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傳田家は北朝方だったときもある

浄土宗が出してる、

檀林縁山志巻10に、

上杉謙信幕下桂山城主落合次郎後見傳田勘解由の裔が、

便誉隆善上人の先祖と書かれてある。

AIが言うには、

後見とは、落合城主の右腕的な重臣で、

地侍だが、身分の低くない侍だったらしい。

南北朝時代は、

明らかに勘解由という官職をもらってるということは、

足利幕府と関係が良好じゃないともらえない称号なため、

最初は北朝方の足利側にいたのは間違いない。

関東管領の上杉氏も明らかな北朝方だから。

上司の落合氏とともに、

後醍醐天皇の宮方に寝返ったり、

生き残り作戦に必死だったと。

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