最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――
https://kakuyomu.jp/works/16818622171006782162105話 どうせこの前の男が死んだからさみしいってだけでしょう
戦闘魔導具として従順に戦い続けていた慧は、ある夜、継承者三人と共に過ごす席に招かれる。
特に前衛のラーンマクは彼を高く評価し、気安い態度で距離を詰めてくる。酒が進み、彼女の本音の一端がこぼれる中、アルクトィスが「慧の過去」に言及し、その真相を問う。
言葉を持たない慧は、石を使って土に字を書くことで、ついに自らの来歴を語ろうとする――。
殺してしまった命の重さを語ることもできず
騙されたと訴えることもできず
自分の名すら、無視され続けていた
そんな彼が初めて、自分の物語を、自分の手で語ろうとする。
過去回想の中でさらに過去回想に突入します。物語の入れ子構造ですね。
106話 理不尽な死
自分の元いた世界――日本――について語り出す。
高度に発達した文明はこの世界の比ではなく、おそらくはこの戦争も簡単に抑え込めると豪語する慧。
しかし、そんな日本ですら力と論理の不穏なバランスの上に成り立っている。そして自身の両親が「交通事故」という理不尽な死によって奪われたことも語られる。
回想。彼の唯一の親友・稔《みのる》との、深夜のコンビニ前での会話が描かれる。
稔は宗教学の講義で得た知識を語りながら、「自然崇拝」や「日本人の宗教観」について嬉々として話す。
だがその背景にあるのは、自然という「制御不能な力」への畏れと、そこに名前を与えることで折り合いをつけてきた人類の文化的知恵だった。
核抑止論と現代兵器の論理による異世界との対比
個人的な死の記憶=両親の死による「理不尽さ」の内在化
稔との回想と「アミニズム」の語りによる死と信仰の文脈づけ
これらはすべて、「なぜウツロ(慧)がここまで苦しんでいるのか」「どんな喪失とともに来たのか」を語るうえでの下地です。
語りは一気に現代風に変化します。
107話 米一粒に七人の神様
稔との会話はさらに深まり、日本人の宗教観、外来の神々を取り込んで混淆させる柔軟な信仰スタイルについて語られる。
一神教と異なり、八百万の神を擁する日本文化は、異質な神を排除するのではなく「受け入れて馴染ませる」傾向があるという。
そして場面は転じ、重い足取りで病院へ見舞いに向かう。
彼を待っていたのは、夕日に照らされながら病室でじっと座る妹・芹奈の姿だった。
会話は淡々としているが、確かな絆と、深く刻まれた喪失の痛みが静かに流れている。
この回で描かれるのは「異世界」ではなく「現代日本」。
長々と語っている宗教観の説明はこの物語のテーマとして重要だと考えていて、異世界の「一神崇拝的な神話構造」への対比ともなっています。また、日本は他文化を融合できる。が、慧は会社でも家庭でもどこか孤独を抱えています。
後半は妹が登場。
108話 やっぱりどこかおかしくなっちゃったんだ
妹・芹奈の病室を訪れた慧は、主治医から病状の報告を受ける。
事故によって身体に現れた麻痺の症状は、どうやら器質的な損傷ではなく、精神的なものが要因らしい。心の傷が身体症状として現れる――いわば心因性の運動障害。
慧は妹と会話する中で、外出の提案を口にしてしまう。しかし、これは芹奈にとって両親が亡くなる前に交わした「最後の約束」の再現であり、トラウマを呼び起こしてしまうことになる。
芹奈は「やっぱりどこかおかしくなっちゃった」と自嘲し、慧は謝罪しながらその場を後にする。
数日後、地震が発生。最初の小さな揺れに続き、本震が会社を襲い、社屋は混乱に陥る。慧は妹を心配して会社を早退し、津波警報が出ている中、急いで海沿いの病院へと向かう……。
「現代編」の描写ですが、異世界ファンタジーとは異なる災厄のリアリズムが描かれます。
妹の病、心因性障害、地震と津波――いずれも「目に見えない不安」「不可抗力」に囲まれた現代の異常な日常。
この圧倒的な現実感が異世界パートとのコントラストを際立たせています。
109話 なんだよこれ
地震直後、慧は妹を助けるため自転車で病院へ向かう。
駅前でさらなる大地震に襲われ、駅の階段が崩落。これが「本震」であったと確信する。
混乱する市街地を抜け、徒歩で病院へ急ぐ慧。
倒壊、停電、ガソリンスタンドの渋滞、津波の予兆――あらゆる災厄の中、妹への想いだけを頼りに前進する。
やがて病院の屋上で妹の無事を確認。しかし、ドクターヘリに芹那が乗っていないことに憤り、看護師に詰め寄る慧。
だがそれは命の優先度という現場の判断によるものであり、自衛隊の救助を待っている状況だった。
看護師は慧に芹那を託し、次の避難者を探しに走る。ヘリは入れ替わるように、次の命を運ぶために飛び立つ。
災害時の恐怖と混乱、焦燥と怒り、希望と絶望が一繋がりの連鎖として描かれます。
私も昔大地震に被災したことがあるので、このあたりの描写は極限を生き抜いた経験が生きたのかもしれませんね。
110話 かみさま
自衛隊のヘリが芹那の救助に成功するも、慧は混乱の中で取り残される。
病院の屋上は傾き、建物の崩壊が始まる。地震と津波の猛威は止まず、病院はついに崩れ落ちて濁流に飲み込まれた。
瓦礫に足を挟まれ、水中でもがく慧。
芹那の兄として、彼女を守ることに人生の意味を求めてきた慧は、死を前に神に問う――「俺が何か悪いことしたか?」と。
だが答えはなく、彼はこの世界に、神に、人に、自分自身に絶望していく。
最後に残った言葉は、「何もかもが嫌いだよ」。
『13 首失の禍斬』完結。
本話はその最終話として、最大のカタルシスと最大の絶望を同時に読者へ突きつけます。
もはや異世界も魔法も出てこないのに、転生譚として最も核心に迫る瞬間がこの話です。