら何かが終わる気がする!!

「ひより、落ち着いて……とにかく、まず、お水飲も? ね?」
「やだぁ〜……」

 ……あ、心臓が、たぶん今、ギュンッてなった。

 ひよりはもう、完全に全身で私にまとわりついて、満面の笑みで甘えてきて。
 私の頬に自分の頬をこすりつけながら、何度も、何度も、囁くように言う。

「すき……すきだよ……せんぱいが、だぁいすき……」

 ああもうだめだ。これは反則。可愛すぎて、なんかもう……罪。
 でも、ちゃんとしなきゃ。ちゃんと、後悔させないように──

「ひより、ほんとに、今だけだからね……? あとで、ちゃんと話すからね……?」
「うん〜? なんでも聞く〜……あとでなんでもする〜……でも今は、ぎゅーって、してほしいの……」

 泣きそうなくらい甘い声で。
 顔を押し付けてくるひよりを、私は優しく抱きしめるしかなかった。

 ──そして、心の中で何度も唱える。
 理性、がんばれ。理性、がんばって。

 ──私の膝の上で、ひよりは満足げに丸まっていた。猫みたいに頬をすりすり、指をからめ、身を寄せては幸せそうに笑う。

「んふふ……つむぎせんぱい、あったかい〜……おふとんみたい……ひより、もうここから動きたくな〜い……」

 ふわふわの声で言いながら、今度は腕の中にすっぽり潜り込んで、顔を私の胸にすり寄せてくる。
 頭をなでようとしたら、先に指をにぎにぎされてしまった。

「ひより、密着しすぎ……ほら、ちょっとは離れ──」
「やだ〜〜っ」

 ぷくっと頬を膨らませて、ぎゅっと私の手に自分の頬を押しつけてきた。

「せんぱいがね? 離れようとするの、ひよりきらい〜。……ちゃんと、くっついてて?」

 そのまま、頬にちゅっとキスしそうな距離で見上げてくるから、理性が再起動しない。再起動不可能です。

「だって……せんぱいが一番なんだもん。世界でいちばん、すきだもん。ずっと前から、ひより、だいすきなんだよ?」

 言葉が、甘く溶けてくるみたいにこぼれてくる。

「いっつも、かっこよくて、やさしくて、頼りになって、やさしくなでてくれて……もう、せんぱいとしかいっしょにいたくないもん」
「ひより……」
「だからねっ……」

 小さな体が私にぎゅっとしがみつく。顔を胸にぐりぐり押し当てながら、何度も頬をすりすり。

「ひよりね、せんぱいのおよめさんになるの。決めたのっ」

 ──決められてた。人生、決められてた。

「ちょっと、ほんとに、ひより……! それ、いま言うセリフじゃないでしょ……!」
「えへへぇ……でも、ほんとのことだもん〜。うそじゃないもん〜」

 口調こそ幼いけれど、言葉はまっすぐで。甘くて、可愛くて、まっすぐで……。
 もうダメだ、って思いながらも、離れることなんて、やっぱりできなくて。

「……ほんとに……ひより、ずるいよ」

 そんな私の胸の中で、ひよりはふわぁっと笑った。

「うん、ずるいの〜……でも、せんぱいのこと、だいすきだもん〜……ぎゅーっ」

 また腕にすりすり。ぎゅーっ。

 ──心臓、3秒おきに限界迎えてるんですけど。

 もう、好きって言葉、何回聞いたか分からない。
 だけど、その一回一回が、全部まっすぐで、全部、反則級で。

 ひよりは私の腕の中で、さらにぎゅうっと身を寄せたかと思うと──

「せんぱいの胸、ふかふか〜……ぐりぐり〜……」

 くすぐったいくらいに、頭を胸にぐりぐり押しつけてくる。
 やめて。ほんとにやめて。心臓が耐久レース中なんですけど。

「……ひより、それ、ずっとやってたら──」
「せんぱいが悪いの〜。だって、こんなに気持ちよさそうに受け止めてくれるんだもん。ひより、どんどん甘えたくなっちゃう〜」

 にこにこと笑いながら、今度は私の手をにぎにぎ。
 右手も左手もぜんぶ占領されて、完全に動けない。

「ん〜〜っ……せんぱいの匂い〜……ひより、落ち着く〜……だいすき〜……すきすき〜……」
「は、はいはいっ、もう分かったから、いったんストップしよう? ね? そろそろ限界がですね?」
「だ〜めっ!ひよりの“すきすきモード”は、いま解除できませ〜ん!」

 この子……! 完全にこっちの理性試してくる……!

 膝の上でくるくる回るように甘えながら、ぐりぐり、にぎにぎ、すりすり……。このトリプルコンボ、破壊力ありすぎる。

「つむぎせんぱい……いっつも頑張っててえらいから、ひよりがたっぷり甘やかしてあげるの」
「逆! 完全に逆になってるからっ! 甘やかされてるの、私じゃなくて、ひよりでしょ!?」
「えへへ〜、じゃあおあいこってことで……」

 ほっぺをぴとっとくっつけて、すりすり。そこから首筋にすべらせるように頬を寄せて──

「……すりすりすりすり〜、えへへ〜、ここもすき〜」
「ひよりっ、そ、それはちょっとダメかも──あ、やば……っ」

 うっかり変な声が出そうになって、思わずぎゅっと息を止める。
 それでもひよりはにこにこと、いたずらっぽく微笑んで──

「せんぱい、へんな声出た〜!」
「出してないっっ!!」

 ……出てた。認めたくないけど、完全に出てた。

「えへへ~、せんぱいってば、ほんとに可愛い〜。ねぇねぇ、もっとひよりのこと、ぎゅーってしていいよ? してくれないと、もっとすりすりしちゃうからね〜」


1件のコメント

  • 尊すぎて死ぬ、致死量の尊さに私も酔っ払います。
    これはめちゃくちゃ好みのお話でした。
    ノートに投稿いただき、ありがとうございます!!
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