謙信ラーメンの扉が開いた瞬間、店内の空気が凍りついた。
カウンター席でラーメンをすすっていたトラック運転手が、レンゲを落とした。小上がりで餃子を頬張っていた家族連れの父親が、口を開けたまま固まった。
クリスの金髪が街灯の光を受けて、柔らかく輝いていた。彫りの深い顔立ち、高い鼻梁、碧い瞳。誰が見ても欧米人だと認識する容姿。
光沢のある紺色のイブニングドレスが店内の照明を受けて、深い海のように輝いている。肘まで届く黒いドレスグローブは、クリスの長い腕のラインを際立たせ、エレガントなメタルオーバルフレームの眼鏡が知的な雰囲気を醸し出している。
背中が大きく開いたデザインから、鍛え上げられた肩甲骨と三角筋のラインが覗く。滑らかな肌は、長年の訓練で培われた筋肉の美しさを惜しげもなく晒していた。深いスリットから、クリスの長い脚が歩くたびに現れる。太ももから膝、ふくらはぎへと続く曲線は、アスリートのような引き締まった美しさを持ちながら、女性らしいしなやかさがあった。
ピンヒールが床を打つたび、その脚は艶めかしく光を反射した。
場違いなんてものじゃない。異次元からの来訪者だ。
「いらっしゃいませ!」
店員の声が裏返った。
「二名です」
博司が普通に答える。
カウンター席に肩を並べて座ると、周囲の客がちらちらと視線を送ってくる。クリスは気にせず、メニューを手に取った。
ゆっくりとメニューに目を通し、優雅に微笑む。
「味噌ラーメンを二つ。それから餃子と、チャーハンもお願いできますか?」
流暢な日本語。その口調は落ち着いていて、まるで「本日のおすすめコースをお願いします」と言っているかのよう。
店員が固まった。
十分後、湯気の立つ味噌ラーメンが二人の前に運ばれてきた。濃厚な味噌の香りが鼻を刺激する。太めの縮れ麺、厚切りのチャーシュー、もやし、ネギ、コーンがたっぷりと盛られている。
クリスはドレスグローブをはめたまま、箸を優雅に手に取った。
周囲の視線が一斉に集中する。
箸で麺を持ち上げ、音を立てずに口に運ぶ。その所作は完璧なテーブルマナーそのもの。
「美味しい」
目を細めて微笑む。
隣の客が咳き込んだ。
次に餃子が運ばれてきた。六個の焼き餃子が、黄金色に輝いている。
クリスは小皿に醤油と酢を注ぎ、餃子を一つ箸で挟んだ。タレに軽く浸し、一口で頬張る。
「んっ!」
小さく声を上げた。その表情が一瞬で輝く。
「この餃子、最高」
「だよね。ここの餃子、美味しいよね」
博司も嬉しそうに餃子を頬張る。
二人は夢中で餃子を平らげた。六個があっという間に消える。
そして、チャーハンが到着した。
大盛りの炒飯。パラパラに炒められた米粒が、光を反射している。
クリスはレンゲで一口すくい、口に運んだ。
「......完璧」
呟きが漏れる。
「このパラパラ感。卵の絡み方。醤油と胡椒のバランス。素晴らしい」
まるでソムリエがワインを評価するかのような口調。
周囲の客が、もはや隠そうともせずに凝視している。
クリスは構わず、チャーハンをレンゲで次々と口に運ぶ。その速度が徐々に上がっていく。
優雅な所作は維持したまま、しかし食べるペースは明らかに加速している。
「クリス、落ち着いて。早食いは体に毒だよ」
博司が苦笑いで囁いた。
「でも、美味しいの」
頬を膨らませて答える。その姿は子供のよう。
ラーメンに戻り、麺をすする。今度は少し音を立てた。
「ずずっ」
その音が店内に響く。
カウンター向かいの中年男性が、箸を止めた。
「......あの人、本当に日本人じゃないよな? 海外だとすする音は駄目なんだよな?」
小声で囁き合う声が聞こえる。
クリスは全く気にしていない。麺を、チャーシューを、もやしを、次々と口に運ぶ。
「このスープ、本当にいい。味噌のコクと、豚骨の旨味が完璧」
真剣な表情で分析する。
博司は黙々と自分のラーメンを食べながら、時折クリスを横目で見ている。その表情には、諦めと愛情が入り混じっていた。
十五分後、クリスの器はすべて空になった。
「ごちそうさま」
満足げに息を吐く。
ドレスグローブをはめたまま、口元を小さなナプキンで拭う。その仕草だけは、どこまでも優雅だった。
クリスは立ち上がると、ドレスの上から膨らんだお腹をぽんぽんと叩いた。
「ふぅ。満腹」
周囲の客が一斉に目を逸らした。
二人が店を出ると、客が小声で話し合った。
「マジであの人、全部食べてたよな」
「ドレスなのに、ガチで完食してた」
「最後、お腹叩いてたぞ」
「カッコよすぎる」
クリスと博司は車に乗り込んだ。
「満足した?」
博司が笑いながら尋ねる。
「ええ。最高だった」
クリスが満面の笑みで答えた。
「締めのラーメンは、日本で一番好きな文化よ」
車が動き出す。上越の夜景が窓の外を流れていく。