こんばんは。通院モグラです。
2025年5月にカクヨムを始めてから、皆様との素敵な交流を経て本当にたくさんの学びをさせて頂きました。
大変お世話になりました。
12月31日〜1月3日は仕事で当直のため、がっつり働いて参りますが、皆様が良いお年をお迎えされることを祈っております。
そして来年もまた、作品を通して皆様との交流を続けられたらと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
一年の感謝の気持ちを込めて、短編を書いてみましたので、お楽しみ頂けたら幸いです。
それでは良いお年を…!
◤Eden/番外編
「生き残った者たちの夜」◢
隊舎の食堂は、いつもより明るかった。
天井の蛍光灯は全部点いていて、いつもならストレッチャーや物資コンテナが並ぶスペースに、折りたたみの長机がぎっしりと押し込まれている。
紙皿とピザの箱、唐揚げの匂い。保冷ボックスの中には缶ビールとチューハイと、氷で冷やされたペットボトル。
その中央に、ナイトフォールのパイロットが立たされていた。
「……なんで俺が」
トリガーは眉ひとつ動かさずに、紙コップを掲げている。中身は、濃い琥珀色のウーロン茶だった。
「指揮官ですからー。ほら、大佐、早くやっちゃってくださいよ、乾杯」
医務官のひとりがはやし立て、看護兵たちが「かんぱーい」と先に練習まで始める。ハンニバルがその後ろで、紙コップを両手に持ってひらひら振っていた。片方はビール、片方はさらにビール。
エデンは、その喧噪から少し外れた壁際で背を伸ばして立っていた。
(納会……)
言葉は知っている。訓練施設にいた頃、教官同士がそんな単語を口にしていた記憶がある。だが、D-02だった自分には、そこに呼ばれる理由がなかった。
「年の終わりに集まって飲むやつだよ」と、さっき救命士の三浦が笑って説明してくれた。
「今年死にかけたやつも、生き残ったやつも、とりあえずここまできたねって、やるやつ」
理解はできる。けれども、まだ身体が、その「場」に慣れない。
前線の音も、ドレーンの吸引音もない食堂。
誰も血の匂いを運んでこないナイトフォール。
代わりに、唐揚げとビールと、笑い声。
エデンは、胸の奥が少し落ち着かないまま、トリガーの手元を見ていた。紙コップの中の液体は、ビールの泡ではない。澄んだ濃い茶色の、ただのウーロン茶。
ビールを注ごうとした麻酔科中佐が、「えー」と声を上げた。
「大佐、せっかくなんだから一杯くらい――」
「飲酒操縦でヘリを落とした場合、責任者のサインはお前がするか?」
静かに返された一言で、中佐の手がぴたりと止まる。
「……いえ、自分の階級じゃ荷が重いですね」
トリガーはそのまま烏龍茶の入った紙コップを掲げ直した。
「……全員、聞け」
一言。それだけで、ざわついていた音がすっと引いていく。
ナイトフォールのローター音をも切り分けるような声。
整然とした静寂が、狭い食堂を満たす。
「……一年、終わる」
そこで一拍置いて、赤い瞳が、テーブルの向こうから順に隊員たちをなぞる。
「死んだやつはいない。死にかけたやつは、いる」
誰かが小さく笑い、ハンニバルが「はーい」と手を挙げかけたのを、隣の看護兵が慌てて止める。
「だが──全員、戻ってきた。任務は、全件完遂。搬送成功率、98.6%。……残りの1.4%は、俺の誤差だ。責任は、俺にある」
「かっけぇぇぇぇ!!!」
「誤差じゃねぇよ、それで命拾いしたんだからなーー!!」
トリガーはそれらの野次を冷静に聞き流しながら、紙コップをほんの少し持ち上げた。
「生き延びた全員に。命を託された全員に。これから死にかける奴ら全員に──」
言葉が、数秒止まった。
「乾杯」
「「かんぱーい!!!」」
食堂に、われんばかりの声と、缶がぶつかる音が広がる。
エデンは戸惑っていた。
ストレッチャーは卓上に。上にはスナック、干し柿、餅、冷凍おでん、酒、ノンアル、ジュース、サプリメント、なぜか湿布薬、何もかもがぐちゃぐちゃに並び、誰も整理する気がなかった。
紙コップが配られるそばから落ち、皿が無くなればアルミパックの蓋を代用する始末。
「──というわけでぇっ! みんな、エデンくんが初参加でーす! 拍手〜!!」
「うぇーーい!!」
「おめでとー! エデンくんもちゃんと声出してー!」
「……かんぱい、……です」
そのとき、どこからともなくぷしゅっと缶の音がして──
「んふふふふふっ……やばぁ……もう回ってきた〜〜〜〜……エデンくぅん……あのねぇ……あたしさぁ……ほんとにぃ……」
「……?」
「なんか……エデンくんの背中見たときにさぁ……“あっこの子、生きてんな”って思ってぇ……」
「はいはい少佐、こっちね。ちょっとあっちでお話し聞こうか?」
ミロクが即座に滑り込んで抱え、柔らかく、容赦なくハンニバルを回収。
だが彼女はすでにエデンの袖を握っていた。
「やめてぇ〜〜〜〜〜! エデンくんが今、ぬくもりなんだよぉ〜〜〜!!」
「今すぐリリースしないと“ぬくもり”から“負傷”になるぞ少佐!!!」
「やーだーっ!! うちの子がぁ……立派にぃ……生きてぇ……っふふ、だめだ、今日……しあわせすぎて、無理ぃ……明日が来ないでほしい〜……」
「はいはい“だる絡み中毒”はこっちこっち」
引き剥がされたハンニバルはそのままストレッチャーに寝かされ、毛布をかけられて寝息を立て始める。
ミロクがタオルを折って額に乗せると、周囲は拍手。
「やっぱミロク班長、寝かしつけスキル高すぎん?」
「任せろ。こちとら三年連続、年末は泥酔者処理係だ」
「それ係じゃなくて呪いなのでは……」
エデンは、まだ熱の残る袖を見下ろした。
湿り気。体温。柔らかい指の圧。
……これが、ぬくもり。
音が多すぎた。匂いも、多すぎた。
空気はあたたかく、乾いて、濃かった。
誰も叫んでいないのに、声は四方八方から飛んできて、
誰も戦っていないのに、心臓はずっと、身構えていた。
「……」
不意に、紙コップが差し出された。
三浦だった。片手にはサイダー、もう片手には唐揚げがぎっしり詰まった紙皿。
「エデンくん、肉食え肉。あと泡が立ってるうちにこれな、炭酸。飲める?」
「……食べます。飲みます」
「おーけー、いい返事」
ぎこちなく受け取ると、三浦が隣の席をぽんぽんと叩いて座るよう促す。
すでに潰れた看護兵の脚が椅子の下から生えていて、引っかけそうになったが、なんとか避けた。
「……エデンくん、もしかしてさ」
三浦がサイダーをちびちびやりながら、ぽつりと小さく。
「こういうの、初めて?」
「……こういうの、が、まだ、わからないです」
「……そっか」
三浦は何も言わず、紙皿から唐揚げを一つ摘んで、
自分の分を先に口に放り込んだ。
「んまっ……っはーー、これだわ。うちの年末……!」
噛み締めるたびに喜びのオーラを放つその横顔を、エデンは、まじまじと観察した。
不思議だった。
「食べる」ことが、誰かの肯定になること。
「生き残った」という事実だけで、笑ってもいいらしいこと。
「……」
唐揚げは、冷めていた。衣は少ししんなりしていた。
けれど、味は濃くて、脂が舌に絡んで、
──たしかにこれは、悪くなかった。
「──あっやっば、今の顔見た!? エデンくん、今ちょっといい顔してた!!」
「してないです」
「うっわあ出た出た! してないって言うやつぅ〜〜!」
その声がまた他の看護兵に伝播して、あっという間に騒ぎが増幅していく。
ミロクは、その隙に黙り込んだエデンの肩をぽんと叩く。
「大丈夫だ。納会ってのは、酔っ払いを出して、みんなで笑って、ああ今年も終わるなってやるだけの茶番だ」
「……茶番」
「そう。茶番。でもな」
ミロクは空いた皿を二、三枚積み重ねながら、ぼそっと付け足す。
「今年“も”全員揃って茶番できてるのは、大したもんだよ。来年もやれりゃ、上等」
エデンは皿を受け取りながら、その言葉を反芻する。
全員揃って。
茶番。
任務でも訓練でもない時間。目的がないのに、意味はあると言い切る時間。
ハンニバルが寝返りをうち、唸る声。トリガーは壁際のポータブルスピーカーをいじりながら、音量を微調整している。救命士たちはビンゴカードを配り始めた。誰かがピザの最後の一切れをめぐって真剣に争っている。
エデンは、まだうまく笑えない。けれど、固まっていた筋肉が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「……了解、しました」
「ん?」
「来年も……茶番、できるように」
ミロクは、それを聞いて、にやっと笑った。
「そういうのはな、“目標”って言うんだ。悪くない目標だろ?」
エデンは答えず、手にした皿をテーブルへ運ぶ。
騒がしい声と、アルコールの匂いの中で、「任務ではない」何かが静かに積み上がっていくのを、彼の感覚は確かに捉えていた。