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  • 2023年12月22日

    12/22

    この地で家々が緑ならば、わたしはさらに一軒の家に入っていく。 ここで橋が無傷ならば、わたしは無事な地面を行く。 愛の骨折りがあらゆる時期の中に迷い込んでしまったら、わたしはここでそれを喜んで失う。 わたしがそれでないならば、それはほとんどわたしと同じ誰かだ。 ここで一つの語がわたしと境界を接するならば、わたしはそれに境界を接するままにさせる。 ボヘミアがまだ海辺にあるならば、わたしは再び海を信じる。 そしてわたしがまだ海を信じるならば、わたしは陸を当てにする。 わたしがそれであるならば、それはわたしとおなじくらいの誰でもだ。 わたしはもはやわたしのために何も望まない。わたしは底に向かって行こう。 底に向かってーそれはつまり海に向かってという意味だ。そこでわたしは再びボヘミアを見つける。 底に向かわされて、わたしは静かに目覚める。 底から わたしはいま知る、わたしは失われていないと。 こちらへ来なさい、あなたたちボヘミア人たちよ 皆、船乗りたち、港の娼婦たち、そして船たち。 錨で留められずに。あなたたちはボヘミア人であろうとしないのか、イリュリア人たちよ、ヴェローナ人たちよ。 そしてヴェネチア人たちよ 皆。喜劇を演じなさい、笑わせ そして泣かせる劇を。そして百回も迷いなさい。 わたしが迷い、そして試みに一度も合格しなかったように、 けれどもわたしはそれに合格した、一回おきに。 ボヘミアはそれに合格し そしてある日 海辺に恩赦を与えられ そしていま水辺にあるように。 わたしはまだ一つの語と そして別の国と境界を接している、 わたしは境界を接している、どんなにわずかであろうと、すべてとますます。 一人のボヘミア人、一人の放浪者、何も持たず、何にもつかまれたままでいない ただもう才能だけを与えられて、未解決である海から、わたしを選んだ国を見るまでの。              インゲボルグ・バッハマン「ボヘミアは海辺にある」
  • 2023年12月9日

    12/09

    美徳やら義理やら体裁やら 何やら。 火だの男だのに追いつめられて。 とばなければならないからとびこんだ。 ゆき場のないゆき場所。 (崖はいつも女をまっさかさまにする) それがねえ まだ一人も海にとどかないのだ。 十五年もたつというのに どうしたんだろう。 あの、 女。                               石垣りん『崖』
  • 2023年12月8日

    12/08

    あなたは聞け 私の話をよく聞け これからあなたには自分の眼鏡の中を世界が見えるようになる 自分の中の水が話す言葉がわかるようになる 自分の中の火が話す言葉がわかるようになる 目が三つある自分を見ることになる 自分の憤怒を他人のように見ることになる 目が四つある自分を見ることになる 自分の不安を他人のように見ることになる 頭が八つある自分を見ることになる あなたは自分の中の犬たちを見ることになる あなたは自分の中の豚たちを見ることになる          金恵順「これほどまでに痛い幻覚――四十日目」『死の自叙伝』
  • 2023年11月28日

    11/28

    会戦の終わりに 戦闘員は死んでいた 彼のもとに男が来て そして言った「死ぬな こんなに愛している!」 だが死体はああ! こんなに死に続けた                           松本健二訳『セサル・バジェホ全詩集』
  • 2023年11月27日

    11/27-2

    I started a joke Which started the whole crying But I did'nt see That the joke was on me, oh no I started to cry Which started the whole world laughing Oh, If I'd only seen That the joke was on me I look at the skies Running my hands over my eyes And I fell out of the bed Hurting my head from things that I'd said 'Till I finally died Which started the whole world living Oh, If I'd only seen That the joke was on me I look at the skies Running my hands over my eyes And I fell out of the bed Hurting my head from things that I'd said 'Till I finally died Which started the whole world living Oh, If I'd only seen, oh yeah That the joke was on me, oh no That the joke was on me Oh, no, no, no
  • 2023年11月27日

    11/27

    誰の寵児にもならぬがよい 除けものでいるのがよい おまえの人生の 矛盾を ショールのようにして 身を覆うがよい 石つぶてを避けるために からだが冷えぬように           アリス・ウォーカー『革命的つくばねあさがおとその他の詩』
  • 2023年10月24日

    10/24-3

    雪中花わが十七歳は詩を愛し   沖田きみ子
  • 2023年10月23日

    10/24-2

    死の花粉  沖田きみ子 炭鉱の人は自殺を知らない それでなくとも死は満ちていた 朝の井戸は女でにぎわい お別れも充分でないのに 死体が運ばれる ――自分で掘った地底のなかで 埋まってしまったひそかな孤独を――
    • 1件のいいね
  • 2023年10月23日

    10/24

    記憶にとどめよ 罠を 織っている 蜘蛛を ――それこそ おまえが したことなのだ いたるところで          ジェイムズ・スティーブンズ「記憶にとどめよ」
  • 2023年9月12日

    9/12

    「創造性は病気にもかかわらず現われたのか、それとも病気ゆえに現れたのか」                            カール・ヤスパース
  • 2023年9月9日

    9/9

    自由になるためにはお金がいる。お金は牢屋の扉を開けてくれる鍵だ。                              ――ココ・シャネル
  • 2023年9月1日

    9/1

    ふと感じたのは、心の中を通っていった、 かすかなささやき声だったろうか すべては無 無がすべて、と 生きているのに死んでいる 本当に生きられるのは、偽りが死ぬ時、と     ダナ・ウィリアムス『わたしが自閉症だったころ』
  • 2023年8月25日

    8/25

      弟の秘密 私の誕生日が近づくと 弟はこっそり何かをして ずっと秘密にしたまま 聞いてもふふんと言うだけだった けれども或る雨の夜に 弟の泣き声で目が覚めて 訳をたずねてみると 「庭におねえちゃんの大好きな 角砂糖をふたつ植えたんだ 誕生日に大きなお砂糖の木になるように だけど雨でみんな溶けちゃう」 ほんとにこの子ったら          キャサリン・マンスフィールド『詩編(1909ー1910)』
  • 2023年8月14日

    8/14

    面子にこだわるのはやめて。ぼくたちの人生のことを考えて、あなたが見てきた世界のことを教えて。物語をつくって聞かせて、何よりも大切なことはお話なんだ。お話は、つくられているその瞬間にぼくたちを生み出すんだよ。あなたが手を伸ばしすぎてつかみそこねても攻めないから。愛があなたの言葉に火をつけ、言葉が炎に包まれて焼け落ちて、あとには火傷しか残らなくても、外科医の手のような寡黙さで、あなたの言葉が血の流れ出そうなところしか縫い合わせないとしても、完璧にできないのはわかってる。情熱だけではだめだし、技術があってもまだ足りない。でも、試してみて。ぼくたちのために、あなたのために、世間での評判を忘れて、暗闇や明るい場所で世界があなたにとってどんなものであったのかを話して。……名のないものの恐さから、ぼくたちを守るのは言葉だけ。言葉だけが瞑想なんだ。 ――トニ・モリスン、1993年ノーベル文学賞受賞スピーチより(ある民話を紹介する部分)
  • 2023年8月13日

    8/13

    誰しも運命に手をひかれて死に直面する瞬間、数十年の生涯が泡のように消える刹那、今までの事は悉く夢であつたと腹の底から悟らないであらうか。覚醒時を座標とすれば眠る意識の出来事は夢である。ともあれ私は夢を好む。夢は自由な創造の世界を開拓する。与件を踏板として高踏するところに夢と芸術との共通点がある。私は夢に就いて語りたい。夢を語ることは夢の中で夢を語ることであつてもいい。私は夢を語る間だけでも美しい夢を見たい。               九鬼周造「未発表随筆」『全集第五巻』(一九八一)
  • 2023年7月30日

    7/30

    多すぎることが問題であった、 少なすぎることが。「あなた」につき、 「ちがう――あなた」につき、 明るさによる濁り、そして ユダヤにつき、あなたの 神について。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ あなたの神が話題であった、わたしは その神に逆らって語った、わたしは 自分の持ちあわせの心に 望みを持たせた、 その心の至高のことば、いまわのきわの 喘ぎによって包まれた、その 軋轢することばへの望みを。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ (ポウル・ツェラン「チューリヒ、旅宿ツム・シュトルヒェン」『非在の者のばらⅠ・4』)
  • 2023年7月25日

    7/25

    夜明けの黒いミルク私たちはそれを夕方に飲む 私たちはそれを昼と朝に飲む私たちはそれを夜に飲む 私たちは飲みに飲む 私たちは空中に墓を掘るそこなら横たわるのに狭くない 一人の男が家のなかに住んでいる彼は蛇と戯れる彼は手紙を書く 夕闇がせまると彼はドイツにむけて手紙を書く君の金髪のマルガレーテよ 彼はそう書くと建物のまえにでる星がきらめいている彼は口笛を吹いて自分の了見どもを呼び寄せる 彼は口笛を吹いて自分のユダヤ人どもを呼びよせる空中に墓を掘らせる 彼は私たちに命令するさあおまえらダンスにあわせて演奏しろ 夜明けの黒いミルク私たちはおまえを飲む 私たちはおまえを朝と昼に飲む私たちはおまえを夕方に飲む 私たちは飲みに飲む 一人の男が家のなかに住んでいる彼は蛇と戯れる彼は手紙を書く 夕闇がせまると彼はドイツにむけて鏡を書く君の金髪のマルガレーテよ 君の灰色の髪ズラミートよ私たちは空中に墓を掘るそこなら寝るのに狭くない 彼は叫ぶさあおまえらもっと深く地面に鋤をいれろこっちのやつらそっちのやつら歌えそして演奏しろ 彼はベルトのピストルに手をのばす彼はそれをふりまわす彼の眼は青い さあもっと鋤をいれろこっちのやつらそっちのやつらダンスにあわせてもっともっと演奏しろ 夜明けの黒いミルク私たちはおまえを夜に飲む 私たちはおまえを朝と昼に飲む私たちはおまえを夕方に飲む 私たちは飲みに飲む 一人の男が家のなかに住んでいる君の金髪マルガレーテよ 君の灰色の髪ズラミートよ彼は蛇と戯れる 彼は叫ぶもっと甘美に死を演奏しろ死はドイツから来た巨匠 彼は叫ぶもっと暗くヴァイオリンを奏でろそうすればおまえらは煙になって空中にたちのぼる そうすればおまえらは雲のなかに墓をもてるそこなら寝るのに狭くない 夜明けの黒いミルク私たちはおまえを夜に飲む 私たちはおまえを昼に飲む死はドイツから来た巨匠 私たちはおまえを夕方と朝に飲む私たちは飲みに飲む 死はドイツから来た巨匠彼の眼は青い 彼はおまえを鉛の弾で撃つ彼はおまえをあやまたず撃つ 一人の男が家のなかに住んでいる君の金髪マルガレーテよ 彼は自分の猟犬どもを私たちにけしかける彼は私たちに空中の墓を与えてくれる 彼は蛇と戯れそして夢みる死はドイツから来た巨匠 君の金髪マルガレーテよ 君の灰色の髪ズラミートよ                        ポール・ツェラン「死のフーガ」
  • 2023年7月18日

    7/18

    『ストーン・ブッチ・ブルース』を訳している。 わたしはプロの翻訳者でもないし、スタディーズ系の研究者でもない、ノンバイナリとノンヘテロの一般人だ。 翻訳にはGoogle翻訳とDeepL翻訳に協力してもらい、文意のわかりにくいところはわたしが適当に修正した。いい加減な翻訳である。でもそれでいいと思っている。トランスジェンダーとは何か、ストーン・ブッチとは何か、その大意を掴みたいので、無関係の他者が読んでわからなくても平気である。翻訳したわたしがそもそもわからないのではないか。 8時に起きて、艦これやって、午前t中いっぱいまで1章を訳した。原文は平易な文章だが、とにかく長い(全26章で330ページ以上ある)。これを毎日の日課としたい。
  • 2023年7月16日

    7/16

    また 私はトゲトゲノの多い小さい草の実だから、それで人にとりつこうとするほかなかったのだ。 その人もやっぱりさびしい旅行者だったので、草の実をはこんだけれどおしまいには私を落とした。 トゲが折れ磨滅した時、はなれて落ちるのは草の実として当然のことにちがいない、それで事は成就するのだからーー だから悲しみというものは人間に必要なことに属するのだ。 かんじんなことはなにが成就したかを知ることだ。そしてそのことでさびしさをいやす努力をすることだ。 (タトエバ仮リニ、詩ヲカクト云ウコトダケデモ……) 短章集<流れる髪>から
  • 2023年7月14日

    7/15

    とある事情で、mixiの某コミュニティに参加するため、およそ10年ぶりにアカウント復帰した。当然「友だち」は0人。わたしは積極的に退会したが、もしわたしが不慮の事故死か病死しても、同様な状況に陥っていただろう。 ほかにもSNSは細々と続けており、しかしmixi以外でもそう熱心には友だちづくりはしなかったであろうし、元カノとの出会いもmixiだったし、これ以上熱意を込めて見えない人々に対して何かに打ち込むことはないだろうと思う。 SNSで知り合い、亡くなった人も多い。もう更新されることはないと思って亡き人のアカウントを削除するのを、わたしはためらっている。
  • 2023年6月25日

    6/25

    生きている人間、かれらのためにこそ絶望は激しい希望の火を燃えたたせる                             ポール・エリュアール
  • 2023年6月23日

    だまして下さい言葉やさしく

    だまして下さい言葉やさしく よろこばせて下さいあたたかい声で、 世慣れぬ私の心いれをも 受けてください、ほめて下さい。 あああなたには誰よりも私が要ると 感謝のほほえみでだまして下さい。 (後略)
  • 2023年6月21日

    グレンデルの母親は

    最初はグレンデルという名前を知らなかったが、永瀬清子のエッセイ集を読むと、「女性が詩を書くこと」のなかで、こう述べている。 […]私はせっせと詩を書いて、昭和5年には佐藤惣之助先生のお世話で詩集「グレンデルの母親」を出し、先生が立派な跋を書いて下さった。  この題名は英文学で、英雄ベオウルフが怪物グレンデルを退治した話に基づいている。怪物の母親は、そのあと一人王城に乗りこんで息子の切られた腕をとり返す。  討たれたグレンデルの腕はみせしめのため城の上にかかげられていたのだ。けれどやがて彼女も沼地にある自分のすみかに追いつめられ「英雄」にやられてしまう。私の詩はつまりその母親の立場に立って書こうとしたのであった。英雄であり勝利者であるベオウルフの立場ではなくーー。  なぜならすべて勝利者の立場へのほめ言葉が、今まで詩の書き方であったとしても、本当の詩人は、敗者の立場を理解すべきものだと私は信じたかったからだ。  グレンデルの母親は グレンデルの母親は 青い沼の果の その古代の洞窟の奥に (或はまた電柱の翳のさす  冥い都会の底に 銅色の髪でもって 子供たちをしっかり抱いている 古怪なその瞳で 蜘蛛のように入口を凝視している 逞しい母性で 兜のように獲っている 子供たちはやがて 北方の大怪となるだろう 或は幾多の人々の涙を 無言でしっかり飲みほすだろう。 凄憺たる犠牲者の中をも 孤りでサブライムの方へ歩んでいくだろう 悪と憤怒の中にも熔けないだろう そして母親の腕の中以外には 悲鳴の咆哮をもらさないだろう 新鮮な臓物のような 夜の潭みからのぼる月の光は 古代の沼に 或は都会の屋根瓦に燃え グレンデルの母親は 今 洞窟の奥にひそんでいる -1929・4-
  • 2023年6月21日

    星座の娘

    身近くせまってくる人々の愛が 夜更けには私の肉身の部分を作っている 魂がそれらの中を流れめぐり 私は巨いなる天空の神話の娘が 星の鋲で天に留められているような束縛を感ずる (中略) 夜が一刻一刻凝りゆく時 天の神話の娘は 何億年はり切った 星と星との銀縁の綱をたち切り 青い蜘蛛のように しきりに空間へつり下がろうと意志しまいか ああ重く病める恩愛から寒い自我を割きとって 錘のように 唯一の重力を信じて下へ下へ!                  永瀬清子
  • 2023年6月21日

    6/21

     永瀬清子『すぎ去ればすべてなつかしき日々』を読む。永瀬さんは詩人だが、これはエッセイ集である。住んだ土地も年代もまったく違うのに、これを読んだわたしは、幼少期のころを初めて思い出した。  北国の1970年代に生まれ育った。母はそのころ高校の教員をやっており、わたしを連れてK高校に教えに行った。記憶は夢か現実か混同するが、なぜかそこには巨大なエレベーターがあり、母と手をつないだわたしがエレベーターに乗ると、大勢の女子高生たちが「可愛い!」とわたしを見て一斉に叫んだことを覚えている。  当時は子育て支援がなかった。ワークライフバランスのワの字もなかった。母は勝手にわたしを職場に連れ出し、誰にも預けないで授業をした。その間、わたしは他の職員さんたちの部屋に入っておやつやお茶を飲んでいた。授業が終わった母がわたしを必死で探し、職員さんたちに、無断でわたしを連れてきたことが見つかった。以来、子育て出勤は記憶がない。母はやめたのだろうか。職場が母を辞めさせたのだろうか。わたしを育てるために職を辞めて家にこもったのだろうか。  姉は幼稚園に行っており、わたしはまだだった。同じ幼稚園に通おうとしたが、なぜか登園拒否になった。少し遠い、新設の保育園に通った。姉は通園バスに送迎されたが、わたしにはなく、見送りも出迎えも全部母がやった。わたしは育てにくい子どもだったのだろう。  子連れ出勤したのは、おそらくわたしが2歳のときだ。自分でやっと歩けるようになり、バス出勤で遠くまで行き、預け場所も確保しないで授業を行った。  いま思えば、母は正しかった。子連れ出勤を認めようと働きかける前に、すでにいるのだから子連れ出勤せざるを得なかったのだと思う。  わたしたちが手のかからなくなったころから、母は職を辞めた。
  • 2023年6月20日

    6/20

     700万年ぐらい前、人類の祖先はチンパンジー、ゴリラと共にアフリカにいました。アフリカの東側にいたとされます。その頃、地球の気候が厳しくなり、東アフリカでは大地溝帯ができるなど大きな変化がありました。寒冷化と乾燥化によって熱帯林が減り、サバンナになるなどの変化が生じたのです。熱帯林には果物がいっぱい生り、食べ物は豊富で、そこでみんな暮らしていたのですが、次第に食べ物が少なくなりました。森が小さくなって草原が増えたのです。  そういう気候の変化があった時に、ここが私の一番好きなところですが、森で暮らす仲間の中で、私たちの祖先は弱かったというのです。弱いと考えられる理由の一つが、小さな犬歯です。戦う時、動物はみんな犬歯で戦います。とくに大きくなると牙ですね。犬歯が小さくては戦えません。  そこで、森の端に追いやられる。食べ物を取りに行くにも、遠くまで行かなくてはならなかった。しかも人類は家族で共食をするのも特徴ですから、それをもって帰らなくてはなりませんので、立ち上がって手でもち、運んで行ったという物語が書けます。つまり、私たちの祖先は弱かったので、気候の変化が起きた時に二足歩行を始め、その結果、後に言葉を話し現在のような技術をもつところまでつながったわけです。私たちの祖先は強かったからではなく、弱かったからこそ、工夫して新しいことができた、ということになる。                    中村桂子『生きている不思議を見つめて』
  • 2023年6月18日

    6/18

    「生きている」=38億年という長い時間を見る視点 「生きる」=一生という時間  1)ひたすら生きる  2)巧みに生きる  3)わきまえて生きる  4)よく生きる 「よく生きる」は人間だけにあるものと受け止める                                 by川喜多愛雄
  • 2023年6月16日

    6/16

    一、女は「芸術作品」を書きたければ「怒り」を捨てること。『ジェイン・エア』や『ミドル・マーチ』からは「恨み」や「権利国家」の声が聞こえるが、天災小説家エミリー・ブロンテやジェイン・オースティンは、決して「怒り」を表面に出さない。小説は個人勘定の「ごみ捨て場」であってはならない。 一、小説家は自分のヴィジョンで作品をまとめるべきだが、文学の世界にはコンヴェンション(因習)によるしきたりがあって、その審判者は男である。歴史も人生の価値体系も男の作ったものだ。女は芸術、人生いずれにおいても、男と違う価値観を持っているから、当然、男の価値体系を変えたいと思うだろうが、そんなことをすれば男は自分たちとちがうという理由で、作品をみそくそにけなすだろう。 一、「怒り」を抑えるのには詩が最適である。詩には「肝を冷やすような鋭い観察記録」の入る余地はないからだ。テーマは個人を超越し、「われらが運命」とか「人生の意味」とかいったものがよい。 ヴァージニア・ウルフ『女性と小説』
  • 2023年6月10日

    6/10

    泥と水 お前は天の河の水の性(しょう)じゃと母が云った なるほど蒼暗い空にせせらいで 遠く虚空の方へ流れていく それが私の運命か? その時母の顔は笑っていたけれど 「にんげんあんまり清うては倖になれんのぞ」と あわれみ案じた声で云ったーー 私もその時笑っていたけれど 魚も住まずただ望遠レンズでみるだけの あの天の河の水が私だろうか 私はいつか田舎で洪水が 土堤の竹藪を雑草のようにやすやす押し流すのを見た そのとき根こそぎの大木も川上から流れて来て 片腕あげながら渦に巻きこまれていったし 牛も吠えながら流れていった 洪水が引いたあと見ると 田圃の中の電柱のてっぺんには 藁や山草が巻きついて それらわかめのようになめされた植物で 電柱は思いもかけぬ高い所に 泥色の首巻をして立っていた きく所によると アマゾンでは毎年三月の大潮に ポロロッカが押し寄せるそうだ つまり逆流する海が何哩も 奔馬のように駆けて来て川をのぼるのだ あれは海の万やむを得ない悪阻と同じなので 誰しも息を吸うたり吐いたりするように 地上にも大きな脈があるから 巻きこまれまいとしても泥も水も 風琴の中の空気みたいに私たちを出し入れするのだ いくら天の河の水の性だといっても 空にとおく煙のようにただよっているだけではない この世にいるかぎり 好きなほどこの世の泥と水でくらすしかない そして地上で 藁と草でマフラーした電柱ほどにも立っていられたら それがせいぜい立派なことだ 母よ こう思っている私をあんまり心配しなくてもいいのです
  • 2023年6月9日

    6/9

    内からの感覚 書くという行為においては、ある不思議なことが起こる。自己を内部から感じることとしての、意識にいわば直接与えられているものが、わたしとおなじように自己を内部から感じている、わたしとおなじような他人のイメージへと、変換されるのだ。このおかげで詩人は、自分のことのみならず、他人についても書くことができる。
  • 2023年5月31日

    5/31

    このサイトに登録して約1か月が経ちました。カクヨムというサイトのネーミングですが、フォローしているメンバーがお互いの作品を読んで書いて、という意味だったのかと、やっと判明しました。てっきり自分の作品の推敲ばかりやっていました。。。とほほ。 わたしが読むのは翻訳小説で、しかも東欧の作品ばかり。いまはイスラエルのホロコースト2世であるデヴィッド・グロスマン『死を生きながら』というエッセイを読んでいます。現代日本の作品も読もうかなと思っているんですが、ついつい書いてアップする側に偏ってしまいます。 さて、ジャンルを検索して、読む態勢を整えないと。
  • 2023年5月23日

    5/23

        よろこび おお、萌えあがる朝にはじまる美しき日よ 烈々として壮麗なる大地ほこらかに めざめたるいのちの香り強くはげしく 存在はすべて酔いしれ、よろこびにおどる。 ありがとう、わたしの眼よ、 すでに老いた額の下でなおも澄んだまま はるかにきらめく光を眺めうるを。 ありがとう、わたしのからだよ、 疾風やそよかぜにふれて、 なおきりりとしまり、おののきうるを。 すべてのもののなかにわたしは在る、 わたしをとりまきわたしにしみわたるすべてのなかに。 厚き芝生よ、かそけき小径よ、 樫の木々の茂みよ、かげりなき透明の水よ、 あなたがたはわたしの記憶であり、わたし自身となる。 おお、熱き、深き、強き、やさしき跳躍よ、 もしそれが巨大な翼のように君をもちあげ、 無限へとむかわせたことがあるならば、 ひとよ、つぶやくな、不幸な時でさえ、 どんなわざわいが君を餌食にしようとも、 思え、ある日、ある至高な瞬間に この甘き、おどろくべきよろこびを 心おどらせてあじわいたるを。 君の心が君の眼にまぼろしをみせ、 君の存在を万物のなかにとけこませ、 このたぐいなき日、この至上の時に 君を神々に似たものとなしたるを。 ヴェルハーレン(訳:神谷恵美子)
  • 2023年5月20日

    5/20

    「鳩の嘴」   なにも言わない なんてほんとうに?    なにも要らない なんてほんと? 世界は自分の経験によって変わるものとは思わない             けれど       過去から学ぶくらいなら       新しいpageを開きたい      子どもなら 何処だって遊べる     叱るあなたも 叱られたでしょう?  紙飛行機が避雷針より高く飛んだわ  この世界に なんの意味があるの?    あるとしたら 感謝と祝福    一羽の鳩がそよ風に泳ぎ   自由に湧き出る潮のなかに住む 魚の群れを狙っているわ ああしあわせ 人生は 喜び続けることに意義がある  人生は ありのままを感謝し続ける それを知るテスト 簡単でしょう? 幸せを追い求めるのではなく  この幸せに身を置くの    簡単でしょう? あなたは とても賢く勇気がある  愚か者なら なおさらいいわ 「ぼたんの掛け違い」 私は自分自身が望んでいない性癖を持っているのだろうか。その答えは、やはり四歳のころ一緒に遊んでいたぬばたまの髪の子が目の前でレイプされた、あの事件にさかのぼる。 それは、人生という愛情を探す人の道でぼたんの掛け違いによる話である。 四歳のころ、無垢だった私は目の前で襲われている女の子を助け出そうと思う一方。 第一にボクハソンナニツヨイ人間デハナイ。 第二にボクハ彼女ヲ守リタカッタ。 第三にアノオオキイ大人ニボクハナッテユク。 第四にボクハ心ヲ壊シ精神ヲ壊シ思イヤ性ヲ壊シテ彼女ニナリタイ。 第五にボクガトリモドシタイノハボクデアリ彼女トイウボクダ。 彼女に別れ際に質問をした。「やさしさってなんですか」 彼女は答えて言った、「ゆるすことかな、みすてるとすこしちがった」 真っ黒にしたオセロ 何食わぬ顔で君はひるがえして君と永遠に遊んでいらたら良かったのに…… 平成二十八年〇月〇日「けれども、ゆえに、かもしれない」 「私は社会的弱者でしかない、けれども、こんなに小さく愚かな者を神様は用いてくださる、それゆえに、私は多様性のある人たちと生きているのかもしれない」 「私には成功体験がなく、自分に対して悲観的な見方しかできない。けれども、他者を非難し、自暴自棄に陥るのは、根底に相当な自信があるからだ。ゆえに、私は悔い改めることで人生の再スタートをきれるかもしれない」 「私のこころは病で満ちている。けれども、私には真の理解者がいる。ゆえに、私のたましいは病に打ち勝てるのかもしれない」 「私を試みる者がいる。その輩に生活を脅かされている。けれども、私は苦難を乗り越える力と脱出の道が備えられている。ゆえに、私は神様を信じてるのかもしれない」 「自分自身をフルートに例えるなら、せいぜい、二〇〇〇円ほどの壊れたフルートと言えよう。けれども、誰の手にあるかが重要だ。超一流のフルート奏者(神)の手の中なのか、そうでないのか。ゆえに、私の価値は、私の設計者に委ねるべきかもしれない」 「私は障害を患うため医師に次のように言われた。『仕事と結婚は諦めなさい。それが君のためだ』けれども、私は人を愛する意味を勉強しよう。ゆえに、私の障害の意味とは私だけが決定する。私は折れた心から人のやさしさを知ることができるかもしれない」 「この世は差別と偏見で満ち溢れている。けれども、傷つけられた者の責任を私は機果そう。ゆえに、私の個性はそれらに勝ると言えるかもしれない」 「私は苦しみとともにいる小さなものだ。けれども、一生懸命に生きることによって成長してゆこう。ゆえに、助け手は得やすく荷は軽いのかもしれない」 「私はなんとしあわせから遠い者であろうか。けれども、苦難から忍耐が生まれた。忍耐から練達が生まれつつある。ゆえに、私の将来は希望で満ち溢れている」 「私は無学で知能の低い者だ。けれども、日常生活や学校で教わった基礎を大切にしよう。ゆえに、昇華が遅かった分、これから私は大きく伸びてゆくかもしれない」 雨宮さんという統合失調症の人が書いた詩を三点メモしました。
  • 2023年5月11日

    5/11

    「みんな、ただ、生き残りたかった。生き続けたかった。……どんな犠牲を払ってでも、生きたかった。なぜ? この人生のどこが、そこまでして生きたいと願うほどすばらしいのか? でも、それでも、みんな、生きたかった」
  • 2023年5月8日

    5/8

    GWが終わりました。みなさん、連休中いかがおすごしでしたか? わたしはもう10年以上GWが続いているようです。病気療養中で、つまらない職場に就職するくらいならいっそ無職のほうがいいと思い、毎日読書と映画鑑賞し、ちょっとした所感をまとめています。 小説のネタバレはあまり好きではないんですが、あの作品には実際の人物がいます。詩人カオルはわたし、稍々子は想像上ではなく、月イチで通院している診療所の看護師さんです。定期的に血液検査や爪切りをしてもらっているうちに、ぼちぼち話すようになり、最近気になっているひとで、稍々子さんをモデルにしたひとです。プライベートはまったく知りませんが、気になるひとって、自然に想像が膨らみません? わたしだけ?  診療所は暦通りの診察で、わたしは明日火曜日に、針などの廃棄物を溜めたペットボトルを看護師に渡します。そのペットボトルに「LINE ID」を書いたポストイットを貼って、渡す予定でいます。さて、反応はいかがなものになるんでしょうか。不安だけど期待も膨らみます。 こんなふうに誰かを意識するのは、ざっと30年ぶりです。オトナになれば誰もが「愛のないセックス」を経験するもので、恋愛はしんどい、と感じる年齢でした(わたしの場合)。でも改めて恋愛のトレースを順を追って丁寧になぞるのも、また乙な感じなのではないでしょうか。体力も瞬発力もないですし、ゆっくりじわじわマイペースでやっていくしかありません。まるで「おじいちゃんライフ」です。 動きはスローモーですが、逸る心を抑えきれません。もしかしたら今日、行くかもしれません。
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  • 2023年5月7日

    5/7

     連載中の『テロメアから遠く離れて』は、あらすじにも書いたとおり、『やっぱり猫が好き』の現代版オマージュ(パクリ)です。当時はバブルで、ゴールデンタイムにもかかわらず、変なドラマが製作されていました(予算が余り過ぎたのでしょう)。吉田栄作主演『もう誰も愛さない』はシドニー・シェルダン原作です。話がスピーディに展開するTVドラマで、一回見逃すともう今の話がわからないという、平気で読者を置き去りにしました。いまのテレビ業界では考えられないです。深夜バラエティ『夢で逢えたら』は、若きダウンタウンやウッチャンナンチャン、野沢直子や清水ミチコがレギュラー出演していました。わたしは毎週テレビにくぎ付けになり、そのなかに『やっぱり猫が好き』もありました。まだメジャーにはならずに、抽選で当選した番組オリジナルテレホンカードも持っています。メルカリには絶対出しません。わたしの家宝です。  話をずっと過去に戻します。漫画やアニメでは手塚治虫と永井豪がツートップ、「手塚は女が描けない」と言われていましたが、それは永井豪のエロティックなタッチが手塚にはないものだったのではないかと思い、でも二人に共通するテーマはアンドロジナス、つまり表象するものは男でも女でもない、ということです。手塚治虫『メルモちゃん』『リボンの騎士』、永井豪『キューティーハニー』『けっこう仮面』『あばしり一家』など、男でありながら女である、男のような女を描く、その描きかたに、わたしは多大な影響を受けました。フランスでは永井豪『UFOロボグレンダイザー』がいまも人気です。ロボットでありながら流線形スタイルで、つねに変形する動きはエロティックに感じます。  そう言いながら、どの位置にも置けないのが楳図かずおです。『洗礼』『14歳』はいまでも傑作だと思います。  萩尾望都や竹宮恵子などの文学の漂う少女漫画で、特に岡田史子が好きでした。SFではアーシュラ・K・ル=グィン『闇の左手』。トランスジェンダーの登場人物がいて、男性の主人公を翻弄する物語です。当初ル=グィンは男性名で小説を書きました。それくらいSF小説業界では「小説は男が書くもの」という社会的偏見があったのです。その常識を打ち破った人たちを、古臭い慣習に変化を起こそうとした人たちを、わたしはこよなく尊敬します。  ドフトエフスキーで哲学に目覚めた人は多いと思いますが、わたしは漫画で目覚めました。フランスの小説に雰囲気が似ていたように思います。『異邦人』は大のお気に入りです。日本なら『ドグラ・マグラ』。中学のときに二回読むとは思いませんでした。  いまではテレビも漫画も見ませんし読みません。テレビは20年前に処分しました。人気漫画がテレビアニメになったのを、たまに配信で観るくらいです。  読書は相変わらず好きで、東欧文学に関心があります。アウシュヴィッツやホロコースト文学、ヒロシマ・ナガサキ・オキナワの文学も好きで読んでいます。人々の記憶に残らないものを、難解でわかりにくいものを、わからないまま記憶にとどめておくのが、たぶん好きなんでしょう。  わからないものを、もっとかみ砕いて読者に提供しようとは思いません。わからないことをわかったふうにして素通りすることも、わたしは許さないのです。
  • 2023年5月6日

    5/6

    GWが過ぎました。ということは、今月はふたつの文学賞の発表予定があります。どちらも落選したら、来年用に温めていた小説原稿を来月にもアップする予定です。 ちなみに、今年応募した原稿は朝鮮大虐殺からちょうど100年なので、それをテーマにして書き終え原稿を送付しましたが、はたしてどうでしょうか。自信がありません。 新規アップしたら、ああ、コンタは今年もダメだったんだろうなーと、ほくそ笑んでくださいまし。
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