Wikipediaなど、誰でも編集できるタイプのサイトには情報が集まりやすい反面「荒らし」が現れるという宿命がある。
私には正確な情報を作為的に削除・書き換えたりする「荒らし」をする人間の心理がよくわからない。
そこでAIと議論し、おおまかに4つの型に分類されるだろうと結論した。
① 世界観改変型
嫌いな情報を消し、自分好みの情報や解釈を「正しい歴史」にしたいタイプ。
欲しいもの:自分好みの情報だけの正史
快感:「私の解釈が現実になった」
② 小さな万能感型
編集・削除・改変によって、情報を自在に操作できること自体が快感になるタイプ。
欲しいもの:コントロール感
快感:「私が世界を動かした」
③ 反応誘発型
イタズラや挑発で周囲を反応させ「自分の行動が人を動かした」ことを楽しむタイプ。
欲しいもの:注目・反応
快感:「私が人を動かした」
④ 脳内特権階級型
古参や情報通などの属性を「編集権」「発言権」「管理権」に脳内変換し、後から来た人間を下位に置き、情報の独占欲に基づきマウンティングするタイプ。
欲しいもの:地位・優越感・情報の独占
快感:「私はこの場所で上位だ」
もちろん例外や複合型もあるだろうが、おおよそこんなところだろう。
私が理系大学に入学した当初の授業で「レポートの出典にWikipediaは使用しないこと」というルールを説明されたが、理由がよくわかる。
情報掲載までの閾値が低すぎると、精査が十分にされず、正確性が損なわれるのだ。本なら全て正しいという訳ではないが「マシ」なのである。
そして、正確性よりも、一番大切なことは「間違いを間違いと認められること」だと私は思う。考察や情報の誤りのみならず、人間として。
間違いを恥じる気持ちが生じるのは当然だが、その恥を回避するために正当化しようとする姿は滑稽にうつる。大きな恥だ。恥に恥を重ねることになる。恥の上塗り。間違いを認められなければ、進歩はそこで止まるのだから。