• エッセイ・ノンフィクション
  • 創作論・評論

傳田紀伊守

ふつう紀伊守って言ったら、  

松平紀伊守とか内藤紀伊守とかいい、

江戸の屋敷に住んだ幕臣要人。

傳田紀伊守とは長野市に住んだ神主。

官職は実際に赴任せずゆかりの地名を拝領した。

すると、中山道の伝馬役の傳田氏からすると?

幕臣の要人の熊野詣のエスコートが、

傳田紀伊守ではないかと。

それがただの武士でも熊野側の修験、神道的なしきたりがわからず粗相があるやもしれず、

ただの神主でも警護、宿泊施設、地理が案内できないような、、、?

だから、半武士半宗教的な傳田氏がやるしかなかったと。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する