"I know this sky loves you"────
七月もいよいよ下旬に差し掛かり、夕立とヒグラシが日暮れ時を分け合うような時節となりました。初夏の頃の爽やかな夏日とはまた少し違う空気も、季節限定の特別なものでしょうか。
私が今日引用したのは、Orangestarさんの「快晴」です。私がVOCALOIDに触れたのはかれこれ十年ほど前になりますが、近年は主にYouTubeなどで広がりを見せているようですから、あまり明るくはないけれども聞き覚えはある、なんてこともあるかも知れません。VOCALOIDはいいですよ。
「梅雨が明けるまであとどれくらい?」というフレーズで始まるこの曲では、夏の美しさを思い出しながら、二度と帰れない夏に思いを馳せます。夏全開のメロディラインとは対照的に、もう過ぎ去ってしまったものとして一歩引いた視点から、仄かな哀愁や郷愁を感じさせます。終わりがあるからこそ美しい、という思想は侘び寂びの文化とも通ずるところがありますが、それでもやはり物事の終わりとはいつも口惜しいものです。
しかし、もしも、一度失ってしまったものを取り戻す術があったなら。人はそれでも、失うことの美しさを信じられるのでしょうか。創作においては往々にして予定調和的な救済がもたらされますが、イギリスの詩人によれば「事実は小説よりも奇なり」だそうですから、誰しも一度くらいそんな機会があってもいいのかも知れません。皆さんにも、今更にもう手が届かないもの、しかしいつまでも忘れられないものはありますか。
私はもう数えることも億劫になってしまいましたが、敢えて一つ挙げるとすれば、それはきっと創作に対する純真潔白な熱量だと思います。今の私の創作が邪なものであるとまでは言いませんが、少なからず私の原点は、濫觴の衝動は、もっと遥かに小綺麗なものであったと信じて止まないのです。その片鱗にでも触れられるよう、今夏の執筆には心血を注ぐつもりです。
時に人は、する後悔よりもしない後悔の方が大きいそうです。それが自身の行動の結果したものであれば納得もできましょうが、選択を放棄したという自責の念はなかなかに払拭できないのでしょう。季節は巡り巡れど、「今年の夏」は一期一会。皆さんも夏を全力で謳歌して──安い言葉ではありますが、願わくは悔いの残らない夏をお過ごしください。