柳田国男は伊那の飯田藩士の上士の柳田家に養子に入っているから、
この地域に詳しいが、
柳田は「東国古道記」で、「高遠遠山間の山中のひとつの細路が、以前は案外に重要な交通路だった」と書き、
「古くからの自然の道」で、「北のほうに大鹿村、即ち大鹿村鹿鹽の旧二村を縦貫して、高遠から諏訪と繋いでいるのみならず、遠山一郷の殆どすべての部落は、北は地蔵峠から南は遠州境の青崩峠まで、その間十里以上、みなこの線の延長の上に立っているのである」
と書き、
このような場所だから、後醍醐天皇の第五皇子宗良親王がこの地に三十年余も居た理由だと書いている。
『信濃古代史考』大和岩雄著から。