いつも作品を読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、サポーター限定ではなく、どなたでも読める特別読み切りです。
第144話の最後で、真壁とシオが約束した「こいあじぱーてぃー」。
その日の夜、本当にパーティーは開かれたのか。
本編第145話以降の内容には触れていません。
第144話までお読みいただいた方は、そのままお楽しみいただけます。
よかったら気軽に読んでいただけると嬉しいです。
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ホテルの部屋に戻ったのは、午後9時を過ぎてからだった。
朝から会議に呼ばれ、午後は予定されていた仕事に入り、その間も報告や確認が何度も増えた。
昨日の開会式から数えると、どこまでが今日なのか少し怪しい。
部屋の前には護衛がいる。
隣室には支援チームが詰めており、廊下の突き当たりにも見覚えのない警備担当が立っていた。
もう驚かない。
だが、自室に帰ってきた気もしない。
「ただいま」
誰もいない部屋へ声をかけ、肩からシオを下ろそうとした。
『こいあじ ぱーてぃー』
「覚えてたか」
シオは俺の手に移らず、肩に張りついたまま触手を1本持ち上げた。
朝の会議では、殻の奥にこもっている時間の方が長かった。
午後になって少し動くようになったものの、いつものように勝手に机へ移ったり、魔石の小箱へ向かったりはしていない。
それでも、濃い味パーティーは別らしい。
『やくそく』
「そうだな。約束した」
ジャケットを脱ごうとすると、シオが襟元をつかんだ。
片手で支えながらハンガーへ掛ける。
「先に着替えさせてくれ。パーティーは逃げないから」
『にげる』
「逃げません」
『こいあじ にげる』
どこへ逃げるというのだろうか。
午前中に言ったことを、俺は早くも少し後悔していた。
◇
インターホンが鳴ったのは、それから10分後だった。
護衛が先に対応し、安全確認を終えてから支援チームの女性が入ってくる。
彼女が両手で抱えていたのは、銀色の小型保冷ケースだった。
シオが肩の上で身を乗り出す。
「研究所から届きました。シオ用の回復補助食、試験調整品です」
『きた』
「来たな」
女性はローテーブルへ保冷ケースを置き、留め具を外した。
中には、小さな密閉容器が3つ並んでいる。
1つ目はほとんど透明で、2つ目は青緑色、3つ目だけは薄い紫色をしていた。
どれも人間用のゼリーよりはるかに小さい。
容器の直径は3センチほどで、底に入っている量も小さじ1杯に満たなかった。
「少なくないですか?」
「高濃度ですから。開会式後の検査値を基に、1回の上限量が決められています」
「パーティーって言ってしまったんですけど」
「研究所にも、その名称で伝わっています」
「伝えたんですか?」
「会議室にいた全員が聞いていましたので」
まさか、濃い味パーティーまで関係各所に共有されているとは思わなかった。
シオの食事記録に、また妙な項目が増えていく。
女性がケースから説明書を出す。
「試作1号は、普段の栄養液を基準にした高純度品です。試作2号はDランクの水晶系魔石から抽出した魔力成分を加えたもの。試作3号は同じくDランクですが、紫晶系の抽出液を使用しています」
『こいあじ みっつ』
「3つ全部を一度に与えても、上限以内に収まるそうです。ただし、摂取後30分は反応を観察します」
「そこはパーティーというより負荷試験ですね」
女性は観察記録用のタブレットを開いた。
「食べ比べによる嗜好調査も兼ねています」
「さらに試験っぽくなった」
シオは説明を聞かず、紫色の容器へ触手を伸ばしていた。
「待て。順番に食べるんだって」
容器まであと数センチのところで、シオは触手を宙に残した。
『むらさき こい』
「見ただけで分かるのか?」
『こい』
それが色の話なのか味の話なのかは、俺には判別できなかった。
とりあえず試作3号へ鑑定をかける。
視界に簡単な結果が出た。
――――――――――――――――――――
名称:潮晶殻獣幼体用・高濃度魔力栄養ゼリー試作3号
分類:回復補助食
主成分:低濃度魔力水、微量鉱物成分、紫晶系魔石抽出液
状態:摂取可能
推奨量:0.8ミリリットル
注意:人間の飲食には適しません
――――――――――――――――――――
最後の注意書きを見て、伸ばしかけていた指を引っ込めた。
「俺は味見できないな」
「真壁さん、人の食べ物ではないので…」
『りょう うすあじ』
「まぁ、シオ目線でいうと薄味か」
支援チームの女性が観察記録へ入力する。
「今のも記録するんですか?」
「比較対象を人間にも広げている可能性があります」
「俺もとうとう観察記録デビューか…」
シオは肩の上で殻をふりふりさせた。
◇
ローテーブルの真ん中に3つの容器を並べた。
シオは俺の手を伝ってテーブルへ下りると、試作1号の前へ移動する。
女性が蓋を開けた。
透明なゼリーから、淡い光がにじんでいる。
シオは触手の先で表面をつついた。
少量を絡め取り、そのまま体へ押し当てる。
ゼリーは薄い青灰色の体へ吸い込まれ、数秒で見えなくなった。
俺と支援チームの女性が、シオを見る。
シオは透明な容器を見たまま動かない。
「どうだ?」
『いつもの』
「高純度らしいぞ」
『いつもの こい』
「いつものよりも少し濃い程度ってことか?」
女性がタブレットへ評価を入力する。
これでちゃんと記録になるのだろうか。
少なくとも研究所の報告書に、『いつもの、濃い』という評価が載ることだけは確定した。
続いて、青緑色の試作2号を開ける。
シオは今度、容器を2本の触手で抱えた。
縁へ体を寄せ、ゼリーを少しずつ取り込んでいく。
殻の内側で、青い光が2度流れた。
「おお」
『こいあじ』
「これが濃い味か。いつもより濃いってことでいいんだよな?」
『よい』
女性が入力を続ける。
反応は試作1号より明らかにいい。
さっきまで肩に張りついていたシオが、容器を抱えたまま少しずつ回している。
ただし、動きはまだ遅かった。
元気な時なら、もう紫色の試作3号へ向かっている。
今日は空になった容器へ触手を掛けたまま、しばらく動かなかった。
「休むか?」
『ぱーてぃー ちゅう』
「残りはあとでも食べられるぞ」
『ぱーてぃー おわってない』
シオは俺から視線を変えて、テーブルの上を見た。
3つ目が残っているからだと思ったが、紫色の容器には向かわない。
テーブル、部屋の照明、俺たちの手元へ順番に顔を向ける。
『かざり』
「飾り?」
『おんがく』
「音楽?」
『みんな ごはん』
俺と支援チームの女性は、ローテーブルを見た。
置いてあるのはシオ用の試験調整品3つで、俺たちは食べる様子を観察しているだけである。
どうやら、これはシオの考えるパーティーではなかった。
「どこでそんなこと覚えたんだ」
『どうが』
やっぱり動画だった。
俺が寝ている間に何を見ているのか、いつか確認した方がいい気がする。
「すみません。そこまでは用意してませんでした」
支援チームの女性が言うと、シオは空になった容器を離した。
『ぱーてぃー したい』
声は朝よりはっきりしているのに、殻の光は弱い。
シオが欲しがっているのは、濃い味を食べるだけの時間ではなく、俺らとのパーティをしたかったのだ。
「……分かった。少し待ってろ」
俺は部屋の冷蔵庫を開けた。
◇
ホテルの冷蔵庫には、ミネラルウォーターと小さなプリンが2つ入っていた。
支援チームが用意してくれていたらしい。
俺はプリンを持って戻り、1つを女性の前へ置く。
「参加してください」
「勤務中ですが」
「シオが、みんなでご飯と言ってますので」
女性は廊下側を見た。
扉の外には護衛がいる。
隣室にも、まだ複数の担当者が詰めている。
全員を呼ぶと、ホテルの一室で政府関係者による濃い味パーティーが始まってしまう。
さすがにそんな微妙な濃い味パーティーを開催するのはやめておきたい。
「私は観察担当として同席します」
「…参加者ということで」
俺の言葉に追随するかのように、シオは支援チームの女性を見つめた。
「シオちゃんずるいですよ……では参加者で」
スマホで音楽を探し、音量をかなり下げて流す。
軽いピアノと鈴の音が、部屋の隅に置かれた空気清浄機の音へ混ざった。
「音楽はこれでいいか?」
『よい』
残るのは飾りである。
俺が部屋を見回していると、支援チームの女性が「ん? ちょっとまってください」と言うと、保冷ケースの内ポケットへ手を入れた。
出てきたのは、細い紙棒と小さな三角旗だった。
旗には、丸い青緑色の生き物が印刷されている。
どう見てもシオだ。
「なんで用意してあるんですか」
「どうも研究所からです。手紙が添えられてますね…試験調整品だけを渡すと、真壁さんがそのまま与えて終わる可能性が高いので、同封したと」
「完全に読まれてる……」
女性は紙棒を組み立て、三角旗をローテーブルの端へ立てた。
旗には小さな文字で、こう書かれていた。
《しお かいふくちゅう》
シオが旗へ近づく。
触手で紙棒をつつき、印刷された自分をしばらく眺めた。
『しお』
「シオだな」
『しお ぱーてぃー』
「これでパーティーになったか?」
シオは3つの容器を確かめてから、俺たちのプリンと部屋に流れる音楽へ顔を向けた。
『なった』
ようやく合格が出た。
俺と支援チームの女性がプリンの蓋を開ける。
シオの前では、紫色の試作3号が開封された。
「では、試作3号を0.8ミリリットル。これで本日分は終了です」
『いただきます』
「いただきます」
女性はタブレットを膝に載せ、片手でプリンのカップを持った。
そのまま会釈して、プリンへスプーンを入れる。
こうして3人で食事を始める。
といっても、俺たちはプリン。
シオは人間が食べられない紫色の高濃度ゼリーである。
同じテーブルを囲んでいるのに、食べているものが違いすぎた。
シオは試作3号へ触手を伸ばす。
表面へ触れた瞬間、殻の奥で紫色の光が広がった。
「反応が早いですね」
シオは答えず、容器を触手で抱えた。
ゼリーを少し取り込み、止まる。
また少し取り込み、殻の内側で光が揺れた。
『こい』
「うん」
『こいあじ』
「よかったな」
『とても こいあじ』
「おっ? とても濃い味ということは過去最高ってことか」
支援チームの女性がプリンを掬う手を止めた。
「評価尺度が1段増えました」
「そうなんですか?」
「これまでは『うすい』『こいあじ』『よい』が中心でした。『とても』を付けたのは、私の記録では初めてです」
「それは研究所の人も喜びそうですね」
シオは紫色の光を殻へ浮かべたまま、紙の三角旗を触手で揺らした。
『ぱーてぃー!!』
大声を出したつもりなのだろう。
俺に届く声が少し強くなり、触手が勢いよく上がった。
紙の旗が左右に揺れる。
そのままシオの体も傾いた。
「あぶない」
倒れる前に手を差し入れる。
シオは俺の手のひらへ乗ったが、紫色の容器だけは離さなかった。
「今日はここまでにしよう」
『まだある』
「空だぞ」
シオは容器の底を確かめる。
ゼリーはきれいになくなっていた。
『おかわり』
「おかわりはダメだぞ」
「シオちゃん、今日はもう食べすぎです」
支援チームの女性が即答した。
『ぱーてぃー』
「パーティーでも摂取上限は変わらんぞ」
『けち』
「けち、とかそういう言葉はすぐ覚えるんだな」
女性が観察記録へ入力する。
「それも記録するんですか?」
「摂取上限への理解と不満が見られます」
「不満まで正式記録されるのか……」
シオは俺の手の上で容器を抱え込み、こちらを見ようとしない。
30秒も経たないうちに触手が容器の縁から滑った。
傾いた容器が、俺の指へ当たる。
「ほら、眠いんだろ」
『ねむくない』
「触手が全部下がってるぞ」
『ぱーてぃー ちゅう』
「もう十分やったよ」
紫色の容器を取り上げても、シオは追いかけなかった。
手のひらの中央へ体を寄せ、殻の中で丸くなる。
音楽は、まだ流れている。
支援チームの女性が30分の観察タイマーを開始した。
「反応は安定しています。殻の光も、朝より戻っていますね」
「濃い味のおかげですか?」
「現時点では断定できません。高出力行動からの自然回復、日中の補給、睡眠、今回の試験調整品を分けて評価する必要があります」
「ですよね」
簡単に濃い味のおかげとはならないらしい。
俺はソファーへ座り、シオを膝の上へ移した。
プリンは半分ほど残っている。
支援チームの女性も、タブレットとプリンを交互に扱っていたため、ほとんど食べられていない。
パーティーの主役だけが先に寝た。
それでも音楽を止める気にはならず、小さな三角旗もそのままにしておいた。
◇
観察を始めて20分ほど経ったころ、シオが殻から顔を出した。
「起きたか?」
『ぱーてぃー』
「まだやってるよ」
シオは膝の上からテーブルを見た。
テーブルには空になった3つの容器と、食べ終えたプリンのカップ、小さな三角旗が残っていた。
支援チームの女性は観察記録を研究所へ送っている。
『みんな たべた』
「ああ。食べた」
『よい』
シオはまた殻の中へ戻りかけた。
その途中で、触手が1本だけ伸びてくる。
俺のシャツの裾をつかみ、今度こそ動かなくなった。
濃い味を3つ食べられたから満足したのだと思っていた。
けれど、最後に確かめたのは、自分の容器ではなかった。
俺たちが食べ終わったかどうかだった。
支援チームの女性が送信を終え、タブレットのカバーを閉じる。
「研究所から返信です。試作3号を基準に、飲みやすい液状タイプも検討するそうです」
「シオ、次はゼリーじゃなくて飲み物になるかもしれないぞ」
寝たと思われたシオの殻が、濃い味に関することに反応して少しだけ揺れた。
『こいあじ?』
「多分? そこは変えないと思う」
『こいあじ じゅーす』
「気が早いな」
シオの殻の中で、紫色の光が一度だけ揺れた。
「今日のところは寝ろ。また元気になったらやろう」
『また ぱーてぃー』
「ああ」
『あした』
「明日はやりません」
『まいにち』
「もっとやりません」
支援チームの女性が、閉じたはずのタブレットをもう一度開く。
「今のは記録しなくていいですよね?」
「継続的な摂取希望として、研究所へ共有します」
「シオの報酬条件が、毎日の濃い味パーティーになってしまうんですが」
『よきよき』
シオは俺の膝の上で、少しだけ得意そうに殻を揺らした。
まだ本調子ではないくせに、食事の交渉だけは昨日よりうまくなっている。
翌朝、会議の議題に「濃い味パーティーの適正開催頻度」が追加されていないことを願いながら、俺はスマホの音楽を止めた。