創作論やそれにともなう解釈論は答えのない永遠の問いなのかもしれませんが、だからこそ常に問い続ける価値があると考えます。
しかしながら、このごろ創作論や解釈論に関して、正しい創作論間違った創作論、正しい解釈間違った解釈を強く断定するような言説が巷間をにぎわせていると小耳にはさみました。
また創作作品を政治活動の道具のように使おうとし、正しく解釈をしたなら〇〇党を支持し選挙で投票するはずだという話もあると聞き及びました。
なぜそのように答えにこだわるのかは、さまざま思うところはあるのでしょうが。
僕としては受け入れられない考えであります。
自分の話で恐縮ながら、昔は三国志に夢中になりましたが、冒険ファンタジーとして楽しんでいたにすぎず。勉強で読むなど考えもしませんでした。
勉強になることを知るのは三十路を過ぎてからでした。
もちろん三国志を嗜むことから特定の政党を支持し投票することを考えるなど、遥かに考えが及ばぬことです。
選挙における政党の支持・投票は、生活の中の日ごろの付き合いや信用、政策の話で決めるもので。創作作品、あるいは、今はIPという言われ方もなされていますが、その、何のIPを嗜んでいるかで決めるものではありません。
昔は右派が韓流を好む人を左翼だと弾劾することが問題視されていましたが、現在では逆の左派方面が他のIP愛好者を右派扱いするという、結局同じことをしていることも聞き及び、対象が違うだけで言動を同じくする、蹄鉄理論状態に陥っていると、政治に関わることの難しさを思わずにはいられませんでした。
話が逸れましたが。
創作論や解釈論に対し安易に答えを求め、断定することには、僕は反対です。
もちろん、僕の作品に対しても、気に入る、気に入らないにしても、自由に解釈をしていただいて構いません。
十人十色という言葉の通り、10人の読者がいれば、10通りの解釈や感想があるのが自然で、それがもともとある多様性だと思っています。
その多様性を棄損するような、創作論や解釈の断定は、僕の考えとは相いれないものであることを、ここで示しておきたいと思います。