天津原涼子ファインモーションに連なる天津原家の家系図です。
※『駅ヰタ【FAU】』本編154話未読の方は、そちらから先に!
https://kakuyomu.jp/works/16818093090452471696/episodes/16818093091274085856 天津原家の始祖は、明治初期のどさくさに紛れて天津原姓を名乗った勝造です。
難破船救助という偶然からの初代・勝造とファインモーション家息女・マイアとの縁組は、事業拡大の大きな一歩となりました。当時は珍しかった欧州とのパイプは、商社としての天津原興産の重要な基盤となったのです。しかし本当のブレイクポイントは、二代目・錠が復員後に連れ帰ってきた辰子がファミリーに入ったことでしょう。
初代の影響が長く続いていた天津原興産ですが、大正十二年の関東大震災で東京出張中の初代が客死したところから雲行きが怪しくなりました。
便宜上の当主に末っ子で長男の錠を据えつつ、未亡人のマイアが代行の任につき、出来のよかった次女、三女とともに錠の補佐を行うことでなんとか回すことができておりました。が、昭和六年にマイアが鬼籍に入り、マイアと入れ違いでスタッフに加わっていた錠の嫁・一子も、昭和十三年に初産の産後の肥立ちが悪く母子ともに還らず、さらに追い打ちをかける錠の招集。
そして決定的だったのは、戦争終結直前の昭和二十年八月十日に襲来した米海軍艦載機による市街地攻撃でした。その空襲で店舗は焼失し、中核となっていた次女、三女をも同時に喪いました。屋台骨を失った事業は当然のことながら停止となり、残った一族の戦後の二年間は貯えを食いつぶすのみとなっておりました。
そこで動き出したのが、戦地から復員してきた錠と錠が東京で拾ってきた利発な孤児・辰子のふたり。昭和二十二年に錠三十九歳、辰子十八歳で祝言を挙げた後、辰子の類稀なる商才が発揮され、天津原興産の再興がはじまったのです。
現代の診断で言えばアロマンティック・アセクシャルであった辰子と錠の夫婦関係は、愛情で繋がる通常のそれとは異り、強い使命感と信頼感で結ばれていたようです。自らの有用性を証明するために長女・祥子を身籠ることで入籍を果たした辰子は、その後も戦争で途絶していたファインモーション家との関係復活やさまざまな投資、さらに近年では東日本震災で壊滅状態になった三陸漁港への破格の援助等、家業の拡大と地位向上のために粉骨砕身し、現在(令和元年)に至るまで天津原家と天津原興産を駆動させ続けてきました。
我らが天津原涼子ファインモーションは、その女帝、天津原辰子からのお墨付きを受けたのです。