「10億円の夢と、ヒカキンの麦茶に感じた小さな違和感」
気が付くと、フォロワーが。
ありがとうとお礼を申し上げます。
さて本題。
もう一つの補足――なぜ、1989年に戻りたくないのか
『過去の亡霊に取りつかれないために――昭和・平成レトロと、僕自身の記憶』について、もう一つ、補足しておきたいことがあります。
今回、作品や提案書を公開し、対話を重ねていくなかで、これまでの文章では十分に伝えきれていなかったことが、少しずつ明らかになってきました。
それは、僕がなぜ1989年ごろに戻りたくないのか。そして、なぜ戸愚呂弟のような心境を、自分自身に重ねるようになったのか、ということです。
今回は、実際に経験した出来事を通して、その理由をもう少し具体的に書いておきたいと思います。
――憧れていた機材が、実際に自分の手元にあった
僕は、小学生の頃から、1980年代後半から1990年代にかけてのAV機器に憧れていました。
カタログを眺めながら、いつかこんな機材を使ってみたいと思っていました。
当時は、カタログで製品の性能や機能を知ることはできても、実際に手に入れて使うことは簡単ではありませんでした。
そんななかで迎えた、1999年の夏。
僕は、ビクターのS-VHSデッキ、HR-V100を購入しました。
それまでにも、シントム、東芝、サンヨーのビデオデッキを使っていました。しかし、HR-V100を手に入れたことで、エアチェックをさらに本格的に楽しめるようになりました。
その後、パナソニックのNV-SX505も購入しました。こちらは次のモデルが登場した頃に買ったもので、確か新品で27,000円でした。
こうして、高画質でダビングできる環境が、自分の手元に整っていったのです。
1989年ごろの製品には、当時ならではの機能や魅力がありました。一方、映像の画質という点では、後年のS-VHSデッキのほうが優れていました。
隣の祖父母の家にあったNV-F400と比べても、その違いは僕にとって大きなものでした。
カタログのなかで眺めていた、憧れの機材。
それが、実際に自分の部屋にあり、自分で操作できる。
当時の僕にとって、それは大きな出来事でした。
ただ懐かしいというだけではありません。
ずっと欲しかったものを手に入れ、その機材が持つ可能性を、自分自身で確かめられるようになったのです。
――S-VHSで広がった楽しみ
S-VHSデッキの魅力は、映像の高画質化だけではありませんでした。
僕にとっては、Hi-Fiステレオ音声で録音できることも、大きな魅力でした。
それまで使っていたビデオデッキには、モノラル機もあれば、Hi-Fiステレオ対応機もありました。
1997年のことです。
それまでモノラルのビデオデッキしか持っていなかった僕にとって、シントムのHi-FiステレオVHSデッキが1万円で買えたことは、衝撃的でした。
音が全然違う。
そのときの驚きは、今でも覚えています。
そこから、東芝、サンヨーと、Hi-FiステレオVHSのデッキを買っていくことになりました。
そして、今回のS-VHS。
まさにお祭り状態でした。
映像が高画質になるだけでなく、Hi-Fiステレオ音声での録音も楽しめる。僕にとっては、できることが一気に広がったような感覚でした。
当時はMDにも関心がありました。しかし、VHSテープは比較的安価で、長時間の録音ができました。そして何よりも、ビデオデッキなら、すでに再生できる環境が整っていたのです。
新しい記録媒体を使うために、再生環境を一から整える必要もありませんでした。
音質にも魅力を感じていました。
もちろん、S-VHSのHi-Fi音声が、あらゆる性能でMDを上回っていたということではありません。MDにはデジタル録音ならではの利点がありましたし、両者には音質やノイズ、録音時間、使い勝手など、それぞれの違いがあります。
それでも、当時の僕にとって、ビデオデッキを使った音声録音は十分に実用的で、可能性のある方法でした。
そして、最大の特徴は、映像も記録できることでした。
音声だけでなく、映像も残せる。
好きな番組や音楽を記録し、必要に応じてダビングし、もう一度楽しむこともできる。
当時は、VHSテープも130円ほどで買えるものがありました。限られた予算のなかで、長時間の記録を楽しめることにも魅力を感じていました。
僕は、単に古い機材を所有したかったわけではありません。
その機材で何ができるのかを知り、実際に使い、自分の楽しみ方を広げたかったのです。
S-VHSに乗り換えられたことは、中学生だった僕にとって、憧れていた技術が自分のものになったという実感を伴う経験でした。
カタログで眺めていたものが、手元にある。
その機材を使って、自分なりに楽しみ、工夫し、可能性を広げていく。
そこには、憧れていた時代を外から眺めるだけでは得られない喜びがありました。
――2002年、修理のときに言われたこと
HR-V100は、やがて故障しました。
そこで、2002年に修理に出しました。
そのとき対応してくれたのは、当時、電気店を約40年営んでいた店主でした。
店主は機材の状態を見て、こんな趣旨のことを話しました。
「こんな壊れ方は見たことがない」
そして、内部が完全に擦り切れている、という説明を受けました。
この出来事は、今でも強く印象に残っています。
HR-V100を買ったとき、まだ中学生だった僕が、憧れていた機材を手に入れ、実際に使い込んでいた。その使用の積み重ねが、修理の際にわかるほどの状態になっていたのです。
もちろん、故障したという事実だけで、僕の使い方が技術的に優れていたと証明できるわけではありません。
ただ、少なくとも、僕がその機材を実際に使い、エアチェックに夢中になっていたことは確かです。
カタログを眺めて憧れていただけではない。
手に入れた機材を使い、自分なりの楽しみ方を追求していた。
その機材を使い込んでいたことが、修理を担当した人の言葉を通して、強く印象に残ったのです。
この経験は、僕が当時の文化に抱いていた思いを考えるうえで、大切なものになっています。
僕にとって、AV機器は、ただ懐かしむためのものではありませんでした。
実際に使い、機能を確かめ、できることを増やしていく。その過程そのものが楽しみだったのです。
そして、ここで大切なのは、当時の僕が、ただ昔の時代に憧れていただけではなかったということです。
僕は、その時点で手に入れられる機材を使い、自分の楽しみ方を広げていました。
つまり、当時の僕も、その時代にあるものを使って、自分なりに今を生きていたのです。
――「戻りたくない」は、強がりだったのか
ここで、もう一つ、伝えておきたいことがあります。
僕は、1989年ごろの文化を否定しているわけではありません。
むしろ、その時代の製品や技術には、今でも強い関心があります。
当時の技術者が何を考え、どんな制約のなかで製品を設計し、何を実現しようとしていたのか。
それを知りたいと思っています。
しかし、当時の文化が好きであることと、当時の生活に戻りたいことは、同じではありません。
この違いを、僕は理解してほしかったのです。
ところが、「あの時代に戻りたくない」と話すと、強がりだと受け取られたことがありました。
昔の文化が好きなのだから、本当は戻りたいはずだ。
戻りたくないと言うのは、自分の本当の気持ちを認めたくないからではないか。
そんなふうに受け取られてしまうことがあったのです。
僕が伝えたかったのは、そういうことではありませんでした。
僕は、過去を否定したいのではない。
過去に生きていた自分を否定したいのでもない。
ただ、今の自分を捨ててまで、過去に戻りたいわけではないのです。
ここで、改めて1999年のことを考えてみます。
僕は、1989年ごろの製品に憧れていました。しかし、その後、自分の手元にやってきたのは、1999年のHR-V100やNV-SX505でした。
1989年ごろの製品ではありませんが、同じぐらい憧れていた製品を手に入れ、実際に使い、当時の自分にできることを広げていったのです。
そして、今の僕には、当時よりも進歩した技術があります。
映像や音声をデジタル化し、編集する環境も、以前より身近になっています。昔の製品について、当時よりも多くの情報を調べることもできます。
もちろん、現代のすべてが優れていると言いたいわけではありません。
昔の機材ならではの魅力もあります。当時の操作感や設計思想、限られた技術のなかで実現された機能には、今でも惹かれるものがあります。
それでも、今の時代を生きているからこそ、できることがある。
僕は、その可能性を手放したくないのです。
「戻りたくない」という言葉は、過去に価値がなかったという意味ではありません。
過去に価値があったことを認めたうえで、今の自分の人生も大切にしたい。
僕が言いたかったのは、そのことなのです。
――なぜ、戸愚呂弟のような心境になったのか
『幽☆遊☆白書』の戸愚呂弟。
僕が彼の姿を思い浮かべるのは、単に強さや戦いに惹かれているからではありません。
自分の本当の気持ちを、うまく伝えられなくなっていたこと。
周囲から決めつけられることに傷つき、理解してもらおうとする気持ちと、もう説明したくないという気持ちのあいだで揺れていたこと。
そして、いつの間にか、自分を守るために強がるようになっていたこと。
そうした心境を振り返るとき、彼の姿が重なって見えるのです。
僕は、昔の文化が好きでした。
しかし、そのことだけで、自分が過去に戻りたがっている人間だと決めつけられたくはありませんでした。
戻りたくないと言えば、今度は強がりだと言われる。
では、自分の気持ちを、どう説明すればよかったのでしょうか。
自分が何を考えているのかを伝えたい。
でも、説明するほどに誤解されてしまうように感じる。
そんな経験が重なるうちに、僕は、自分の本当の気持ちを表に出すことが難しくなっていったのかもしれません。
僕は、好きな機材を使い、その可能性を追求することを楽しんでいました。
本来なら、それは自分の好きなことを楽しむための経験だったはずです。
ところが、周囲から自分の気持ちを決めつけられると、好きなものについて話すこと自体が、自分の気持ちを説明し、自分の正しさを証明するための行為になってしまうことがあります。
好きなものを否定されないように、知識を身につける。
自分が何を考えているのかを理解してもらうために、根拠を示す。
そうしたこと自体が悪いわけではありません。
しかし、いつの間にか、好きなものを楽しむことよりも、自分を守ることのほうが大きな目的になってしまったとしたら、何かが変わってしまっています。
本来なら、好きなものを楽しみ、知らないことを知るために使っていたはずの知識が、いつの間にか自分を守るためのものになってしまう。
それは、僕が本当に望んでいたことではありませんでした。
ここで、戸愚呂弟の姿が重なってきます。
僕にとって彼は、単に強い人物というだけではありません。
自分のなかにあるものを抱え込み、簡単には手放せなくなってしまった人物としても映るのです。
もちろん、戸愚呂弟の生き方そのものを、自分の人生に当てはめたいわけではありません。
彼の物語と僕の経験は違います。
ただ、彼の姿を通して、自分が何に苦しみ、何を手放せなくなっていたのかを考えることはできます。
そして、誰かに倒されなければ、自分を変えられないわけではない。
誰かに自分の正しさを認めてもらわなければ、自分の人生を取り戻せないわけでもない。
自分の気持ちを見つめ直すことは、自分自身にもできるはずです。
僕が戸愚呂弟に重ねていたものは、強さそのものというよりも、自分の気持ちをうまく扱えなくなり、いつの間にか自分自身を追い詰めてしまうような心境だったのかもしれません。
だからこそ、今になって、自分が何を望んでいたのかを改めて考えることには意味があると思っています。
――過去に戻りたいと思っていた、あの頃の自分
ただし、ここで誤解してほしくないことがあります。
僕は、最初から過去に戻りたくなかったわけではありません。
以前の補足にも書いたように、もともとは「12番目の雨の日」の記憶につながる、あの頃の生活が出発点でした。
当時の僕は、不自由な生活を送っていました。
だからこそ、もう一度あの頃に戻りたいという思いが、確かにあったのです。
懐かしいものがあり、忘れられない記憶がある。
その一方で、当時の生活には、不自由さもありました。
それでも、過去のある時点に戻れば、何かが変わるのではないか。
そんな思いを抱いていた時期がありました。
2000年のお盆の家族旅行の頃には、まだ気持ちは複雑でした。
戻りたいという思いが完全になくなっていたわけではありません。それでも、戻りたくはないという気持ちも、確かにありました。
そして、2000年の秋以降、周囲とのさまざまな出来事が重なっていきました。
ここに書ききれないことも、たくさんあります。
いつの間にか、僕は自分自身の気持ちを見失っていたのかもしれません。
本当はどうしたいのか。
自分は何を望んでいるのか。
それがわからなくなり、自分を偽ってでも、過去に戻りたいのだと思い込んでいたのかもしれません。
だからこそ、今になって「戻りたくない」と言葉にすることには、単なる好みの問題を超えた意味があります。
それは、過去を嫌いになったということではありません。
かつて戻りたいと思っていた自分を、間違いだったと切り捨てることでもありません。
あの頃の自分には、戻りたいと思うだけの理由があった。
その気持ちもまた、当時の自分にとっては本物だったのです。
ただ、時間がたち、経験を重ねるなかで、僕の考えは変わっていきました。
懐かしいものはある。
忘れられない記憶もある。
それでも、あの時代に戻って、もう一度同じ生活を送りたいわけではない。
その違いを、自分自身の言葉で説明できるようになりたかったのです。
――今の技術があるからこそ、過去を見つめ直せる
2010年代の初め、僕はプロケーブルと出会いました。
それは、オーディオについて学ぶだけの出会いではありませんでした。
自分がいつの間にか、自分自身を見失っていたことに気づくきっかけにもなったのです。
この出会いについて、ここで詳しく論じるつもりはありません。
ただ、僕にとって大切だったのは、オーディオや機材について考えることが、単に製品の性能を比較するだけの行為ではなくなっていったことです。
自分は何を求めているのか。
何に魅力を感じ、何を大切にしたいのか。
そうしたことを、改めて考えるようになりました。
そして、今回の対話を通じて、もう一つ気づいたことがあります。
それは、過去の機材について語るとき、僕が大切にしていたのは、単に昔の製品が好きだということだけではなかった、ということです。
カタログを眺めていた頃の憧れ。
1997年にHi-FiステレオVHSデッキを初めて手に入れたときの驚き。
1999年にHR-V100を手に入れたときの喜び。
NV-SX505を加え、高画質でダビングできる環境が整ったこと。
Hi-Fiステレオ音声で録音できることや、映像と音声の両方を記録できることへの魅力。
そして、実際に使い込んだ機材を修理に出したときの記憶。
それらは、僕が自分の興味を追いかけ、できることを増やしていった経験でした。
その当時の僕は、ただ過去を懐かしんでいたのではありません。
その時代にある技術を使い、自分なりの可能性を広げようとしていたのです。
だからこそ、今の技術を手放してまで過去に戻る必要はないと思っています。
今の技術があるからこそ、当時は難しかったことができる。
昔の製品を、当時とは違う視点から調べることもできる。
過去の記録を残し、編集し、後世に伝えることもできる。
かつて憧れていた製品を、今になって技術史の一部として捉え直すこともできます。
もちろん、現代の技術があれば、昔のすべてを完全に再現できるというわけではありません。
当時の空気や生活、実際にその時代を生きていた感覚まで、すべて取り戻せるわけではないのです。
それでも、過去を知り、理解し、今の活動につなげていくことはできます。
僕は、その可能性を大切にしたいと思っています。
――過去を否定しないことと、過去に戻ることは違う
今回、改めて伝えたいのは、このことです。
僕は、1989年ごろの文化を否定していません。
当時の機材に憧れたことも、S-VHSデッキを手に入れて夢中になったことも、エアチェックを楽しんだことも、今の自分につながっています。
それらを、なかったことにするつもりはありません。
一方で、今の技術を捨て、当時の生活に戻りたいとも思いません。
昔の文化を大切にすることと、今の時代を生きることは、両立できるからです。
むしろ、今を生きているからこそ、過去の文化を違った角度から理解できることもあります。
当時は憧れるだけだった製品を、今になって技術史の一部として調べることもできる。
当時は気づかなかった制約や不便さを、現在との比較から考えることもできる。
そして、昔の経験を、これからの自分の活動につなげることもできます。
過去を愛するために、現在を捨てる必要はありません。
過去の自分を大切にするために、現在の自分を偽る必要もありません。
かつて戻りたいと思った自分も、今は戻りたくないと思っている自分も、どちらも僕自身です。
だから、昔の自分を否定する必要も、今の自分の気持ちを強がりだと決めつける必要もないのです。
1989年に戻りたいか。
それとも、今という時代を生きていきたいか。
僕の答えは、今を生きていきたい、です。
それは、1989年ごろの文化を否定するからではありません。
あの時代に憧れ、夢中になり、そこで得た経験が、今の自分を形づくっているからこそ、今の自分も大切にしたいのです。
過去を切り捨てるのではなく、過去に支配されるのでもなく。
過去の経験を抱えながら、今を生きていく。
そして、懐かしいものを懐かしいものとして大切にしながら、今だからこそできることにも目を向けていく。
僕が伝えたいのは、そういう生き方です。
過去に戻らなくても、過去を大切にすることはできる。
過去を否定しなくても、今を選ぶことはできる。
今回の対話を通じて、僕はその思いを、以前よりも具体的に言葉にできるようになった気がします。
追記。
デッキの型番が間違っていた。
申し訳ない。
誤
HR-V100
正
HR-S100
---
誤
NV-SX505
正
NV-SX550
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