しばらくして、ドアがノックされた。
「蒼ー、おかゆ持ってきたわよ」
母親がトレーを持って入ってくる。ベッドの傍らに座るソフィアを見て、一瞬だけ目を細めた。それから、特に驚いた様子もなく、ごく自然な顔で近づいてきた。
「あら。ちゃんといてくれてたのね」
「はい。お邪魔しています」
「いいのよ、来てくれて助かったわ。この子、熱があっても素直に寝てないから」
「……聞こえてる」
「聞こえてていいのよ」
母親はトレーをソフィアに手渡しながら、ごく自然な調子で続けた。
「蒼って、ひとりにしておくと絶対スマホ触り始めるから、誰かいてくれると安心だわ」
「あー……なんとなく、想像できます」
「でしょう。ふふふ、よく分かってるのね」
二人が普通に話している。蒼は布団の中でそれを聞きながら、割って入る気力も、入る隙間もなかった。気づいたら会話が終わっていた。
「おかゆ、冷めないうちにね。あと、無理に食べさせなくていいから。気分が悪かったら残していいって伝えて」
「聞こえてますが?」
「はい。ありがとうございます」
母親はにこりと笑って、それだけ言い残して出ていった。ドアが閉まる。
「……なんか普通に仲良くなってない?」
「そうですか?それなら嬉しいです」
ソフィアはあっさり返して、トレーをサイドテーブルに置いた。おかゆの器を手に取って、スプーンですくう。それからふう、と息を吹きかけた。
「……何してんの」
「熱いと喉に悪いので」
もう一度、ふう。丁寧に、ゆっくりと冷ます。その仕草がやけに様になっていて、蒼は少しだけ視線を逸らす。
次の動作が読めてきて、先手を打つことにした。
「自分で食べるから」
「そうですか」
ソフィアはそう答えながら、スプーンをこちらに向ける。
「蒼くんあーん」
「……聞いてた?」
「聞いていました」
「じゃあなんで」
「はい、あーん」
引かない。スプーンがまっすぐ差し出されたまま、ソフィアの表情は至って穏やかだった。落ち着いた目で、ただまっすぐこちらを見ている。ただ、耳がうっすら赤かった。
「蒼くん」
「……なに」
「口、開けてください」
断れる、と思った。断れるはずだった。言葉を探して、でも見つからなくて、気づいたら口が開いていた。
ソフィアがそっとスプーンを運ぶ。
「熱くないですか」
「……ない」
「よかったです」
次の一口、また次の一口。ソフィアのスプーンの運び方は丁寧で、急かさない。
飲み込むのをちゃんと確認してから、また器に戻す。淡々としているのに、どこか丁寧で、だんだん抵抗する気持ちが薄れていくのを感じた。
「蒼くん」
「なに?」
「口、閉じてます」
慌てて口を開ける。またスプーンが近づいてくる。呼吸のたびに、良い匂いがかすかに流れ込んでくる。顔が近い。斜め上を向いたまま、視線の逃げ場を探し続けた。
「……うまい」
声に出てから、少しだけ固まった。
「ふふ」
ソフィアが小さく笑う。
「よかったです」
「……おかゆが、っていう意味で」
「それ以外何かあるんですか?」
揶揄うように言いながら笑うから、それ以上何も言えなかった。耳が熱い。熱のせいにするには、もう無理がある。
「あと少しです」
「……うん」
「がんばってください」
「頑張るほどじゃ——」
言いかけた瞬間、また口が開いていた。体が先に従っている。ソフィアのスプーンが、また口元へ近づいてくる。
その時、コン、とノックが一回。間を置かずにドアが開いた。
「お茶持って——」
母親が、固まった。おかゆの器を持つソフィア。口を半開きにしたまま斜め上を向いている蒼。スプーンが、ちょうど蒼の口元へ向かっている途中だった。
三人、全員止まった。
「ち、違くて……」
「蒼くんが、体調が悪そうで何かできないかなと思いまして」
「食べにくかったから、ソフィアが気を遣ってくれて」
「蒼くんにちゃんと食べてほしかったので、ただそれだけで」
「……うん、だから、そういうことで」
「……そういうことです」
二人して顔を見合わせてから、同時に視線を逸らした。お互いをかばうような言い訳だったのに、なぜかそれがいちばん正直な気がして、蒼は口をつぐんだ。ソフィアも、それ以上何も言わなかった。
母親は、最初から最後まで、にこにこしたまま聞いていた。
「……ラブラブねえ」
二人とも、一瞬で顔が赤くなった。さっきまでとは比べ物にならないくらい、耳まで真っ赤になった。
「「ち、違っ——」」
また声が揃って、またお互いの顔を見て、また同時に逸らした。それがさらに恥ずかしかった。
母親はお茶のカップをサイドテーブルに置いて、今日いちばん楽しそうな顔でドアへ向かう。
「ソフィアちゃん、ゆっくりしていってね」
「……は、はい。ありがとうございます」
「蒼、ちゃんと食べなさいよ」
「……わかって、る」
声がうまく出なかった。ドアが閉まる。廊下から、笑い声が遠ざかっていった。
しばらく、二人とも黙っていた。部屋の中に、静けさだけが残る。
「……ラブラブって言われた」
「……言われましたね」
「……俺たちってそんな感じに見えるんだな」
「……見えるんでしょうね」
「「……まあ」」
二人して同じタイミングで言って、同じタイミングで黙った。それ以上は何も言わなかったけど、なぜか十分だった。窓の外で、風が木の葉を揺らす音だけがしていた。
「……続き、食べますか?」
「………食べる」
またスプーンが差し出される。口は、すぐに開いた。
ソフィアは小さく笑って、最後の一口をゆっくりと運んだ。お互いにまだ少し顔が赤かった。
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読んでくれてありがとうございました!
次回作お待ちください!
執筆はだいぶ進んでおります!
次の番外編から限定公開になります🙇♂️