引き算という推敲

句点を操るのが苦手である。

小説などを読んでいて思わず唸るような文章の大概は、結構長い構文を息継ぎも無しで一気に読ませるものばかりだ。少なくとも僕の場合は。
振り返って自らの文を読む。その読点の、なんと多いことか。ついさっき密かに某所(Twitterに非ず)で挙げたほんの三十文字、二行程度の短文でも、句読点二回ずつ挿し込んでいる。句点ふたつはまあいいとして、二十文字に二回の読点は多過ぎるでしょ。

幸いなことに某所は事後改訂が許されていたからふたつのうちのひとつを削ることができたが、それでも数人の閲覧者には駄文を認識されてしまった。
斯様に、自身が思いのままにつらつらと書く文章には過剰な読点がついて回る。なので僕の推敲にかける意識の多くは、ひたすら句点削りに費やされるのである。

ちなみにこの文章を書く上でも、すでに三つの読点を削った。
どうだろう?
少しは読みやすく(読みにくく?)なっただろうか。

※修正後につき(笑)

3件のコメント

  • メリハリだと思います。
    例えば、こういう話題ではお馴染みだろうテキスト、井伏鱒二の『山椒魚』の冒頭、

    山椒魚は悲しんだ。
    彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかへて外に出ることができなかつたのである。

    最初の8文字で句点、続く55字は読点1つで一気に読ませる。
    この最初の句点が効いて、『山椒魚』を名文たらしめていると思うのです。
    一方で、村上龍だったかなあ???(今、きちんとチェックしている暇がなくてごめんなさい) 句点なしでだらだらと始まる冒頭に、そのデビュー当時は新鮮さがあったのかも知れませんけど、面喰らいました。
    その後のその人があるのだから、「私の好みでなかった」というだけかも知れませんけど、その作家のファンでさえ、「あ! デビュー作は読みにくいですよね!」と私に言いましたから。
    (それと、龍さんは、好きです)

    という訳で、メリハリだと思います。
  • デリさん、入念なるコメントをありがとうございます。

    句読点の使い方は、文字列でのみで表現する小説というコミュニケーションで、おそらくはかなり大きな差別化のポイントなのでしょう。文体として認識されるオリジナリティの一側面として。

    などとしかめつらしいことを書いておいて今更言うのもなんなんですが、今回の作文、句点と読点が逆でしたね。
    いや、恥ずい(笑)

    あとでしれっと直します(* ̄з ̄) ~♪
  • (^▽^)/
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