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新田義名、上杉兵庫助、傳田紀伊守

これは、高梨家古文書。

北朝高梨上杉勢が、

南朝上杉兵庫助と闘い討ち死にして京都の建武の乱から流れた新田義名に、

傳田紀伊守という神主が味方した記録。

紀伊守という官職は、熊野三山の後醍醐天皇の隠れ住んだ吉野の山の修験道の信仰に通じていて、

南朝方の可能性高い。

これがおそらく傳田と書かれて紀伊組と神主職もわかるのは歴史上はじめて。

おそらく、南北朝時代に公称はできなくとも神主だから名字隠し持ち、足利幕府のお墨付きはもらえないから守でなく紀伊組と名乗って従軍し、

鎌倉時代の源平の争いの頃は、落合氏とか中原氏だった模様。

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