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川上村の傳田坊と熊澤大然

これは結局、

熊澤大然が、川上村のここらへんは、

南朝皇族の墓だと主張したが、

柴田要という人に認定されなかった記録。

ポイントは、「傳田坊」が後南朝墓の説明と同じ文脈であること。

ただし、ここから、傳田が宿坊で南朝皇族を護衛したとか、

南朝皇族そのものだったとは言えないぞと。

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