これは、明治初期に書かれた本。
1852年が高宗の生まれた年、
1820年が興宣大院君の生まれた年。
1832年といえば、充分、王に相応しいのに王位に就かないで『大院君』と呼ばれ影の王と呼ばれた興宣大院君が頭角をあらわした十歳くらいだと。
その1830年に傳王(傅王)は即位と言ってる。
傳王(傅王)とは、韓国にも中国にも正史には絶対に出てこないが、裏の王のよーな?
切れ目の王権と王権をつなげる役目で?
実際には王としては振る舞えなかったよーな、
人を敬い陰でつけた渾名のようなものと、
AIは言う。
