インディーカーがミッドシップマシン主流に切り替わり始めたころのマシンを紹介します。
https://www.oldracingcars.com/watson/64/ 1964年(現在を起点にカウントするなら61年前)ワトソンの最初のミッドシップインディーカー。
今のインディーカーあるいはF1マシンを見慣れた目にはなんとも頼りない細いタイヤに見えます。
しかし、これでも。
レース時代劇の作中に登場するどのマシンが履いたリアタイヤ(エンジンパワーを受け止めるタイヤでもあります)よりも、1964年ワトソンが履いているフロントタイヤ(エンジンパワーは掛かりません)の方が太いのです。
もちろんレース時代劇の主役メカのひとつ、我々の世界には存在しなかったツクバ93TC、94RC、これから登場する95RC~98RCのどれよりもワトソンのマシンは桁違いに優れた「技術の精華」と言うべきもので構成されています。
今日、ふと紹介しようと思ったのはこれがインディカーの大規模な世代交代を象徴するマシンだからです。
ワトソンはフロントエンジン主流時代のインディ500最多勝コンストラクターです。
最後にインディ500で勝利したフロントエンジンのマシンもワトソンがチューンナップした「イーグル」です。
そのワトソンが1964年シーズンにミッドシップマシンを製作したときに、事実上インディでのフロントエンジン時代は終わりました。
初の「インディ500におけるミッドシップマシン勝利」は1965年を待つことになります。
ワトソンはミッドシップマシンではついに勝てずに終わります。
しかし。
フロントエンジンのインディーカーを最も良く知るワトソンがミッドシップマシンを製作したその時が、事実上のインディでのフロントエンジン時代の終わり、ミッドシップ時代の幕開けです。
長くなりました。
「自動車レースの時代がひとつ終わるとき」の象徴は、現実世界のF1ではクーパーによる「ミッドシップ革命」でしょう。
インディではやはりクーパーとロータスが有名ですが、ワトソンもまた時代の転換点を示します。
レース時代劇の作中において。
ツクバを時代の主流に抗うものとしていかに描くか。
描き続けるか。
決意を再度固めるために(もうすぐ新年度ですから、いろいろあります)史実での顕著な参考例の姿を紹介してみました。