作詞なんて出来ないと思っていたはずだった。
随分前、バンドを組んでいた時、歌詞を書いてみようかと思いはしたが何も書けなかった。一文字すら書けなかった。
その頃は心に響く歌詞というものもなかったように思う。そりゃあ書けない。
紆余曲折を経て、作詞をやってみようと思ったのはAI作曲ツールをいじってみてからだった。例えば悪と戦う女の子のヒーロー、ヒロインか。そういうテレビ番組の主題歌ってどんなんだろうか、みたいな感じで考えたら書けた。
大して面白くもない歌詞だったが、それをAI作曲ツールに読み込ませると実に面白い曲になって出来上がった。
は〜、こんなすごいのがAIで作れるのかあ、と感嘆した。
その後は2週間くらいほぼ毎日歌詞を書いては曲にしていた。歌詞の出来は置いといて、AI作曲は凄かった。面白い曲がいくつか出来た。歌詞が先にあるというよりは、楽曲のジャンルによって世界観を変えて書いていた。このジャンル、このリズムならこういう歌詞だろう、という試みだった。歌詞があって、それに曲をつけるよりは曲のイメージから始める方が多かった。
ふと、作詞家っていうのを目指してみようかという思いが生まれた。前から興味がなかったわけではない。仕事の関係上、歌詞は目でも耳でも集中して感じるものだったし、心に響く歌詞、というのも昔に比べれば段違いに増えた。
ネットで作詞家募集と検索をかけるといくつかのURLがヒットした。歌詞と出来た曲のURLを矢継ぎ早に送り、そのうちの一件からトライアルということでテストを受けた。もう一件からも連絡はあったが、ちょっと話にならないです、というような感じの連絡だった。
トライアルを送ると、では、一応、準採用ということで、という感じで卵になった。デビュー作が出ていないので卵だ。デビュー作が出たら万々歳、という世界でもないが、私はまだ作詞家として生まれていない。
担当者とオンラインで面談を行ったが、作詞を始めてまだ一ヶ月経っていません、というような話をすると少々面食らったようであった。その後、既に作品を何作もリリースしている作詞家の先生に講座を開いてもらい、そこでも色々と話をした。
「そこまでわかっているのでしたら、私から教えることはあまりありません」というようなことを言われた。俺は自分の位置がわからない。このままでいいのか、何かを変えなければいけないのか。それはこの先、自分で見つけていくべきことなのだろうと思う。
コンペに参加し、デモ曲やアーティストに合わせた歌詞を書く日々が始まった。
どうやら、やっぱりというか何というか、「自分が触れてきていない世界」についてよりも、「自分が住んでいる世界」の歌詞を書いた方が良いものができるような気がした。それなりの形を持ったものは書ける、が、やはりどこか痛みがあったり、傷があったり、影があったり、そういうものを書く方がずっと集中して書けた。きっとそれは、この先も変わらない自分自身の作風になるのだと思う。
心に残る作詞家は五人いる。山口洋子、井上陽水、さだまさし、櫻井敦司、稲葉エミである。
山口洋子は仕事上最も多く作品を目にした作詞家だと思う。色々な世界があるが、個人的には「千曲川」が最も美しいと思う。
井上陽水は孤高の世界観を持っている。真似できるようなものではないが、「歌詞なんてこんなもんでいいのか」という、もちろんクオリティの話ではない。ただ、全部を書かなくてもいいんだな、と感じる。
さだまさしはストーリーテラーだ。物語を1から10まで描く。「雨やどり」も「親父の一番長い日」も「関白宣言」も「関白失脚」も「防人の歌」も「償い」も「案山子」も全部好きだ。美しく完成された物語がさだまさしにはある。
櫻井敦司は今は亡き BUCK-TICKのボーカリストだ。歌詞については7:3くらいで今井よりも多く書いてるのかな。ダークで、幻想的で、儚い。グロテスクで、エロティックで、狂気的でもある。今井寿と決定的に違うのは透明感だと思う。今井の歌詞には透明感があるが、櫻井の歌詞には透明感はあまり感じない。不思議なものだ。キャラ的には逆な気もする。今井の書く透明感のある歌詞も素晴らしい世界観がある。
稲葉エミという人についてはあまり知らない。ただ、彼女の書いた一節が強烈に心に残って、響いた。
ねぇ 桜の木もちょっと 背丈が伸びたみたい 見えないゆっくりなスピードでも
この一節は本当にすごいと思う。俺は歌詞、詩というのはいかに悲しい、嬉しいと言った言葉を使わずに悲しさや嬉しさを表現するもの、と考えているのだが、この一節にはとても多くの感情が込められていると思う。おそらくこの一節は死ぬまで忘れない。稲葉エミという人の他の作品についてはあまり知らないのだけど、この一節だけで素晴らしい作詞家なのだろうと思う。
世には素晴らしい歌詞はたくさんあるが、俺が目指すべきはとりあえずこの五人なのだと思う。