物事を相対的に捉えるクセがあり、そうすると正しいも間違いも無くなるので、進む道がわからなくなる
人の行動の動機はなんなのかなと考え
意思かなと欲望と言ってもよいけど
と しばらくは思っていました
で
られる表現の違和感は受身と尊敬の違和感から始まっているのですが
自発 が鍵になるのかなとも考えていました
なんか意思っぽさもあるし いわゆる日本的な自然との一体感もあるし
で
可能は
オレできるぜスゲー
な感じがあり そもそも られる表現に入れてていいのか
と継子に思っていました
現代語でら抜きになるのもそりゃーね と
しかし
「可なるべくして能う」
というフレーズが頭にわいたとき
あぁ
可能が意思だったんだね
継子扱いしてごめん「可能」
我欲呼ばわりしてごめん「意思」
となりました
昨日のことです