「💕欣子皇后の托卵」
第2話(1) 欣子と婧子、典侍の仕事
没落した十八世紀の朝廷。無邪気な仮面の下に底知れぬ狂気と淫蕩を秘めた最後の皇女・欣子と、冷徹な知恵袋へ変貌する侍女・志乃。禁断の「托卵」が皇室の血脈を塗り替える。/🐟フランク ✥ ロイド🐟 - カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/2912051604101518442/episodes/2912051604629192113 系図を眺めていてもよくわからない事情があります。
この欣子内親王の入内よりも一年早く勧修寺婧子が宮中に務めだしたのか、それは彼女らの出自を知らないとわからないでしょう。
欣子内親王は天皇の娘で、一条家という五摂家の血筋。対して、勧修寺婧子は、皇族の中でも、五摂家・清華家の格下の名家の血筋。
これをわかりやすく書くのが大変でした。
《《欣子の入内》》
勧修寺婧子が光格天皇の後宮に入ったのは、寛政四年(一七九二年)のことである。一方、欣子内親王が正式に入内したのはその二年後、寛政六年(一七九四年)三月のことであった。
この「順序の逆転」は、二人の立場の決定的な違いを示している。
婧子は、天皇の身の回りの世話や実務を担当する|典侍《てんじ》として出仕した。当時の朝廷において、天皇が実務をこなす女官を後宮に入れ、そのまま側室として寵愛することはごく日常的な人事である。
対して、欣子内親王の入内は、朝廷の威信をかけた国家的な儀式であった。中御門天皇の直系である欣子を中宮に迎えることは、傍系の閑院宮家から即位した光格天皇の血統の正統性を補強するために不可欠だったのだ。
しかし、内親王を中宮に迎えるのは実に四百六十年ぶりの異常事態であり、莫大な支度金の調達や儀式の準備に途方もない時間がかかった。婧子が先に入内できたのは、ひとえに「女官としての出仕」という身軽な枠組みで、するりと後宮の奥に入り込めたためである。
婧子に与えられたのは、後宮の女官たちが生活の拠点とする「局(つぼね)」に過ぎなかった。
一方、欣子の入内に対しては、平安の古制に則り「飛香舎(ひぎょうしゃ)」(藤壺)という皇后専用の独立した真新しい御殿が再興されている。
欣子内親王が「正統な血統」と「特権」を背景に壮麗な飛香舎へ君臨したその時。一つ年下の婧子は、すでに狭い局から帝の側近くに侍り、着実に寵愛と実務の基盤を固め終えていたのである。