先日、内定式たるものへ行ってきた。
社長のお話の内容は、ざっくり言えば「夢を追え」みたいなことだった。いい意味で青臭くて、少年ジャンプで連載できるんじゃないかと思った。
僕の小さい頃の夢は、大体漫画家か小説家だった。幼い頃から書くことが好きだったんだと思う。大人になって夢を叶えるのが待ち遠しかった。
今でも書くことは好きか嫌いかで言ったら好きだ。でも、小説家になろうとは思わない。これ以上大人になりたいとは思わない。それよりも今の僕の夢は、創作という己の思想から出た神を純粋なまま愛し、それのために今すぐに殉ずることだ。これは自殺願望だとか、破滅願望とはちょっと違う……と思う。
大人になるにつれて、きらいなものが増えていった。
それは虫であったり、魚介類であったり、体育の授業であったりもするけれど、一番きらいになったものは人だ。
すれ違いざまでぶつかってくる人や、混雑しているバス内で「もう乗れないから発車しろ」と怒鳴る人、泣き止まない赤子に苛立つ母親、自創作を読んでくれと営業してくる物書きたち。あげたらきりがないが、僕はそれらすべてが嫌いだ。
きっと、みんな心に余裕がないのだと思う。社会という荒波に揉まれ、傷つき、これ以上自分が傷つかないために、語気も態度も荒くなる。まるでハリネズミのように威嚇して。
学生時代(といっても、まだ学生なのだけれど)の僕は、(これもまたクソガキなのだが)そんな余裕の無い大人たちを冷笑していた。こんな大人になってやるものか、僕は清く正しく生きてやると誓っていた。
けれども、今の僕が清く正しく生きているかと問われると、ちょっと怪しい。軽率に頷けない。自制しているつもりだが、どこかでやはり、語気や態度が荒くなっているかもしれない。言葉が強くなったのは確かだ。
僕は、大人になるにつれて、自分自身の才能への信頼と愛は深まっていったけど、自分という「人格そのもの」はきらいになっていった。
僕はこれ以上大人という「きらいなもの」になりたくない。
そんなの、僕以外の誰かがN万回言っていることだって知っているし、言ったところでどうにもならないことも知っている。けれども、僕の痛みは僕だけの物だって言い張りたい。と、同時に、「痛みって(笑)」と冷笑せずにもいられない。
僕は内なる僕に常に冷笑されている。他人から笑われるくらいなら、他でもない僕に笑われた方がマシだから。
でも、自分で自分を笑ったり、そんな笑わざるをえない状況を作った(被害者面乙)世界を呪うのはちょっと疲れる。【自省録】俗世・呪詛でも書いたが、僕の執筆動機は俗世への恨みだ。僕の恨みを受け止めてくれるのが、創作という、大いなる「僕だけの」神なんだ。
だから僕は、創作という神を純粋なまま――承認欲求を満たしたり、商売道具にしたりしないで――大切にしたいし、理想的な形で創作を愛せているうちに、死んでおきたい。
けれども、この思想はパンピーには理解してもらえない。現に、僕の母は「簡単には死ねないよ」と言った。そんなこと、腕を洗濯板にした時点で、苦しくてロープを切ってしまった時点で知っている。
僕は僕の理想の愛を貫きたい。それだけじゃダメなのかな。
もし、社長にこれが僕の夢だと明かしたら、社長は驚くのだろうか。それとも青臭いと一笑に付すだろうか。
案外、私も昔はそう思っていたと同情されたら、それはそれで、僕は社長をきらうのだろうな。