• 現代ファンタジー

花月堂夜想譚 各章主人公のその後 【第二章 弓美】

 介護の仕事にも、気がつけばもう五年になる。
 食堂で、今日の夕食のメニューを見た途端、ふと祖母の顔が浮かんだ。
「……あ、筑前煮だ」
 たったそれだけのことが、胸の奥をじんわりと揺らす。
「どうした、弓美ちゃん?」
 先輩の吉田さんが怪訝そうにこちらを見る。
「ああ……筑前煮、祖母が、よく作ってくれてて」
 そう答えた途端、遠い記憶が滲み出すように浮かんでくる。
 夏の終わり。
 畑に向かった祖母が一人、熱中症で亡くなっていた日のことだ。
 反抗期で、そっけなくしてしまった日々の後悔。
 最初の頃は、それが原罪となって自分を責め続けていた。
 ――でも、不思議だ。
 その日のことを思い出すたび、祖母の声がするのだ。
(筑前煮、たくさん作りながら弓美のこと見てるからね)
(いつでも弓美はいい子なんだから。おばあちゃんが一番よく知ってるんだから)
 まるで夢の中で聞いたような。
 本当は一度も聞いたことがないような。
 でも確かに「心の奥」には残っている。
 遠い天国で、祖母が微笑んでいるのだと。
「いつかまた食べられる気がするんです、おばあちゃんの筑前煮」
「え、レシピ覚えてるの?」
「いえ。でも、いつか必ず食べられるって……なんか、確信だけはあって」
 吉田さんは「そういうもんか」と笑った。
「ほい、配膳行くよ弓美ちゃん」
「はい」
 トレーを持ち上げ、食堂の窓から外を見る。
 夕暮れの空に、小さな黄色い星がキラキラと煌めいていた。その隣に寄り添うように、大きな白い星が瞬いている。
(あれ……? 黄色い星……)
 胸がきゅっと鳴る。
 懐かしいような、切ないような。
 大切な何かを置いてきたような――でも思い出せない。
 それでも、不思議なほど前向きになれる。
 今日も頑張れる。
 明日もきっと、大丈夫だ。

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