本来なら自分で書くことでもないのだが、誰も書いてくれそうに無いのでここに記すことにする。
『駅弁大学〜』に限らず、自分で文章を書くときには、視点(語り手)の立ち位置を意識するようにしている。どこからどの角度で見ているのか、どこまで知ることができるのか、どの時点から語っているのか、みたいなことである。
こんなことはどのライターさんでもやっていることかもしれないが、蛇足的な意味で『駅弁大学〜』でのそれを記録しておこうと思ったのだ。
(1)視点について
本編(章番号のついているテキスト)は基本的に一定の視点(のはず)である。わかりやすい例で言うと、「麻雀で4人いるプレイヤーのうち特定のひとりの後ろに立ち、場全体の捨て牌や見せ牌とそいつの手牌やツモとを同時に見ることができる人」という立ち位置だ。
『駅弁大学〜』での特定のひとりとは、言わずもがなだが、田中逸郎となる。語り手は彼の後ろに立ち、彼が見聞きできることは彼が気づく気づかないに関わらずすべて知ることができ、なおかつ彼が言語化しない彼自身の考えも知ることができる。逆に言えば、逸郎以外の登場人物については逸郎が認識できるはずの場面で彼らがやってみせた行動やセリフ、様子しか知ることができない。すなわち逸郎以外の登場人物が何を考えているかは、基本的に知ることができないのである。
語り手が知る情報の時間的範囲も有限なものにしている。章ごとに、語り手が物語内時間のどのあたりにいるかをイメージし、それ以前の情報しか語ることができないようにしているのである。
外伝に関しては、本編とは別の視点を与えており、#01は物語内で公開時間の約半年後で動画を見聞きしたウォッチャー視点で、#02は第3章時期のヒロインその人が語り手を担当している。
(2)時空間遷移について
『駅弁大学〜』は各章ごと各話ごとは言うに及ばず、各話内においても、時空間をの流れを細切れにして入れ替えたり入れ子状態にしたりする部分が多くある。
その際、わかりやすくするための記述上の印は使わず、最低限行間だけは開けておく、という実に不親切なレベルに留めている。
そのことによって生じる読み手のストレスが物語認識にある種の効果を与えているはず(と作者は勝手思っている)。
(3)語り手による人物呼称
会話文内では無く、いわゆる語り手による登場人物の呼称については、とくに意図がない限り共通のものにすることを意識している。呼称が複数ある人物も少なからずいるため、なるべく読み手が迷子にならないようにという配慮(のつもり)である。
他方、第4章後半で見られる語り手呼称の変化は、その場面ブロックの全体における時間的位置を知る指標のひとつとして位置付けられていたりもする。
もちろんこれらの約束事は、本来語られるべきものではなく、そんな説明など無しに物語世界を楽しんでもらえることができていれば問題なしなのである。あくまでも、敢えて分析してみれば、という蛇足に過ぎないとご理解いただければ幸いである。