江戸期中期に、松江藩京師詰周旋方に熊澤久左衛門がいた。
どんな仕事かというと京都の寺社へのなんらかの土地、人材、書状などの口利き。
長野には、傳田久左衛門が原山藤右衛門宛に質入土地請戻の書状を送ってる。
これは、当時、寺への寄進といっても完全には個人の土地などないから、一応、返してもらわないといけないので、善光寺に質入式に担保付きで寄進したのを返してもらう願ではないかと。
それは言いにくいことだから傳田さんの出番だった?
どちらも京都の、長野の、寺との交渉役?
あるいは、傳田久左衛門が、関西で傳田名乗りづらく、熊澤久左衛門になったとか?
