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 何十万という人びとが、あるちっぽけな場所に寄り集まって、自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにどんな石を敷きつめてみても、芽をふく草をどんなに摘みとってみても、いや、どんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみても――春は都会のなかでさえやっぱり春であった。太陽にあたためられると、草は生気を取りもどし、すくすくと育ち、根が残っているところではどこもかしこも、並木道の芝生はもちろん、敷石のあいだでも、いたるところで緑に萌え、白樺やポプラや桜桃(みざくら)もその香りたかい粘っこい若葉を拡げ、菩提樹は皮を被った新芽をふくらませるのだった。鴉や雀や鳩たちは春らしく嬉々として巣づくりをはじめ、蠅は家々の壁の日だまりのなかを飛びまわっていた。草木も、小鳥も、昆虫も、子どもたちも、楽しそうであった。しかし、人びとは――もう一人前の大人たちだけは、相変わらず自分をあざむいたり苦しめたり、お互い同士だましあったり、苦しめあったりすることをやめなかった。人びとは神聖で重要なものは、この春の朝でもなければ、生きとし生けるものの幸せのために与えられた、この神の世界の美しさ――平和と親睦と愛情に人びとの心をむけさせるその美しさでもなく、互いに相手を支配するために自分たちの頭で考えだしたものこそが、神聖で重要なものだと考えていた。



             トルストイ『復活』(訳:木村浩、新潮社、2010)

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