『角川日本姓氏歴史人物大辞典20 長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店 1996 p853に、
次のよーな記述がある。
・中野市諏訪町の伝田家は、代々王日神社(諏訪大明神)の神主を務めた。(中略)古くは字笠屋敷に居を構えていたが、江戸初期に中野に町場が形成されると移転したとある。(略)10代は伝田紀伊守資継、また17代丈親は七社の大宮司となり、元治元年従五位下に勅許され紀伊守に任じられた。(略)22代当主は幹彦。家紋は丸に抱え沢瀉。
・長野市北条の伝田家は、先祖は葛山城(長野市)に拠った落合備中尊末で、弘治三年武田方の攻撃で落城し、今も伝田姓の多い芋井(長野市)へ下り、やがて北条へ出たという。(中略)本家当主は力次郎、分家当主は章雄。家紋は丸に横木瓜。
それで、
ネットによると、
室町時代にまとめられた諏訪大社の縁起『諏訪大明神絵詞』の中に、木曽義仲は下社・大祝の金刺盛澄の婿となって一女をもうけた、
という記述がある。
今、王日神社のご祭神は諏訪大明神とは違うが、江戸初期、諏訪大明神を祀る神社だった。
ということは、傳田氏が金刺氏の子孫とも木曽義仲の家臣伝承があるということは、
傳田氏は金刺氏とも木曽義仲とも先祖・子孫の関係にあると信じている。
