とりあえず「恋愛脳なギャルJK」の更新を再開できてほっとしている奈月です。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054897697934更新をお待たせしてしまっていた二か月ほど、何をしていたかというと、ずうううううっと、既存作品の推敲をしてました。応募したい公募やコンテストの締め切りが固まっていたこともあって、もう、まとめて見直してしまおうと、漢字の表記を見直したりして。
私、自作を読むのは好きなのですけど(爆)推敲って大嫌いです。好きな人は少数だと思いますけど。
考えすぎちゃって、段々、日本語がわからなくなってくるのですよね……。でもやるときにやっておかなきゃって感じで、カクヨムで公開中の本文も差し替えたりして、それでもまたあとからチェック漏れを見つけて凹むのですけどね。うう。推敲って終わりが見えないですよね。ぶっちゃけ、漢字の使い分けなんてそのときの気分で変わるし。でも、今の時点の結論、ということで頑張りました。地味~な達成感ではありますが。
作者が水面下で作業している間にも、ご愛顧くださっていた読者さまたちに感謝感謝です。そんな、読者さまたちについて、おもろい発見をしました。
私の作品て、女性向け作品が多いのかなーと自分では思っていて、その中では、「恋愛脳なギャルJK」や「女神墜落」はライトノベルを意識して書いたものです。
「恋愛脳なギャルJK」は実はエブリスタでも同時連載しています。あちらではカクヨムみたいに頭抜けたPVではないのですけど、数人の方が毎日スターを投げてくださっていて、更新が停まっていた間も毎日だったので、本当、ありがたいやら申し訳ないやら。でも、他の作品ではそんなことなくて「恋愛脳なJK」にだけなんです。
じゃあ、他の女性向け作品ではどんな動きかっていうと、スターや本棚追加みたいな足跡はなくて、ひたすら閲覧数が伸びるんです。読者数と合わせ見て、どうやら一気読みしてくれた人が他の作品も次々に覗いて、そっちも一気読みしてくれる、というふうに推察される動きなのです。
男性向け作品の読者さまはひとつの作品を根気よく支持してくださっていて、女性向け作品の読者さまは、目に見える応援はないのだけど、同作者の別作品も読破してくれているようなのですねー。
私の作品で比較しての話なので、全体の傾向とは限らないのですけど、おもしろいと思った次第です。
小説投稿サイトで活動を始めた頃って、とにかく感想という反応が欲しかったのですけど、分かりやすいアクションでなくとも、こうやって読者様の反応を窺えるだけで充分だと今は思ってます。
ランキングとか私には無縁ですしねー。そりゃあ、フォローとか★とかポチっとしてもらえれば嬉しいですけど、そこばかり気にしちゃうと見えなくなるものがあるはずですから。
さて。読者メモです。
『トムは真夜中の庭で』フィリパ・ピアス作 高杉一郎訳(岩波少年文庫041)
こちらも言わずと知れた児童文学の名作ですが、私は今回初めて読みました。これは今読んだからそう思うのか、子どもの頃に読んでいたら違ったのかは分からないですけど、素晴らしいですね……!
ストーリーも描写も構成も、ラストシーンまですべてが美しいです。
あとがきとして添付された作者のことばを読むと、何故ここまで精密な描写でここまで緻密な物語を編み上げることができたのか、その理由がわかる気がします。
これがファンタジー本来の可能性なのだ、とも感じます。
その末尾の言葉が印象的です。「私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ。」
『星の王子さま』の献辞にも有名な言葉がありますね。「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。」
この心が、ステキな創作物をつくるのかもしれないです。
『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』上野千鶴子 田房永子(大和書房)
200p足らずの対談集なのですけど、めっちゃ勉強になりました。すっきりと言語化して言い切ってもらうのって大事。他者の言葉に頼ったっていいのですね。それが学問の力。本を読むって大事。
私、個人のうらみつらみを環境や社会のせいにするのって嫌いなのですけど、それでも、「個人的な経験」は「世代的な経験」であり、「個人的なことは政治的である」という標語に納得です。
それくらい「あるある」と「なるほどー」の繰り返しで読み応えありました。イラスト満載な軽い楽しい対談なのですけど、語ってる内容は濃かった。
こういう「あるある」をわかるわかるーと読んでると、男社会というカタマリに対する怒りがふつふつとこみ上げてきてしまうのですけど、「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」。「あんたらみたいになりたいなんて思っちゃいねーよ!」ですから、ほんとそう。
異性愛セックスについても、女がご奉仕するのが当たり前って風潮はロスジェネ(私もこの世代)以降のものなんだと知って愕然。
AVの影響はもちろんだけど、私は『an・an』のせいだと思うのですよ。男のホンネとか気にするよりも、もっと女が主体になるべきだったんだと。こうしたいって主張すべきだし、イヤなものはイヤって言わないと。男は言わなきゃわからない。
コンビニからエロ本が撤去された話題のくだりではちょっと悲しくなっちゃいました。
「でも「コンビニからエロ本がなくなるのはちょっと寂しい」派の人はほわーっとしてて、ノスタルジックなんです。その差がすごくて。「これどっかで見たことあるぞ?」と思ったら、DV夫の暴力から命からがら逃げて自由を掴み取った妻の苦しみからの壮絶な安堵と、もぬけの殻になった家の中で「なんで? どうしたんだろう?」って思ってるDV夫。その構図とそっくりだと思いました。」
「片方にとっては息をするのも苦しかった時期のことを、もう片方は「あの時は楽しかったなあ」と思い出せるんです。そういう構図が、コンビニのエロ本でも見られるんだなと思いました。」(p131より)
男女間の認知のギャップってほんとヒドイ。日本の社会は男の性欲に寛大だから。
ポルノについては、私も楽しめる人なので否定はしないですけど、ほんと「やるならこそこそやれ! 表に出て来るな!」だと思います。
いろいろな話題が上る中でよく出てくるのが「想像力のなさ」「想像力の限界」って、やっぱり「想像力」の問題なのです。
「なぜ人は恋愛をした時に、これが恋愛だとわかるのか。」それはメディアで学習してるからなのですね。「これはあの本で読んだ恋愛ってものだわ」と。
ところが「日本の子ども向けのアニメはそういうジェンダー意識が昭和初期のまま」。女子向けのマンガやアニメやディズニーアニメだって社会の変化と共に変わってきているのに、男子向けはそんなに変わらない。「作っているのがおっさん」だから。
田房さんは漫画家さんなので、文化には文化で対抗、
「母親の視点から言ってても、どうにもならないなって。どうしても「表現を潰す」っていう文脈になっちゃうし、そういう作品を好きな人を傷つけることになるし、敵もむやみに増えてしまう。やっぱり漫画家として、土俵に上がるしかないと思います。」(p149)
ということは、ラノベにもラノベで対抗しないとってことですかね…………。
とまあ、頭の中がぱんぱんになりましたが、「女としての自己嫌悪と闘うことがフェミニストへの第一歩」「フェミニズムは女が女であることを愛し、受け入れる思想」ってことで。
私も、生まれ変わってもまた女がいいって思います。